フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
 さっきから最高にいやなにおいが鼻を突いていた。 「渋いな。サワQは演歌が好きなのか?」  狭くてよくわからない通り――《霧敷川|きりしきがわ》とかいう小さなどぶ川の脇を歩いているおれたち。忠一はその手に長谷川を載っけて、にこにこ《くしゃくしゃ》やっている。この通りは街へ抜ける裏道という話だが、まだそれらしいところへは抜けていない。 「忠さん、演歌はアッシら日本人の心ですぜ」  ズル休みのためのうそ電話は本人が腹話術みたいなしゃべり方で誰かに済ませていたが、あれはきっと――いや、どう考えてもバレている。忠一はマンガみたいな考え方で生きているやつだった。 「よしゃ、そしたら次あれいこう、あれ」 「あれでやんすか!? 例の!?」 『あれ』で通じあえるふたり=サワQと忠さんは川沿いを歩きはじめてからずっと歌合戦を繰り広げていた。今は『なんちゃらひとり旅』が終わり、あれといわれてなぜ通じるのかわからない『もしもピアノがなんちゃら』を忠一が《がなり》はじめたところだ。  体のそこら中から汗が吹きだしていた――こよみを疑いたくなるほどの陽気。肩からおろしたナップサックを左手に持ち、上着を脱いでシャツだけになった。わずかに香る真奈美のにおい。脱いだそれは腰に巻きつけ、両袖をへその前に結わいてスカートのようにした。 「だけど~ぼくにぃ~はピア~ノが~ない~」  がなり声と暑さとどぶのにおいに耐えながら黙々と歩く。いつものガムを口のなかへ放りこむ。頭のなかに《沢田研二|ジュリー》の歌を無理やり流す――少しだけマシになる気分。歌を続けながら上着=ジャンバートレーナーと青い体操着をいっぺんに脱ぐ忠一。またしても黒地にオレンジ――袖が肘までのアンダーシャツ。背番号はついていない。つられてなのかQも上を一枚脱ぐ。こっちの中身はへんてこなかたちをしたブルージーンズ。たしかオーバーなんちゃらいう肩から吊るタイプのそれのなかに、これまた赤い長袖のTシャツ。派手さはジャンバーを脱ぐ前とこれっぽちも変わっていない。忠一が今度はあ~あ~やりだした。 「もうちょっと静かにやれよ」  歌声がいくらか抑えられた代わりに身振り手振りが大きくなる。舌打ちをする。それでもうるさいよりはいいと思うことにした。街までの辛抱だ。  歌が二番に入ったところで電話ボックスを見つけた。時間を確認する。真奈美と話すには気持ち早い――通過。歩く。裏道は続く。続くだけで目的の場所は見えてこない。いらついたおれはふたりを追い越して前へ出た。歌がやむ。 「サワもなんか歌えよ」 「そんなことよりお前、わざと遠まわりしてないか」  歌う代わりに文句をいった――あっさりと頷かれた。 「この時間に《中山道|なかせんどう》はまずいだろ」  中山道は国道十七号。南へ行けば東京=忠一の情報。おれとQで突っきってきた道もたぶんそれだ。人や車のうじゃうじゃしているなかを、サボり小僧どもが連れ立って歩くわけにはいかない――遠まわりについては納得。後ろから八代亜紀の出だしが聞こえてきた。 「Q、やめろ」 「なんだよ、サワ。演歌もなかなかいいもんだぞ」 「歌の種類をいってんじゃない。目立つからよせっていってんだ。なんのために裏道通ってんだよ」 「サワQの兄貴はちょっと堅いところがあるな」 「や、兄貴のいうこたぁアッシんとっちゃ《絶対|ぜってえ》なんで口ぁ閉じやす」  忠一が例の表情をやる。なにを思ってその顔をしたのかはわからない。 「あとどれぐらいなんだ」  街までの距離、時間。両方の意味で聞いた。 「二十分ぐらいだな。けど、あんまり早く着いてもしょうがないぜ」  返されてきたのは時間のみ。歌わず騒がずで歩けば半分ぐらいか。 「なんでしょうがねえんだよ」 「九時前じゃまだどこも《開|あ》いてないだろ。本屋もデパートもバッティングセンターもみんな十時からだ」  本屋はともかく、デパートやバッティングセンターに用はない。 「まあ、時間を潰す方法は考えてある。任しとけって」  できれば今日中に東京へ行きたいんだよ、おれたちは――思っても口にできないセリフ。 「のんびりしてるのはあまり好きじゃない」 「急いでなにがしたいんだよ、サワは」  これ以上しゃべってこっちの考えがバレちまっても困る。おれは無理やり話をぶった切り、歌合戦ほどやかましくない遊び――ガキらしいそれをやろうとふたりにいった。 「よし。んじゃオレからいくぞ。『運命』」 「『いんちき』」 「『き』でやんすか。