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 気が付くと、私は薄暗い部屋の中で座っていた。  雨漏れでもしているのか、どこからか水の滴る音が反響し、頭上ではジジジッと裸の電球が明滅を繰り返している。 「おはよう」  突如として掛けられた声に反応する。  目を向けると、見事なまでの艶やかな白い髪と宝石を埋め込んだような真紅の瞳を持つ小柄な少女がいた。  アルビノ――と言ったか。その肌も驚く程に白く、まさに目を閉じた時の瞼に映る光のように眩しい。 「……おはよう、ございます」  久々に口を開いたのか、出た声は少し掠れていた。  だがしかし、少女は私の言葉に満足したようで、うっすらと微笑んで頷いてくれる。  そして、それだけで私の心は満たされたような気持ちになってしまった。  ……彼女とは、初めて会うはずなのに、どうしてだろう? 「自分のことはちゃんと意識できているか?」  …………? 何となく、その聞き方に違和感を感じる。 「えっと……はい」 「そうか。じゃあ、今が何時なのか、それと君の名前を教えてくれ」  そこで違和感の正体が分かった。彼女の聞き方は問いかけというよりも問診に近いのだ。  彼女は私のことを知っており、その私に異常がないかを探るためにこの問答はあるのだろう。 「今は戦歴二百五十五年の二月八日、ですよね? 名前は……エマ、だったと記憶しています」  聞かれたことに対して、頭に思い浮かんだことをそのまま伝える。  すると、またしても私は自身の発言に違和感を持った。  しかし、今度はさっきと違ってそれほど気になることでもない。けれど、なんだか言いようのないモヤモヤが心の中に巣食う。  「ふむ、ちゃんと記憶しているみたいだな。私の名前はどうだ? 分かるか?」  「あっ、はい。……えっと…………」  思考を巡らせるが該当する情報は出てこない。どうやら彼女に関する記憶はないようだ。  ……うん? 記憶? …………記憶が、ない。あっ――。 「あーっ!」  モヤモヤが晴れたことに対する爽快感と重大なことに気付いた焦りとで、思考と殆ど同じタイミングで大声を上げてしまった。  目の前の少女はうるさそうに顔を背けて片眼を閉じ、煩わしそうにこちらを睨む。  「なんだ急に、うるさいな。一体どうしたと言うんだ?」  「あの、あのですね……! 大変なんですよ! あの、私、記憶がないみたいで。あっ、記憶と言ってもそう言った記憶ではなく、あくまであっちの記憶がないんですけど――」  「おい、とりあえず落ち着け。何を言ってるのかさっぱりだぞ」  興奮して説明が空回る私に対して、少女はあくまでも冷静に言葉を返してくる。  その姿に私の頭の熱も多少下がったため、彼女に伝わるような表現を考えてみた。 「…………えっとですね……改めて言いますと、どうやら私には記憶がないみたいなんです」 「……はぁ」  コイツ何言ってんだ、みたいな目で見られて早速心が折れそうな私。  でも頑張って説明してみます……! 「あの、記憶と言ってもですね? そのー、何と言いますか……あっ、そう! 思い出! 思い出のような記憶がすっぱり消え落ちているんです」 「……………………」 「さっきみたいに日時のこととか、名前とか、知識面の記憶は残っているようなのですが……。どうにも、私がこれまでどうやって生きてきたのか、思い出せないみたいです」 「……………………」  私が話し終えるまで少女は黙って話を聞いていた。こちらに目もくれず、顎に手を当て黙考している。  ……あれ、これ私の話ちゃんと聞いてくれてますよね? 「…………君は何者だ?」  唐突に投げられる質問。 「――って、いや! その答え、私が知りたいんですけど! やっぱり私の話聞いてませんでしたよね? 