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 母のいわが死んでしまってもうどのくらい経ったか吉はよく思い出せないほどボーッとしていた。  今までの姿がまるで嘘のようにまったくの別人になっていた。  父の職高は、その姿の吉が変われる日が来ると信じ気遣いながらも自分で立ち直ると一定の距離を置いていた。  律儀に跡継ぎのことを立ち直るまでは言わないと決めていた職高は自分が深く関われば、きっとあの子は武士になると言い出すだろう…しかし、それは本当に自分で決めたことになるのか?それは父上がそういっているからと思考を止めているだけではないのか…?  しかし、このまま悩み続けて死ぬという道もあるのではないか?  いや、もしかしたら…と父が子を想うその思いは子が親を想う気持ちよりも遥かに複雑で、より愛が深かった。  いわという柱で今を保っているのならいわという痕跡を消すという方法も思い付いたが逆に取り返しのつかないことになるのでは?と苦悶する日もあった。  そこで職高は吉の師である円満を呼びこの事を洗いざらい話し、助言を求めた。 「円満和尚…儂はどうすればよいんじゃろう?」 「ならば私に少し話させてくだされ…自分の教え子のことはよくわかるゆえ、立ち直る為の手助けになるよう道しるべをたてまする」  円満和尚はそう言って吉の根城となっているいわの部屋へと向かった。 <姫路城:いわの部屋> 「失礼いたしまする吉姫、円満にございます」  その日も書物を読んだり和歌を詠ったりとしていたときに懐かしい声を聞いた。  寺での授業の様子に懐かしみを覚えながら、私は返事をする。 「お久しゅうございます円満師匠。どうぞお入りください」  せめての礼儀はと裏の自分でも思うようで、円満師匠が入ってくるまでに、はだけていた小袖を整える。 「では失礼いたします吉姫」  ガラリと障子が開き見覚えのある顔が部屋に入ってくる。 「いつぶりでしょうか円満師匠?最近は時間の流れがおかしくなっていまして…」 「そうですなぁ…ざっと半年でしょうかなぁ」 「もうそんなに経っていたのですね…」  急須からコポコポと湯呑みへ注がれていく深緑のお茶は心を落ち着かせる。  私と円満師匠は押し問答の様に交互に問いかけあって日常会話を成立させていく。  そのような感じで話していると不意に円満師匠が問いかけをしてきた。 「時に吉姫様…これからどう生きるつもりでしょうか?」  特に変わった様子でもない人生に一度や二度は必ず聞かれるようなそんな質問だった。  しかし、私は迷った。  どの様に生きるのか…私は恵まれていて、親の仕事を継ぐのが当たり前の町人や農民でなく、差別される流浪の民でもない武家の娘。  成ろうと思えば町人や農民にも成れるし、遠方遠江の井伊直虎のような女性での武将にも西行法師の様に歌を詠んで歩く歌人にもなれる。  道が多くあり選ぶのに迷いが生じてしまった。 「…出来れば西行法師の様な立派な歌人になりたく思います」  私の口から出たのはそういう言葉だった。 「ほう、西行法師ですか…あの方も元は武士の家柄でありましたがそれを捨て風流の人になった方でありますゆえ共感できるところも多いでしょう…・」  確かにそれも分かると頷いてくれる円満師匠。 「それに私は武士に向かないでしょう?敵と争い、敵を殺し、敵から奪う…それは私には向かないと思うのです」  内心に抱える不安を少しづつ溢していく。 「…それでは吉姫様歌人となりたいとおっしゃいましたが、この播磨姫路の主となったり、姫として大きな大名家に嫁いで悠々自適に暮らすという未来は嫌なのでしょうか?」  円満師匠のもっともな質問に私は無言…いや、沈黙をもって答えとした。 「吉姫様…確かに歌人も平和の時代なら良いかもしれませぬ」  円満師匠はしみじみと語りだした。 「先程も申しましたが平和の時代なら歌人となり文化を栄えさせることもよきことと存じます。しかし、今の世は哀しきことに乱世にてございます。いずれこの播磨姫路、またはこの日の本に目掛けて強国が攻めてくるやも知れませぬ」  確かに円満師匠の言うことは尤もな事なのだろう。  だからこそ私のなかで新たな疑問が生まれた。 「今にもこの国へと危機が迫っている事もあるのです…もしかとすればこの姫路も磨り潰されましょう…残るものは無いのです。これでもまだ姫様は歌人になりたいともうされまするか?」  私は唇を噛む。  先程の疑問を無くすために、だ。  今も頭のなかでその疑問が囁かれる。 【明日にでも家族が死ぬかもしれないのに武士を嫌がって歌人になるの?】  そんなの嫌だ!って思うけどその度にその次の疑問が沸いてくる。 