そいじゃ『《金|きん》の《字|じ》』で」 「なんだそりゃ」 「金さんのことでさ。遠山の」 「なんでもありだな。忠一、『じ』だ『じ』」 「『ジャイアンツ』」 「『ツッパリハイスクールロックンロール』」 「『ル』はきついでさ、兄貴」 「んじゃお前の負けだ。《額|でこ》貸せ、額」  歌合戦の代わりにはじめたデコピン尻取り。くそほどくだらないが大声でがなられるよりはマシだ。 「やや、待っとくんなせえよ。今《考|かんげ》えてやすから」 「もう時間切れだ。食らえ」  おれと忠一のデコピンがQの額に炸裂する――と、同時にクラクション。この通りと二、三十メートル先で交差しているわりと広めの道から聞こえてきたそれ。おれたちに鳴らされたわけじゃなかった。 「かーっ、痛すぎやすぜ。《覚|おべ》えときやがれってんだ、こんちくしょう」 「おい、忠一」 「あ、またオレからか。そしたら次は――」 「そうじゃない。あれだよ、あれ」  日進の公園でも見たへんてこな車が先の道を連なって走っている。二台、三台、四台。色こそ同じだが、かたちのほうはてんでバラバラ。間に普通の車を二台挟んでさらにもう一台続く。五台めのそれは見覚えのある模様=怪物の服と同じ模様をしていた――思いだされてくる恐怖。だが、百数十キロの距離がすぐにそいつを和らげた。 「このあたりじゃ、ああいう車が流行ってんのか?」  いって、口にガムを追加する。ミントの味が最初の分と混ざりあって薄くなった――損をした気分。 「ああいうって、どういうをいってんだ?」 「あそこに――」  例の車たちはもう見えなくなっていた。 「変わったかたちのやつだよ。地面の色っていうか……腐りかけの《銀杏|ぎんなん》の色とかも混ざってる」  ひどく目立っているのに、目の前から消えるとかたちもろくに思いだせない不思議な車たち。長野でも千葉でもあの手の車は見たことがなかった。 「腐りかけの銀杏の色ってどんなだよ」  足もとから似た色の落ち葉を拾って見せた。 「自衛隊の車のことをいってるのか?」  耳に覚えのあるようなないような。Qにジエータイを知っているかと聞いた。 「へえ。まったくわからねえでさ。お次は『イ』でやんすか?」 「それはもう終わりだ」 「そいつぁねえでしょう、兄貴。アッシだけ《痛|いて》え《思|おめ》えして、丸きり損じゃねえですか」 「なにをやってるやつらだよ。そのジエータイってのは」  Qを無視して聞いた。 「国を守ってんのさ」 「あ? おまわりはあんな車乗らないだろう」 「警察じゃない。外国が攻めこんできたら戦う日本防衛軍だよ」  戦闘機。戦車。軍艦。潜水艦――頭のなかを動きまわるケンカの強い乗りものたち。 「そいつらをジエータイっていうのか」 「ああ。日進には陸上自衛隊の《駐屯地|キャンプ》があるからな。オレの父ちゃんもそこにいるんだぜ。戦車乗りだ」  なかなか格好のいい父親だと思った。 「そしたらお前んちの車もあんな感じなのか」 「ちゃんとしたシビックだよ。白い」  ジエータイは自衛隊。へんてこなかたちをしているのは敵の攻撃に備えるため。おかしな色に塗られているのは、地面や草木と見分けをつけられなくするため。つまりは目くらまし。あの色と柄はカモフラージュとか迷彩模様とか呼ぶらしい=忠一の説明。 「ナンバーが普通とちがってる理由はオレにもわかんね」 「そうか。普通の車は大宮ナンバーが多いな。このへんは」 「そりゃ大宮だからな。浦和とか熊谷のナンバーもよく見るぞ」 「《足立|あしだち》ナンバーは? あれだって埼玉だろ」 「アシダチ?」 『足で立つ』のアシダチだといってやった。 「それ《足立|あだち》な。まあまあ見るけど埼玉じゃない」 「てことは東京か?」 「ああ。練馬ナンバーもわりかし見る」  大根ナンバーが東京なのは知っている。このあたりはやっぱり目的地と近い。 「サワたち、前はどこ県にいたんだ?」 「なんでそんなこと聞いてくんだよ」  忠一の目を見る。表情を読む――異常なし。疑われているわけじゃなさそうだ。 「あんまり詳しくないみたいだからさ。埼玉とか東京とか。で、どこ県だ?」  この話の流れで『お前に関係ない』とはいいづらかった。内緒というわけにもいかないだろう。そうかといって長野や群馬と答えるのもうまくない。どこだといおうか。 「アッシぁ――」 「いい、おれが説明する――新潟だよ、新潟」 「おお。新潟って海にカニがうじゃうじゃしてるあそこか」  鍋の材料がどうなってるのか知らないが、千曲川は《新潟|そっち》へ流れこんでいる。川の行き着く先は海だ。新潟にそれは十中八九あるだろう。おれは『家の近所の海でカニとよく泳いだ』とうそをついた。 