記憶無いんですよ、わ・た・し・は!」 「いや、そういうことじゃ――まぁ、いい。それなら質問を変えよう。今の印象でいい、自分のことをどう思う?」 「それなら答えられますけど……。えー、そうですね。やっぱり可愛い女の子じゃないですか? あっ、もちろん性格が、ですよ。自分の顔は覚えてないので。でも、明るいってだけで結構モテちゃうと思うんですよねー! あと――」  まだまだこれからだというのに、少女は私を手で制す。 「待て、もういい。大体分かった。……うん、なるほど。そういうことか…………」 「…………? 何を理解されたのかは分かりませんが、それなら良かったです」  相変わらず、彼女の思考はよく分からない。  一人思考に没してしまい、私は手持ち無沙汰になってしまった。なので、ふと自分の身体を確認する。  おぉー、マイボディとはいえ中々のものをお持ちで……! 「――って、私裸じゃないですか!」  今更なことに気が付き、思わず突っ込んでしまった。  途端に羞恥心を感じ、少女の目から私の大事な部分を手や腕で覆い隠す。 「……何を今更。というか、君には羞恥心もあるのだな」 「いや、それは当たり前ですよ! 人として持ってなきゃいけないものですよね、これは!」  その私の言葉に、少女は満足したように笑う。  ……うぅ、なんで満足されたのか分からない。私の身体に満足したのかな? 「……ふむ、やはり素晴らしいな――」  やっぱり、私の身体だ! 「――私は」  違った! なんか勘違いが恥ずかしい!  悶絶し頭を抱える私に、彼女は楽しそうに告げた。 「そう騒ぐな、服はこれから持ってきてやる。これからよろしくな、エマ」  差し出される手。それをおずおずと握りしめると、花が咲いたような笑みを向けられる。  その瞬間に、私の心は洗われたかのように清らかになった。 「はい!」  今日一番の笑顔で返事をする。  こうして、私と彼女の生活が――。  突如として響き渡る地鳴り。  何が起きているのか分からず右往左往とする私がいる中、彼女はボソリと呟いた。 「……っち、もうバレたのか。こういう時だけ働く、軍の狗め」  何を言っているのかわからず尋ねようとするも、状況がそれを許さない。 「早く来い! さっさと荷物をまとめて逃げるぞ」  いつの間にか彼女はドアの前で手招きをしている。私は覚悟を決めると、着るものも着ず廊下へと駆け出した。  それから一分とかかることなく、とある部屋へとたどり着く。  中にはベッドとPCデスク、大量の本棚しか存在せず、この部屋の主の人となりを表す物がこれでもかと言うほどに見当たらない。 「荷物はその椅子に置いてある物を。服は……これしかない、好きなのを選んでくれ」  そう言われ、私はクローゼットからベッドに並べられた服を眺める。  まずは一着目。真っ赤な布地に短い袖、足元まで伸びる丈の長さ、そして何より特徴的なのが腰まで届きそうな程に深いスリットだ。  続いて二着目。真っ白な小袖に真っ赤な袴の伝統的な装束だった。ただ、その見た目の割に重ね着が多く、着付けも面倒。  最後に三着目。紺色のワンピースのような服に白いエプロンの付いた、従事する者としては実用的な一品。胸元のリボンもチャーミング。 「――って、なんでチャイナ服、巫女服、メイド服なんですか! もうちょっとまともな服は無かったんですか?」 「無いな」  キッパリと断言する彼女。だが、私もここは譲れない。 「そんなわけないですよね? だって、少なくとも貴方様の服があるじゃないですか」  完璧なまでの論破。最早ぐうの音も出まい。  満足して胸を張る私に、彼女は誰もが見惚れる程に眩しい笑顔を向けてくる。……むしろ、眩しすぎて怖い。 「そうかそうか、君は私の服を着たいのか。