【そもそもこんなところで拗ねてていいの?】【殻に閉じ籠ってもいつかは孵化するんだよ?】  頭に、心に響く声に答えを模索する。 【見えてるのに見えてないように振る舞ってない?】  そんなことないっ! 【まず歌人の才能なんて無いでしょ?】  うっ!それは練習次第で…・ 【この引きこもりっ!さっさと出てきなさいなっ!】  もうこれ悪口じゃない!?  たった数十秒のうちに心も体も疑問に満たされてくる。 「…吉姫様。貴女様がどう転んでどう起き上がるかは私には分かりませぬ」  円満師匠の優しい声が聞こえる。 「けれどもこうやって助言の杖を持たせることも出来れば、進む道、進める道、進んではいけない道と道しるべを用意することができましょう…しかし、それはどこまでいっても助言であるし決めるのは貴女です」  そういって円満師匠は口を閉じる。 「歌人ではなくもっと別の道…」 「これは先程言った助言の杖と道しるべでございますが、聞きまするか?」  私はいつかの百軒長屋の時のように貪欲に知識を求める知識欲の炎が燃え始めたのを感じた。 「吉姫様は善助に石合戦の助言をしたのを覚えておいでですか?」  あぁ、確かにあったなと懐かしい感情を抱えながらうなずく。 「そのとき吉姫様は的確な助言を善助に託し、見事善助らは勝利し勝鬨の瓜を持ち寺のみなで分けあいましたな…」 「あれは美味しゅうございました」  懐かしさとともに瓜の味もよみがえってきそう… 「…ここで話を変えまするが、吉姫様はこの国をどう思われまする?」 「【どう】とは?」  色々としか言えない気もするがどう答えるかも分からない問いは聞くのが一番だと思う。 「吉姫様はこの国…いえ言葉が悪ぅございましたな。この日の本をどう思われまする?」 「この日の本…荒れていて、人身も荒み魑魅魍魎が辺りを歩き回る。そんな世の中だと思います」 「…吉姫様それはどなたから聞いたことでございましょうか?己の目で確かめたのでしょうか?」  円満師匠の言葉でつい、己の言葉を詰まらせていると円満師匠は気にせず続ける。 「無論全てを見ることなぞ不可能でしょう。しかし、己の目でしかと見たことは真実であります。狭い箱庭の隅々まで見ようと、それが本当に広い世界の縮図かどうかなぞわかりもせぬ。ならば少しでも狭い箱庭よりも井戸の外の大海を知ろうとは思えませぬか?」  円満師匠の言葉はズシンと心に貯まる。 「吉姫様にはそれを理解する明晰な頭脳も、その広い世界を知る手段もありまする」  円満師匠の言葉は今までの【疑問】を消し炭にしてくれる。 「その戦術謀略を多く知る頭に、多くを望もうとしない清い心…吉姫様は、軍師に向いておられる」 「軍師ですか?」 「そう、軍師です。…今や室町幕府の権威は流星が如く失墜し、各地の大名が次の世を手に入れようと力を尽くしております。天下を手に入れる者は必ず出てきましょう…しかし、それには優れた軍師が必要でありまする」  円満師匠の助言はまさに道を示すモノだった。 「軍師に欲は要りませぬ。おのが為に奮う策は良い策とは言い切れぬからです。天下大乱の世に投げ出され誰とも何処とも知らぬ地で果てるよりももっとより良い未来はありましょうそれを探すのです」  正に目から鱗と言いたいようなそんな感情だった。  歌人も良いかもしれない、でも家族が死ぬのを遠くで見てそれを句として残すよりも大切なものを護るような道を進みたいと思った。 「…そういえば円満師匠、実は言いたいことが……」  一通りのことを話終えたのかお茶を飲む円満師匠に相談事を持ちかける。 「ん?なんじゃ?」  その相談事とは勿論姿が変わらなくなったことだった。 「…それでいつの間にか姿が変わらなくなったと?」 「はい。そうです円満師匠」  これまでのこの能力で試したことや理由として思い付くものをいくつかあげるがどれもしっくり来なかったことを語った。  そしてそれを聞いた円満師匠はこう言った。 「吉姫様は【諸行無常】と【無縄自縛】という言葉を知っておられるか?」  この問いに私は首を横に振る。 「諸行無常とはいつかは形あるもの皆変わってしまうと言うことで、無縄自縛というのは、縛る縄もないのに自らを縛る事を表す言葉じゃが…吉姫様は恐らくこの無縄自縛で諸行無常を縛っておられる」  【諸行無常】と【無縄自縛】…その二つが頭をぐるぐる回す。 「切っ掛けがわかれど、理由は分かりませぬ。こればかりはこの円満をもってしてもよくわからぬことなのです」  実力不足なのを素直に恥じる大人を久しぶりに見た気がした。  円満師匠が部屋を出ていってから私は母上の残したものを少しずつ片付けることにした。
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