「なるほどな。それでサワはカッパで、サワQは『でやんす』ってわけか」  この国でそんな口を利くやつはめったにいない。なにかいいたげなQを目で黙らせる――忠一がそう思いたいなら、思わせておけ。話をわざわざややこしくする必要はない。  しばらく黙って歩いた。前から忠一、Q、おれの順。登校班みたいなおれたち。班長が足を止め、どこかを指差しながらいう。 「ほら。あれ見てみろよ、あれ」  あれ=ぼろぼろのでかい家。とても人が住んでいるようには見えない。 「化けもの屋敷みたいだな」 「そのとおり! 『首なしの《館|やかた》』っていってな。このあたりじゃ有名な幽霊屋敷だ。ふたりとも、首のないお化けって見たことあるか?」 「ただの化けものだって見たこたねえですよ、アッシは」 「サワは?」 ――似たやつなら《心|ここ》にいる。 「あるわけないだろ。いもしないもの、馬鹿くさい」 「いったな、サワ。じゃあ行ってみようぜ」  遊んでいる暇はなかった。 「街へ行くのが先だ」 「十時までまだ一時間以上もある」 「早く着いたら着いたで、また考えればいいだろ」 「さてはおっかないな?」  挑戦的なくしゃ顔。微妙な表情のちがいがおれにもだんだんわかってきた。 「んじゃ、行ってやるよ。とっとと案内しろ」 「勘弁しとくんなせえよ、兄貴……」 「おれじゃなくて忠一にいえ」 「なんだ、サワQ。意気地がないな」  今にも泣きだしそうなQ。サンタクロースを百パーセント信じている口だ。 「心配するな。化けものなんていやしない」 「いやすって! 《まちげえねく|まちがいなく》いやすって、もう!」 「そういうことは実際に見てからいえ。ほら、行くぞ」  Qの腕を引っぱる――びくともしない。 「ややや、だから兄貴ほんとにまじいですって。へたしたら《呪|のれ》え殺されちめえやすぜ!」 「金玉ついてんだろう」 「ついてたってねくたって、化けものぁ容赦ねえでさ!」 「わかった、わかった。いっぺんみんなで落ち着こう」 「おれは冷静だよ」 「じゃあ、サワQ落ち着け」  Qの肩に手を乗せる忠一。川岸の鉄柵まで早足でバックするQ。ごみ置き場の生ごみを漁るカラスにガムを吐きつけるおれ。 「そんなおっかねえとこ連れてかれるぐれえだったら、アッシぁこっから川ぁ飛びこんで死んでやりやすぜ!」  こんなどぶじゃ誰も死ねない。 「ごちゃごちゃいってんな。お前みたいにビビるやつがいるから化けものどもがつけあがるんだ」 「やっぱりいるんじゃねえですか!」  オバQのくせにだらしないQ。もっとも、犬ごときにビビっているオバQもあまりだらしがいいとはいえないが。 「忠さんからもなんとかいってくだせえよ!」 「オレ、いいだしっぺだしな……どうする、サワ」 「忠一が決めろよ」  結局、化けもの屋敷の探検はまた今度ということになった。 「おはよう、おばちゃん」  化けもの屋敷へ行かない代わりに連れてこられた店=メイヂ屋。ひさしの大きく張りだした駄菓子屋だ。くじゃく屋よりはいくらか広くていくらかぼろい。目についたのはびっしりと隙なく並べられたガチャガチャ。二十円のものから百円のものまで種類はいろいろだった。 「なんだここは」 「駄菓子屋さ」 「そんなものは見ればわかる。なにしに来たのか聞いてんだよ」  ガチャガチャのほかにも十円映画やルーレット、立ってやるタイプのテレビゲーム――一回五十円のそれなんかも置いてある。店の奥はごちゃごちゃしすぎていて、なにが並べてあるのかわからなかった。 「駄菓子屋へ来るのに理由なんていらないのだ」 「学校サボってんだぞ。こんなとこにいちゃまずいだろう」  小声でいう。忠一自身がやばいかどうかよりも、その巻き添えを食うことのほうが心配だった。 「なじみの店だから大丈夫さ」  なじみとかそんなものは大丈夫の理由にならない。 「さっさと街へ行くぞ。やばいのはごめんだ」 「今まで何十回もここでサボってる。学校に連絡されたことは一度もない」  意外とサボり魔の忠一。どうりで四分の三を九十パーセント以上とかいうわけだ。 「お前はそうかもしれねえけど、おれたちははじめてだ。わかんないだろう」 「オレを信用しろって――おばちゃん、もんじゃできる?」  忠一が店の奥に向かって声を張りあげる。こっちの心配ごとなんかどこ吹く風のおかまいなしだ。 〝ちょっとなんだい、もう〟  ごちゃごちゃしたなかからの声。少し後れてサンダルかなにかを引っかける音が聞こえた。 「こっちはまだ店開けたばっかだよ……あれま」  おばちゃん、登場。白い前かけをして頭にカラシ色の三角頭巾を巻いている。 