良いだろうとも、その大層ご立派なお身体に合うかは分からないが、存分に試すといい」 「…………あっ」  その言葉の意味に気づき、私は焦る。敢えて黙っていたのだが、彼女の胸はあまりに小さい。そして、身長も低い。おそらく百四十七、といったところか……。  少女の逆鱗に触れ、私が恐れおののいていると再びの地鳴り。 「……ちっ。コントをしている場合じゃなかったな。時間が無いんだ、さっさと着替えてくれ」  その口調には本気の焦りが含まれていた。本当に急いだ方が良さそうだ。  さっきの件もあるし、仕方なく私はあの服を手に取る。  荷物を持ち、隣の彼女と一緒に長い廊下を疾駆する。元々体力が少ないのか、既に彼女は息を切らしていた。  前に目を向けると、廊下は左右に分かれている。 「…………はぁ、はぁ……あそこを、左だ」  そう言い、彼女は片一方の道を指差した。その時、突如として指を差した方とは逆――すなわち廊下の右手側から武装をした何者かが姿を見せる。  相手もこちらを確認すると、黙って銃口を向けてきた。  その瞬間に、私の意識は切り替わる。  脚に力を入れ、これまでよりもずっと速く、疾く廊下を駆け抜ける。  撃たれる前にその男に肉薄すると、引き金が引かれるよりも早く掌底で銃をカチ上げた。そのままの勢いを利用して胴に回し蹴りを決める。反動でスカートが翻り、中身が見えそうになるが別に気にする程のことでは――。 「――って私、今は何も履いてないんだった!」  慌ててメイド服の裾を抑えると、蹴り飛ばした男の後ろからまだ二人いるのを確認した。一人は拳の当たる距離、もう一人は少し後ろだ。  とりあえず、左拳で銃口を横に弾くと顎、喉、鳩尾にそれぞれ一撃ずつ入れて昏倒させる。  だが、その後ろの敵には対処が間に合わない。既に引き金が引かれつつある姿を目で追ったからだ。  私は咄嗟に崩れゆく男の持っていた拳銃を蹴り上げ、空中で掴む。そのまま構えると、相手と同じ数だけ私も引き金を引いた。  何も無い場所で響く金属音。どうやら上手く銃弾を弾くことが出来たようだ。  相手は焦るあまり弾倉が空になったことにも気が付かず、カチカチと銃を鳴らしている。  その隙に、手元に残った無用の長物を投げつけ、ひるんだところに近づき、腹に一発。うずくまるその動きに合わせて顎に掌底を当てて相手の身体を浮かし、その頭に胴廻し回転蹴りを叩き込んだ。  そうこうしていた間にも彼女は廊下を左に曲がっていったので、私も後を追いかける。 「あのあの……! 見てました? ねぇ、見てました? 私、凄くなかったですか? こう、バンバン敵を薙ぎ払って!」  興奮冷めやらぬ私の言葉に、彼女は息を切らしながらも優しく微笑んでくれた。 「…………はぁ……はぁ。あぁ、流石だったぞ。やれば…………はぁ……出来る子だ、な」  初めて褒められた。そのことが私の心を温めてくれる。 「…………! ですよね! 自分でもよく分からなかったんですけど……こう、体が勝手に動いたっていうか。とにかく頑張りました!」 「そう、だな…………はぁ、はぁ。そんなエマに頼みたい、ことがある」 「えぇ、えぇ。何でしょう、何でも言って構いませんよ?」  調子の良くなった私は大請け合いをする。 「そうか……。……はぁ…………だったら、頼む。…………もう無理だ、おんぶ」 「―――♪」  黙ってお姫様抱っこをする私に対して、彼女はすっかりご満悦。  その後も指示の通りに通路を抜ければ、いつの間にか外へと出ていた。  雪が静かに降り積もるだけで、先ほどの騒ぎなど全て嘘のよう。僅かな自分の呼吸音までもが耳に届き、口から漏れた吐息は白く色づく。  そのまま逃げること数十分。ある程度の距離を置くことに成功した私たちは、少し休憩をしていた。  