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 外はもう完全な夜になっていた。 「いったい何時だよ、今」 「ちょい待って」  赤いジャンバーの内側へ潜りこんでいく手。取りだされてきたのはゲームウォッチ。松本はいろんなものを持っていた。 「六時三十五分だね」  二時間近くも話しこんでいた計算――いやでもちらつくハツの顔。目を剥き、静恵と同じ顔をする静恵の母親。札束でそいつをぶん殴るイメージが勝手にふくらんでいく。悪くない気分だった。 「それ、あれの歌か?」  耳に聞こえているのは軽やかなメロディー。気分がいいのはおれだけじゃないみたいだった。 「そう。アラレちゃんの歌。見てない?」  残念ながらテレビを見る時間がおれにはほとんどない。というより、テレビは母屋にしかない。絵が動いている画面を目にするときは、たいがいねちっこい攻撃を食らっているときだ。 「マンガ本で読んでるからな。わざわざテレビじゃ見ない。それよりあれだ、うまくいくといいな、この計画」  痛みや貧しさに怯えなくていい暮らしが明日手に入る――かもしれない。くだらなかった人生がとびっきりのそれに変わる――かもしれない。大金がバラ色の未来をおれに約束する――かも、いや、きっとそうなる。絶対になる。今夜おとなしくやられてやるのは、今までおれを殺さずにいてくれたきちがいどもへのサービス。そう思えば気も楽だった。 「ボクはうまくいく気がしてるよ。なめる?」  松本がよこしてきた飴玉を包みが巻かれたまま口にくわえた。そいつを歯で引っかけながら包みの端をつまみ、中身だけを歯の内側へと転がす――口のなか一杯に広がっていく、やさしいミルクの味と香り。舌や歯ぐきにまとわりついていた天然スパゲティーの味が強い甘みにかき消されていった。 「行き当たりばったりじゃねえもんな。うまくいくか」  松本は頭がいい。おまけに運までいいときてる。ラッキーな脳みそで練りに練った計画をおじゃんにできるのは相当に相当な馬鹿だけ。そこまでの馬鹿がいないこの計画はもう成功したようなもんだった。 「テストのときより頭使って考えたからね」  互いの右手を宙で合わせて音を鳴らす。おれたちはりんご畑から農道へ出た。  大金をつかんだらおれたちはどこへ行こう。東京? 外国? いや、もっと遠くへ行きたい。おれは黒い空を見あげた。 「なあ、銀河鉄道ってほんとにあると思うか?」 「銀河鉄道って、どっちの?」  意味がわからない。銀河鉄道は銀河鉄道だ。 「《999|スリーナイン》だよ。大宇宙を旅する夢の超特急列――」  松本がいきなり笑いだした。 「なんだよ!」 「あるわけないじゃん。あれ、マンガだよ。もしかしてサンタクロースもいると思ってる?」 「ちょっと聞いてみただけだろう。わかってんよ、んなこと」  いうんじゃなかった。口のなかの飴玉をガリガリ噛み砕いて気をまぎらせる――まぎれない。松本はまだ笑っている。 「いいかげんにしろよ、頭にくる」 「だって沢村、ガキみたいなこというんだも……」  最後までいわせなかった。松本が右手で頬を押さえておれを睨む。 「《なにすんだら|なにすんだよ》! パパにも《叩|はた》かれたことないのに!」  松本がランドセルをかなぐり捨てて跳びかかってきた。かわして後ろから足を払う。尻もちを突きそうになっている松本におれは自分のランドセルを投げつけ、ピカピカのジャンバーに蹴りをぶちこんでやった。 「ちくしょう!」  農道脇の土の上へ横倒しになる松本。すかさず馬乗りになり、右手でその首を絞める。 「や、やめ……《らず|ろよ》……」  口の動きだけで松本がいう。 「やめない」  空気を欲しがっている金魚みたいな口へ二発、パンチをぶちこむ。 「お前はおれのことを馬鹿にしてる」  《生温|なまあたた》かいものが左の拳を濡らした。体全体を右へずらし、右手と膝を使って松本の上半身を固定する。 「ちょっと……笑った《だけだずに|だけだろう》!」  手の甲に痛み。絆創膏の上=火傷のところに噛みついてきた松本。かまわず、左の拳をその腹へ叩きつける。一発、二発。顔になにか飛んできた――飴玉。ちゃちな反撃。 「頼む、もうやめてくれ……」  松本がうめく。三発めを叩きこんだとき、うめきが悲鳴に変わった。 「謝れよ」 「ご、ごめん……」 「ちゃんと謝れ」 「だから、《ごめんせってんに|ごめんていってるだろ》!」  左手で松本の両頬を平手打ちした。昔、静恵がおれをそうしたように。今夜、ハツがおれをそうするように。 「もう、お《前|め》とは《組まね|組まない》! 家出の話は《なしだら|なしだ》!」  立ちあがる。踵で松本の顎を蹴りつける。顔を踏みにじる――湿った土と闇に塗り潰されていく松本の顔。 「今さら《遅|おせ》えんだよ! てめえはもう全部おれにしゃべっちまってんだ! いいか、てめえがやらなくてもおれはやる。変な真似をすれば、おれはこの話を担任や親どもにバラす!」 「汚ねえぞ!」  松本が両手でおれの右足を殴ってくる。 「どけろよ、足!」  右足に体重を乗せた。松本の顔がひしゃげていくのをズックの底で感じる。左足で右腕を踏みつけた。言葉が《ただの》叫びになる。おれの怒りはおさまらない。右足が地面へ滑り落ちた。 「ちくしょう! 友だちじゃねえのかよ!」  自由になった口で松本が怒鳴る。 「さっきまではな」 「裏切んのか!」  腕が濡れた――足もと近くから飛んできた唾。ズックの踵を口のなかへねじこんでやる。何分か前まで友だちだった男――赤の他人が激しくもがく。 「《えうぇーっ|てめーっ》!」  素早くしゃがみこみ、髪をつかみあげた。土まみれの頭を揺さぶりながらいう。 「お前が裏切らなければおれも裏切らない」  松本が暴れるのをやめた。 「こういうことは相手が信用できねえと――」  つかんでいた髪を放して立ちあがる。 「失敗すんだよ、必ず」  倒れたまま起きあがってこない松本。そのまましゃべり続けた。 「この家出はふたりで協力してやるしかねんだ。そうだろ」  土まみれの顔をのぞきこむ――目も鼻も口もわからない。白目だけが青い宙のどこかを睨んでいた。 「だったら金はちゃんと山分け。やばいこともなにもかも、みんな半分ずつ。そうしなきゃどこかでおかしくなる。お互いを信じることができなくなる。そうなったらおしまいだ」  最初の条件=三、七の取り分を五分に。それが無理ならこの話はなし。いや、おれひとりでやる。松本が手のひらで自分の顔を拭いはじめた。 「わかった」 [*label_img*] 「立てよ」  右腕を引っぱりあげ、松本の上半身を起こしてやる。その後は自分で勝手に立ちあがった。
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