「はじめて見る顔だねえ。どこの子だい?」  カラシ頭巾はおれたち――正確にはおれとQを見て目を丸くしていた。 「おばちゃん、いいからもんじゃ」 「よかないわよ、あんた。だいたい学校はどうしたのさ」  やばいふんいき。忠一の話はでたらめ――なにが信用しろだ、うそつきめ。 「おい、忠――」 「従兄弟が来たから休んだんだよ。ちゃんと学校には連絡してあるから、早くもんじゃやってってば」  取ってつけたような理由と説明。そんなもの通用するわけがない。おれはQだけ連れて逃げることにした。 「それじゃまあ、そういうことに《しとくさね|しとこうかね》」  Qと顔を見あわせる。 「そっちの子たちも食べるんだろ。具はいつもの感じでいいのかい」 「そう、いつものやつを三人前」 「あいよ。鉄板に火を入れときな」  ごちゃごちゃしたなかへ逆戻りしていくカラシ頭巾。でたらめがまんまと通用したことに驚いていると、忠一が食う場所を作るから手伝えといってきた。 「どうなってんだよ」  ガチャガチャの脇にあった小さな鉄板つきのテーブルを運びながら聞いた。 「ここのおばちゃんは金さえ使えばうるさいこといわないんだよ。ほら、あれ見てみろ」  忠一が顎で指した先には貼り紙がしてあった。Qがそれを声に出して読む。 「店に来たら三十分以内に必ず百円以上使うこと。一時間なら二百円。以後、三十分ごとに百円」 「な? がめついだろ」 「金を使わないとどうなるんだ?」 「あれで追っぱらわれる」  あれ=ひしゃくとバケツ。今どき誰もやらないようなコインゲームと赤電話の間にそいつはおさまっていた。駄菓子屋で金を使わないガキどもへの対策は全国共通ってことか。 「兄貴、アッシぁ腹が減ってねえでさ」 「おれもだ。忠一、お前だって朝飯食ったばかりだろう」 「みそ汁しか飲んでない。母ちゃん本気で片づけてやがった」  朝練をやってきて飯抜きじゃ、さすがに腹ぺこだろう。おれはふたり分のもんじゃ代二百四十円を忠一に渡し、全部食っちまってくれといった。 「もう終わり。店の釣り銭がなくなっちまうよ」  マルカワのフーセンガムを百円でひとつずつ買い、釣りをすべて十円玉でもらうことを五回やったあげくにいわれたセリフ。赤電話は百円玉が使えない――九時の電話に備えて用意した四十五枚の十円玉。普通に両替できなかったのは店のそこら中にぺたぺたやってある貼り紙のせいだった。おれはカラシ頭巾に口先だけの礼をいい、ひさしの下へ戻った。 「先、《いたでえて|いただいて》やす」 「サワもちょっとつまめよ」  そそるにおい。焦げたしょう油のそれが減ってもいない腹に勘ちがいを起こさせる。 「いい。あんまり好きじゃねんだ、それ」  キャベツと餅とベビースターのもんじゃ=ちょっとしたゲロ。そいつをようじでちびちび突いているQ。五十円分のフーセンガムをテーブルの隅に置き、それから赤電話の前へ立った。  受話器を手に取り、崩したての硬貨を放りこむ――〇、二、六、二。戻るときの動きがやたらと遅いダイヤル。いらつきながら十桁の番号をまわしきる――呼びだし音。咳払いをして唾を飲みこむ。  なぜ東京へ行っちゃまずいのか。この電話でおれはそいつを知らなきゃならない。今ならまだ埼玉だ。理由に納得できれば東京行きをやめてもいいし、迎えに来てというならもちろんそうしてもやる。  九時四分から七分になった。この間におれは三度かけなおしている。なぜ出ないのか。出るつもりがないのか。それとも出られないのか――受話器を取れ、真奈美。  二種類の悪い予感が胸をよぎる。ひとつはおまわり、怪物、学校絡み。もうひとつは……考えたくもなかった。真奈美は―― 「おれのものだぞ、武田」  心のなかだけでいったつもりだったが、終わりのほうは口に出ていた。斜め後ろに体をひねる――もんじゃの煙越しにのぞく四つの目玉。 「なんだよ」  受話器を戻していった。一枚も使われずに戻ってきた十円玉どもをポケットへしまう。 「彼女だろ」  正直に答えてやる必要はない。おれは前の学校の友だちだといった。いってから正直に答えていることに気づいた。 「うそつけ」 「うそじゃねえですよ、忠さん。兄貴は男の世界に生きてるでやんす。おなごなんかにぁ目もくれねえでさ」  それはちがった。ちがったが今はそれでいい。おれは黙っていた。Qは長谷川の口にひたすらもんじゃを運んでいる。 「そうかあ? オレは絶対彼女だと思うけどな」 「彼女だったらどうだっていうんだよ」  頭にちらつく真奈美の裸。そいつを抱きしめている武田。むなしく響き渡る電話のベル――心で見た電話線の向こう側。 