その間、襲ってきた人達のこと、あの場所のことを尋ねるも彼女ははぐらかすばかりだ。 「にしても、良いんですか? こんな所でのんびりしていたら、またさっきの人に見つかりますよ?」  諦めて別のことを聞いてみると、少女は手首の時計を弄りながらウキウキした様子で答えてくれる。 「良いんだよ。アイツらは私が逃げたと知っても、暫くはあの場所に居座る。だからこうしてやれば――」  その言葉に合わせて、クイッと摘みを捻った。そうすれば、先程までいた場所の付近から大きな爆発音と煙が上がる。 「――足止めになる。さて、私の体力も少しは戻った。少しでもいいから遠くへ逃げようか」  ♦ ♦ ♦  それからの私たちは特に宛もなく歩いた。寒帯に位置するのか、昼夜問わず基本的には雪が降り続いており、一歩足を運ぶ度にギュッと積雪が踏み固められ、私たちの軌跡を残していく。  周りには壊れた建築物だけが並んでおり、人の住んでいる形跡はなかった。  そんな中を私たちは日中歩き回り、日が落ちると屋根のある場所を探して暖をとる。 「へぇー、これがお風呂というものですか」  ある時はドラム缶を見つけ、五右衛門風呂なるものを試したこともあった。 「そうだ、極東に伝わる伝統的なお風呂だな。私も初めての経験だ」  そう言った彼女は雪にも負けないほどの真っ白な素肌を晒し、長い髪をアップにして纏める。  低身長、小乳ではあるものの、体格に合ったその体つきは神々しさすら感じた。 「……そう、まじまじと見てくれるな。さすがの私も、少し照れる」  頬が赤く熟れる。その肌の前では、顔色の変化など一瞬で分かってしまい……こう、何というか可愛い。  身体を隠すようにして彼女は湯船に浸かると、さっきまでの表情とは一変、力が抜けたかのように穏やかに様子を見せる。 「……あぁー、これはいい。用意が面倒だし水も無駄だが、それに勝る幸福感が……すごい。たまになら入ってもいいな、これは」  満足そうにぬくぬくと温まる様子は見ていて羨ましい。  我慢ならず、私はそろっと手を伸ばしてお湯に触れる。 「――っ! あっつい!」  何かの異常を感知したかのような不快感。思わず手を引く私に、彼女は朗らかに笑っていた。 「ははは、君にとってはそうかもな。後でその身体を拭いてあげるから、それまでは火の番をよろしく頼むよ」  むむー、納得がいかない。だけど、愚直にも私は空気を送り、木を焼べ、温度調節の任を果たす。  それ以上に、この少女の幸せそうな笑顔を見ていたいと思ったから。  穏やかな時間がしばらく続くと、満足したように彼女は湯船から体を引き上げる。  風邪を引かないようにとすぐさま荷物からタオルを取り出して渡すと、その時初めて首から下げられたアクセサリーの存在に気が付いた。 「あれ、そういえばそのペンダントって……」 「ん? ……あぁ、これは私のお守りだよ。いや、お守りというよりは決意の象徴、かな」  そう懐かしむようにペンダントを弄ぶ彼女の表情は、何だか儚げだ。  よく見ると、それはロケットだということに気が付く。 「中には何が入ってるんですか?」 「……もう忘れたよ」  その横顔が何を語っているのか、まだ出会って日の浅い私には分からない。  だから、こういう時はグイグイ攻めるのが一番だ。 「えぇー。だったら、中を見せてくださいよー。開くでしょ? ロケットなんですから」 「それがな、肌身離さず持ち歩いてたもんだから錆びて開かないんだよ」  だったら私が開けてやる、と申し出たものの「君だと壊しそうだ」と結局断られてしまったのだけど。 「あっ、そういえば私、まだ貴方様の名前を知りませんでした」  湯浴みが終わり、今度は私の背中を拭いてくれている彼女に、そう話を切り出した。 「あー、そういえばそうだったかな。なんだ、知りたいのか?」 