「やっぱりそうか、ちくしょう」 ――ちくしょうはこっちのセリフだ。 「そうなんでやすか、兄貴」 「なんだ、弟にも内緒なのか。スケベなやつだな」  ふたりを無視して悪い予感=当たっちゃ困るそれを当たらないように、別のなにかとすげ替える。  でっちあげた予感その一/寝ている。  その二/飯を食いに出ている。  その三/気が変わって学校へ行っている。  その四/武田の意地悪で電話の線が外されている。もしくは音が鳴らないようにされている。 「……ちがうな」 「ちがわないさ。サワはスケベだ」  なんだろう。武田がやりそうなこと。考えそうなこと……思いでのペンダント。そうだ、それだ。 「なあ、サワ。彼女作るときってやっぱりその、なんだ……ドキドキしちゃうのか?」 「知らない」  武田は真奈美を連れて一日早く新しいそいつを買いに出た。そうしたわけはもちろんおれに真奈美と連絡を取らせないため。邪魔くさい真似だが、この留守に限ってはそうであってほしい。 「つきあうときって、男のほうから白状するもんなんだろ」 「だから知らねえよ。ちょっと黙っててくれ」  向かった先はおそらく長野。駅のまわりか権堂だろう。くそ、完全なデートじゃねえか――いや、それぐらいは許すか。そうなると戻りは早くても昼過ぎ。遅い場合だと……ちょっと予測がつかない。 「なんかあったでやんすか?」 「大したことじゃない」  いずれにしろ今日は一時間おき――いや、三十分おきに電話をしてやる。おれは無理やりこしらえた悪い予感で無理やりに安心してやった。 「おい、サワ。悩みか? オレでよかったら相談乗るぞ」 「いや、もう解決した」 「早いな」 「悩みってほどでもない。ちょっとした思いちがいでいらいらしてた。なんだ、好きな女でもいるのか」 「いきなりそういうこというなよ!」  見る《間|ま》に赤くなっていくくしゃ顔。まるで梅干しだ。 「いきなりもなにも、さっきからそういう話しかしてきてねえじゃねえか」 「だからって……急にやらしい話なんかできるかよ」  そんな話はしていない。どこをどう聞いたらやらしい意味になるのか。 「おなごの話なんてよしやしょうよ。もんじゃがまずくてしかたねえでさ。なあ、兄弟」  長谷川は頷かない。頷かない代わりにマルカワのフーセンガムを箱ごとやっつけようとしている。 「サワQは好きな《女子|じょし》、いないのか」 「好きだなんてとんでもねえ。あんなもの《大嫌|でえきれ》えでさ」  なにがあったのか知らないが、Qは女が好きじゃない。そのへんに興味を持たないことが男らしいと思いこんでいるようにも見える。 「なんでだ?」 「なんでもでやんす」  それに引き換え、おれと忠一のだらしないことといったらない。反省だ。 「ほら、あんたたち。食べたらとっとと片づける。そこに書いてあるだろ」  タバコをくわえたカラシ頭巾が板壁のほうへ顎をくいっとやる。 「どれのことでやんすかね」 「ぱっと見じゃわかんねえな」  わんさと貼りつけられた書きつけ。端から順番に読んでいった。  両替お断り。  瓶の持ち帰り厳禁。  当たりはその日のうちに交換(後日無効)  たかり・かつあげ・万引き→一発逮捕(金額の大小関係なし)  鉄板・コンロを使った後はきれいに拭いてもとの位置。 「これか」  いわれたことを済ませ、ごちゃついた店のなかを見てまわる。Qはカラシ頭巾に捕まり、長谷川についてあれこれ聞かれていた。 「なに亀かはわかりゃせん」  ふ菓子、十円ヨーグルト、猫瓶に入れられた飴、シャボン玉セット、色紙、ブリキのピストルと紙巻きの火薬、ガンダムのプラモデル、色の並びがおかしいルービックキューブ、ヨーヨー、ベーゴマ、軍人将棋ときて、ガラス戸つきの仕切り棚。中身は玉子ボーロ、カレーあられ、鈴カステラ、かりん糖、こんぺい糖。それ以外の菓子は名前がわからない。今どき珍しい量り売りだ。 「あんた江戸っ子かい?」 「新潟っ子でやんす」 「新潟? 越後の生まれでそれかい?」 「越後屋は悪りいやつでさ。アッシぁあいつらたぁ縁もゆかりもありゃんせん」  へんてこなやり取りの横で忠一がいんちきキューブの見本をカチャカチャやりはじめる――一面すら怪しい指さばき。 「見てらんねえな。貸してみろ」  秒のデジタル表示ゼロでスタート。取りあげたそれを白の完全一面で揃える――ここまで二十秒。まがいものだけあって、動きに滑らかさがない。 「速いな。よし、バラバラにしてオレにもやらせてくれ」 「まだ全部揃ってないだろう」 「全部って、サワ六面いけるのか!?」  側面二段をやっつけて反対面の十字――赤のそれに取りかかる。本物ならそこは青になるはずだったが、気にせずに指を動かした。 「これはそういうパズルだ」  キューブをひとつ揃えるたびに横で忠一が声をあげる。ラッキーパターンが続いたおかげで表裏の二面まではかなりの手順を省けた。 「すげえ! ほとんどできてる!」  しあげに入る――赤面の横キューブ入れ替え作業。運がよければここも一発で揃う。 「こんな感じだな」  自分の最高記録=一分三十二秒に迫る勢いで《完成|フィニッシュ》。キューブの滑りがよければ二十秒台を狙えたかもしれない。 「お前、天才だろ!」 「《当たり前|あたりめえ》でさ! なめてもらっちゃ困りやすぜ!」  まるで自分ごとのように得意がるQ。悪い気はしない。 「パターンがあるんだよ。そいつを七つかそこら覚えちまえばどんな馬鹿でも揃えられる」 「それでも大したもんだよ、あんた」  カラシ頭巾まで一緒になって人のことを褒めてきた。 「クラスでひとり六面できるやついるけど、そいつめちゃくちゃ頭いいぞ」 「たまたまだろ。頭のデキはほんとに関係ない」 「じゃあじゃあ、そのパターンとかいうのを教えてくれ!」  揃えたばかりのキューブを親の敵のようにバラしていく忠一。白い煙=タバコのそれがおれたちを包んだ。 「はい、ストップ。あんたたち盛りあがんのはいいけど、やるならちゃんと買ってからにしとくれ」 「いいじゃんかよ、別に」  忠一の抗議――たぶん、無駄な抵抗。おれとQは黙っていた。腰に手を当てたカラシ頭巾が渋い顔をする。 「だめだめ。見本でタダ遊びさせるほどうちは甘かないよ。それよりあんたたち、そろそろ百円使いな。時間だよ」 「どうするかな……」  ケースに入れられたキューブを手に取り、値段のシールとにらめっこをする忠一。 「おい、買う気かよ。安くないぞ」  千九百八十円――まがいもののくせに値段だけは一丁前。だいたいこいつが流行ったのは去年だ。そんなものを今さら買おうとしている忠一も忠一だが、それをまともな値段で売ろうとしている店もどうかしている。 「三十円ぐらいなら負けてやるさね」  こんな滑りの悪いいんちきキューブに千九百五十円も払う馬鹿はいない――と、思いたい。 「お得だな。ますます欲しくなってきたぞ」  おれの読みをいとも簡単にはずしてくれる忠一――案の定といえば案の定。ため息が出た。 「三人でお金出しあって買えばいいじゃないのさ。そうすりゃうちは昼まで文句いわないよ」 「子供相手に駆け引きかよ、おばちゃん」 「人聞きの悪いこというもんじゃないよ。いいかい。あんたたちは客。こっちは商売。どこが駆け引きなもんかね。さあ、ひとり六百五十円。とっとと決めとくれ。あたしゃ金を使わない子と納豆がこの世で一番嫌いさね」  がめつさが顔をのぞかせる。おまけに口も悪くて計算も速いカラシ頭巾。いやな感じだ。 「行こうぜ。長居してもしょうがない」  Qに顎をしゃくり、ひさしのほうへと歩いていく。学生服を着た馬鹿そうなやつらと目が合った――こいつらもサボりか。 「よし買った」  店のなかへとんぼ返り。《YG|ワイジー》マークの財布を広げようとする手をつかんで止めた。 「よせって。まがいもんだぞ、それ。買うなら街の――」 「毎度あり。あんたは余計なこといわないの」  伊藤博文が一枚、岩倉具視が二枚、前かけのポケットに消えていく。忠一は釣りに十円を足し、おれにベビースターをふた袋買ってよこした。 「ほい、もんじゃの代わり」  オレンジ色の小袋を受け取る。ひとつはその場でやっつけにかかり、ひとつはQにやった。 「だけど馬鹿だな、お前。なんでちゃんとした店で買わないんだ」 「いいんだよ。オレはこのキューブが気にいったんだ。だからちゃんと六面、教えてくれよ」  昼過ぎにはもうこの街にいない。おれは頷きながら、心で『残念だけど』といった。 「やあ、ミヤくん」  馬鹿そうなやつらのうちのひとりがこっちに声をかけてきた。 「おう、久しぶり」  顔見知りのやり取り。いざこざは起きそうにない――ひと安心。二中はどうの、四中はこうだのと話しているところをみると、忠一とはちがう学校のやつらなんだろう。ふんいきだけで判断するなら、小学校のときの同級生かなにか――そんな感じだ。 「紹介するわ。こっちが兄貴の沢村チュウイチ。オレはサワって呼んでる。で、向こうが弟のサワQ」  どっちもにせものの名前――なかなか逃亡犯らしくなってきたおれたち。小袋の中身を残らず口のなかへぶちまける。伸ばされてきた手はさりげなく無視した。 「サワ。こいつは《塩原|しおばら》っていって、オレの――」 「いいよ、別に」 [*label_img*]  出ていく街にこれ以上知りあいを作ってもしかたがない。