「いえ、別にそこまでではないのですが……ただ、呼ぶときに少し不便かなと」  ニヤニヤとからかうような笑みでそう問いかけてくる彼女に対して、私は思わず素の返事をしてしまった。 「……なんだ、つまらん。まぁ、別に知られて困るものでもないし構わないが」  そこで一つ咳払いを挟む 「私の名はアイリス。アイリス・B・マクミランだ。遅くなったが、これからもよろしく頼むよ」 「アイリス――アイリス様ですか。はい、よろしくお願いしますね」  背中越しではあるが、軽く頭を下げる。 「それにしても不思議な縁ですね。記憶が正しければ、私の親と同じ名前ですよ」 「……………………」  それは私の中で親という認識で存在する名。  その他には顔も、声も、何も覚えていないだけに、大事にしていかなければならない気がする。 「……はっ、まさか私のお母さん!」  シュピンと頭の中で電流が走ったかのように閃いた。突拍子もないようでいて、その実ロジカルに富んだ素晴らしき私の推理が――! 「――君には、私が子供を産むような年齢に見えるのか?」 「ですよねー」  半眼でそう問いてくるアイリス様に私は頷く。  アイリス様は見た感じ十代後半。もし仮に二十代だと考えて子供を産めたとしても、私の年齢と合わない。  そんなわけは決してないのだ。  けれど、知らずのうちに彼女との繋がりを見つけられて私は少し嬉しかった。  この背中に感じる温もりは、決してお湯に濡らされたタオルのものだけではないだろう。  ♦ ♦ ♦  けれど、私たちは追われる身。  それもアイリス様は極端に体力が少なく、日に当たればより一層弱ってしまう体質だった。  だから、いつしかこういう日が来るのは分かっていた。 「そこの強いお嬢ちゃんよ、博士が心配なら大人しくしときな」  そう語るのは、迷彩服に防弾チョッキを纏った屈強な男たち。動けないアイリス様の頭に拳銃を突き付け、私を脅す。  対するアイリス様は先程から「コイツらは私に指一本触れられん。だから、やれ」と言っているものの、状況が分からない以上、動くことが出来なかった。 「つれない事を言うなよ、博士さま。別に俺たちはそこのポンコツを解析しても良いんだぜ?」 「…………なんだと?」 「おぉー、怖ぇ。だから俺は言ってんのさ。アンタら二人でウチに来いってな。ソレについては……まぁ、多少中を調べるかもしれないが、五体満足で返すことを約束するさ。何なら、あんた本人が監修してもいいぜ?」 「…………………………………………」  彼らが何を話しているのか、私には分からなかった。  なぜアイリス様が博士と呼ばれているのか、何を目的として動いているのかがさっぱりだ。  けれど、一つだけ気になる点があったので口を挟ませてもらう。 「……あの!」  皆の目がこっちに向いた。 「あの、さっきから人のことをポンコツやらソレ呼ばわりして……私はモノじゃないんですけど」  私がそう発言すると、男たちは急に笑い出す。それに合わせて腰の装備品がカチャカチャと音を立て、いっそう耳障りだ。  アイリス様は悔しげに唇を噛み、俯くだけで何も言おうとはしない。 「こいつは傑作だ! 博士、あんたは良くやってくれたよ、ハッハッハ! 完璧だ、そこの人形は自分を人間だと信じて疑わねえ!」  ――その一瞬、何を言われたのか分からなかった。 「私が人形? そんなわけ……だってアイリス様はそんなこと一度も――」 「一度も言わなかったってか? だったら、その目で確かめてみるんだな!」  そう言うと男は私の指を撃ち抜いた。  明確な痛覚を感じ、顔を歪める。右手薬指が吹き飛び血が垂れるが、その断片から見えたのは金属の一部と機械のショート音だった。 「……嘘…………?」 「嘘じゃねーよ! てめぇは、そこの! 稀代の! 