おれは忠一たちのそばを離れ、店の奥へと進んだ。 「それ、全部百円玉?」  セロハン巻きにされた硬貨のかたまりを、あがりかまちの角でガシガシやっているカラシ頭巾に聞いた。 「そうだよ。百円が百枚。一万円だわね」 「それ一本の重さってどれぐらい?」 「あんたも変なこと聞いてくるねえ」  カラシ頭巾がそいつを手のひらに乗せ、二、三度揺らす――百二十八《匁|もんめ》。 「もんめ?」 「ちょっと待ってなよ……っと、四百八十グラムっていえばわかるかい」 ――普通にいえるなら最初からそういえよ、最初から。 「もっとちゃんと量ってくんないかな」  見開かれる目。しばらくして舌打ちが聞こえた。他人にそいつをやられるとなんだかやたらと気分が悪い。 「あんたね。あたしゃ目方と釣り銭はまちがえたことがないんだよ。なんだったらそれで量ってみるかい」  それ=量り売り用の《秤|はかり》――上皿つき。二キロまで目盛りが振ってある。頷いた。 「まったく……ほら、よく見てな」  針はカラシ頭巾の言葉どおり、ぴたりとその位置で止まった。 「すごいな、おばさん」 「人間誰しも得意のひとつやふたつはあるもんさ。あんただってそうだろ」  両手で透明のキューブをいじくるカラシ頭巾。まあ、おれの得意はひとつやふたつじゃないが。  電卓を十秒だけ借り、礼をいって店を出た――建物の裏手にある便所。大便用の個室で小便をしながら札を数える――四十二枚の伊藤博文。そいつらをひとまとめにして尻のポケットへ押しこみ、小便を出しきり、鼻をかんで唾を吐いて、それから便所を出た。 「おい」  道とひさしの境でQを呼ぶ――無視、というよりは無我夢中。忠一は忠一で赤電話の脇へしゃがみこみ、《くしゃっと》していない顔つきでひたすらまがいものをこねくりまわしている。ほかのやつらは全員テレビゲームの前だ。 「おい、Q」  忠一以外のやつらがこっちを向く。ちょっと来い――首の動きでQにいった。 「アッシみてえな格好してやすぜ、あのなかのおっさん」 「おっさん?」  二台あるゲームのうちの一台――樽とゴリラとヒゲじじいの絵が描かれたそれを指差すQ。 「ヒゲジュニアたぁあれのことだったでやんすね」 「ああ。そっくりだろ」 「どうせならマリオっていってくだせえよ」 「なんだそりゃ」 「ヒゲのおっさんの《名前|なめえ》で。操り人形のことをマリオネットとかいうらしいでさ。お《兄|あに》ぃさんたちに《教|おせ》てもれえやした」  ひさしの外=自動販売機がわんさか並んでいるあたりまでQを引っぱっていく。 「な、なんでやすか」 「あんまりあいつらと口を利くな」 「またどうして?」 「顔を覚えられると厄介だ。なんとなく逃げづらくなる気がする」 「お兄ぃさんたちぁ役人じゃありやせんぜ」 「おまわりんとこへちくりに行くことはできる」 「まさか。忠さんの知りええじゃねえですか」 「おれたちの知りあいってわけじゃない」 「そりゃそうかわかりやせんけど……」  人なんてものは信用しないに限る。おれはこの旅でそいつをいやというほど知った。 「とにかく余計な知りあいは作るな。邪魔にはなっても助けてくれることなんてまずない。ついでにいうとおれの悪い勘はよく当たる」 「さいでやすか。まあ、兄貴がそうしろてえなら《従|したげ》えやすよ、アッシは」 「そしたらこいつを渡しとく」  尻ポケットに用意しておいた札の束=千円札四十二枚をその手に握らせる。 「なんでやすか、これぁ」 「多いと思うなら思った分だけ返せ」 「意味がわからねえでさ」 「タイヤのやつらにくれてやった分だよ」  百円玉百枚で四百八十グラム。二キロは二千グラム。割り算すると四で余りがちょっと。つまり四万といくらか。 「はあ……いやでも、こんなにはなかったと思えやすけどね。てえかその《前|めえ》になんで親……兄貴がそいつをアッシに?」 「おれたちは招き猫のおかげで救われたところがある。さっきのデコピンじゃねえけど、自分だけ損したんじゃわりに合わないだろ」 「それとこれたぁ……」 「まあ、必要ないならこっちへよこせ」 「やや、とんでもなく必要でさ」 「ならさっさとしまえ」 「へ、へえ。そいじゃ、ありがたく」 「無駄づかいすんなよ」  Qは千円札の束を半分ずつにして左右のポケットへとしまった。 「あの……」 「なんだ」 「ひょっとしてアッシぁこれだけで五年間生きてかなきゃなんねんですかね?」  四万二千円割る五年=年に一万も使えない。無理に決まっている。 「やれるもんならやってみろ」 「兄貴……」 「心配するな。