天才プログラマー様に開発された人工知能で動く、ただの人形だ!」  ……なんだ。……何なのだ、これは。  視界が赤く明滅する。景色に一瞬だけノイズが走り、続いてエラーメッセージなる文章が表示された。  始めは指の損傷報告。次に人工知能部に対する感情部と理性部に異常を検出。……あぁ、これではまるで、本当に私が人間ではないようじゃないですか。  涙が零れる。そのことに関してエラーが検出される。そして、表示されたメッセージを確認し、私の中の何かが剥がれ落ちた気がした。ともすれば、またしてもエラー。同様に喪失感を覚え、再びのエラー。何かを失くし、エラー。積み重なるエラー。エラー。エラーエラーエラーエラーエラー――。    ――そうして、私の思考回路はショートする。  膝から崩れ落ちる私にもう戦意は無いと見たのか、私を囲う男たちの拘束が緩んだ。 「これは隊長も、上のお偉い方も喜ぶぜ。何せ人の心を持ち、自然に会話できる機械だなんて軍事戦争においてこれでもかと言うほどに使えるんだからな! 俺たちから逃げている間に良くここまで仕上げたよ。ありがとう、博士さま」 「…………! 黙れ! 貴様らに何が分かる! 機械を機械としか見ない貴様らに、私を語り、あの子を侮辱する権利などない!」 「あんたの意見なんざ今は聞いちゃいない。そのご高説たれる脳は、ぜひウチで活かしてくださいよ」  電気信号で作られた意識に埋没していく中で、うすぼんやりと私はそんな会話を知覚する。  ……当たり前か。センサーは何も壊れちゃいない。ならば意識の有無に関係なく、センサーで捉えた事柄は全て、脳部のコンピュータで判断されるのだから。 「さて、それじゃあコイツらを軍に運ぶか。アンタらには死ぬまでウチに従事してもらうから、覚悟しておけよ」  けれど、私が機械で、無意識下でもそういう情報を得ることが出来たからこそ、私の心にある灯火が燃え上がった。  これからやることは全て、機械だからできることで、機械にしかできないことだ。  私を縛ろうと近づいてきた一人の男に、私は突如として組み付く。素早く意識を刈り取ると、銃を奪い、ある人に向けた。 「……おい、ポンコツ。それは一体何の真似だ?」  その銃口の先にいるのはアイリス様。 「別に。人のエゴで私が生み出されたのなら、それに倣い、私もエゴで動くだけだと判断しました」 「……その結論がこれか?」 「はい。人間は代々、主君・主を殺すことで自由を手に入れてきました。ですので、私は主人である彼女を殺し、我が身の自由を獲得します」  一瞬で場の主導権を奪った私に、一同は冷や汗を流した。 「…………イカれてやがるぜ」 「お褒めにあずかり光栄です」  機械らしく正確に、機械らしく躊躇もなく引き金を引いた。  アイリス様の身体が刹那の間揺れ、音もなく崩れ去る。 「……ちっ! このポンコツめ、本気でやりやがったな! クソ、作戦は失敗だ! 人工知能部分だけでいい、こいつを《解体|バ ラ》して持って帰るぞ!」  男達の怒号に合わせて、銃声が鳴り響く。  その音にかき消されるように小さく、だが確かに私は呟いた。 「今までは使命で守っていたかもしれません。だから、今くらいは私の意思で守らせてください」  ♦ ♦ ♦  唐突に私は目が覚める。  先程までの状況を思い出して起き上がろうとするも、痛みでうまく体が動かなかった。どうやら、銃の衝撃であばらが数本折れたようだ。だが、不思議と血は出ていない。  服の襟を伸ばし、覗くようにして身体の状態を確かめると、そこにはヒビの入ったロケットがぶら下がっていた。  ……偶然当たったのだろうか? いや、しかしロケットの存在も知っていた彼女がわざわざ胸を狙うか?  何にせよ、無理をしてでも現状を確認すべきだと感じ、痛みを我慢して起き上がる。そして、目の前の光景に言葉を飲み込んだ。  ――そこは死体の山だった。  何百人、何千人と人が倒れ、その血を吸った雪が真っ赤に彩られている。血の池地獄というものは、まさにこういうことを言うのではないだろうか。  辺りを歩き回る。既に血は固まって赤黒く判別しにくいが、どうやら倒れている者は皆、軍人のようだ。  私を撃ち、残った奴らを手にかけただけじゃ、エマは満足しなかったのか? それとも、そこまで援軍が来るのが早かったのだろうか……。  いや、本当は分かっていた。  分かっているから、私はこうして彼女のことを探している。  彼女が言葉通りに逃げたのなら、ここまでの死体がこの場所に生まれることはない。血の出ていない私を不審に思い、軍の誰かが生死を確認して、生きている私を保護したはずだ。  ならば、考えられるべきことは一つ。彼女は最後まで守ってくれた。  彼女の正体を最後まではぐらかし、弁明もせずひたすらに黙り込み、何も言わずに倒れた私をだ。  どれくらい歩いただろうか。一本のモミの木の下に彼女は――エマはもたれかかっていた。  眠ったように目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべている。  作った私は知っている。彼女が稼働している間は、人間に似せて胸元が前後するようになっていることを。  作った私は知っている。彼女が稼働している間は、排熱の関係で無風でも髪が揺れ動くことを。  そして、彼女がピクリとも動かないことに私は気付いている。  その場に跪き、彼女の頬に触れる。外気に晒されたおかげで死んだように冷たく、けれど、死後硬直などないシリコンの柔らかさを感じた。  瞳には涙が溜まるが、唇を噛み締めて堪える。  泣いちゃダメだ。私には泣く資格がない。  だって、私は彼女に嘘をついたのだ。まるで人間であるかのように振る舞い、真実は全てひた隠しにして。  それどころか、守ってさえあげられなかった。責められるのが嫌で、我が身の大事さに壊れていく彼女をただ傍観していた。  そんな仕打ちをした私が、そんな仕打ちをされた彼女に対して、《失うことが悲しいから》と泣いていいわけがない……!  一体、何様だ。だったら守ってあげればよかっただろ!  自分可愛さに行動して、それで大切な人を失って……まったく世話がない。自業自得だ。ざまーみろ!  それでも、一方的に溜まっていくだけの涙に腹が立ち、両拳を雪へと殴りつける。  その時、撃たれた衝撃でヒビの入っていたロケットが、耐えきれずに割れた。そうして、中から一枚の紙が落ちる。  それは私が子供の頃に描いた一枚の夢。  かつてアルビノであることを忌み嫌われ、孤独だったころに思い浮かべた、たった一つの希望。  『わたしは、きかいさんとおともだちになりたいです』  その友は「殺す」と嘘をついてまで私を守ってくれた。  私はその友に本当のことも言わず、見殺しにした。  その事実に、私の中で何かが切れ、紙を破り捨てようと手をかける。  瞬間――ひと際強い風が吹き、エマの体を傾けた。  考えるよりも早く、私は倒れる彼女の体を抱き止めると、あることに気が付く。  彼女の手が木屑で塗れていた。辺りを見渡せば、もたれかかっていたモミの木にはこう彫られている。  『アイリス様へ   貴方様が私の主であり、家族であり、親友で良かったです。   最後の最後に大切な貴方様へ嘘をついてしまい、ごめんなさい。   いつまでも愛しています』 「『ごめん』は私のセリフだ、バカモノが……!」  叱咤する声には後悔が滲み、友の亡骸をギュッと抱きしめる。  零れる水滴が、真っ白な雪を溶かしながら――。
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