飯のことはこっちで面倒みてやる。そういう約束だ」 「かたじけねえです」 「その代わり――」  かっぱらいの片棒を担げよ――そいつをいう前に、かっぱらいをしたことがあるかどうかを聞いた。 「ねえでやす」 「一度もか」 「へえ。今朝のチャリンコが生まれてはじめてのかっぱらいでさ。なんでそんなこと聞くんで?」 「これから毎日それをやるからだよ」  引きつり顔。右目の下のけいれんが特にひどい。 「やや、ちいと待っとくんなせえよ。強盗なんてア、アッシにぁ無理でさ」 「強盗じゃねえよ。店でやるかっぱらいだ。金を盗るわけじゃない」 「……っと、つまりあれでやすか、万引きってやつで?」 「ああ。強盗よりもずっと簡単だ」 「ややや、アッシにぁ簡単じゃねえですって」  思ってもいなかった抵抗。やったことのないそれにビビっちまうのもわからなくはないが、実際に金が足りない以上、そこはおれの考えに従ってもらうしかない。 「すいやせんが、そればっかりは勘弁してもれえ――」 「そうか。なら、飯代は一日百円だ」 「そんな、丸がひとつばっか足んねでやんすよ、兄貴。いってえなんだってそんな《毎日|めえにち》かっぱらいなんか――」  おれたちを呼ぶ声=忠一のそれ。今行く、と返した。 「飯が《ただ》じゃない話はしたな。覚えてんだろ。かっぱらいは節約のためだ。食いものや着るものにいちいち金なんか使ってられない」 「へえ……」  下痢を我慢しているような顔つき。金のあるやつとするかっぱらいの旅か、それとも飲まず食わずのひとり旅か。頭のなかじゃふたつの未来がシーソーしているにちがいない。 「やっぱりアッシに泥棒の真似ぁ――」 「消えろ」 「兄貴ぃ……」 「消えろっていってるんだ。さっきやった金はくれてやる。行け」 「やや、そらちぃと待っとくんなし」  飯は食う。だけどやばいことはしたくない。この旅にそんな理屈は通らない。 「おれたちは旅行をしてるんじゃない。逃げてるんだ。金を底つかせるわけにはいかねんだよ」 「わかってやすけど、急にそんな……心《ん|の》準備ってやつがいりやすって」 「先のことも金のことも考えなしに家を飛びだしてきたやつがなにいってやがる。笑わせんな」 〝サワサワQ~〟  うるさい案内人。ちょっとぐらい黙っていられないのか。 「まあ、お前はおれとちがってまだ追われちゃいない。夜までは探されもしない。不幸中の……さいわいってやつだな。このままおとなしく松井田へ帰れば、なにもなかったのと同じだ」 「《口答|くちごて》えするみてえでなんですが兄貴、そっちんのほうの腹ぁタイヤんなかで括ってまさ」 「括るならそっちもこっちもセットで括れ」  再びの下痢顔。なかなかじれったいやつだ。 「あの……アッシぁ《実際|じっせえ》どんなことすりゃいいんで?」  かっぱらい役と見張り役。どっちが大変かは考えるまでもない。Qにやらせるのは楽なほうだが、ここじゃまだそいつをいいたくなかった。旅に対するこいつの覚悟をおれは知りたい。 「状況で変わるな」 「兄貴」 「なんだ」 「アッシぁ《おとり》とか捨て駒とか、そんなんじゃねえですよね」  目くらましはそれに入るのか。入るとしたらふたつのうちのどっちなのか――どっちにも入りそうだった。 「当たり前だろ」  うそをつく――じわっと広がるガキらしい笑顔。 「煮るなり焼くなり好きにしてくだせえ」  Qはもう笑っちゃいなかった。心を決めた目がおれに向かって飛んでくる。 「口先だけじゃねえだろうな」 「へえ。ちゃんとセットで腹括りやした。《そのかし|そのかわり》ケンカのやり方も早いとこ《教|おせ》えとくんなし」 「街へ出たら頑丈で切れ味のいいカッターをプレゼントしてやる」  今度はにやりとするQ――悪いやつの顔つき。鏡を見ているようだった。  店に戻って電話を使った――またしても無視。もしくは留守。舌打ちをする。フックをぶっ叩く。誰かと話している忠一に催促をする――街へは行かないのか。 「まだ早い」 「早くない。もう九時四十分――」 「おっと、ごめんよ」  塩原とかいう馬鹿中学生がおれに軽くぶつかってきた。わざとだ。話の邪魔をされた腹いせか。睨みつけるとそいつはすぐに目を逸らし、もとの仲間のところへ戻っていった――ふん、根性なしめ。 「《メイヂ屋|ここ》だって街案内のうちだ。ちゃんとなじみになっとけよ」 「もうなった。そしてこの店がサボりやすいのもよくわかった。だから次だ」 「じゃあ、こいつを教えてくれ」  ふくらんだ学生ズボンのポケットからまがいものの新品キューブが登場する。完全じゃない赤の一面が揃っていた。 「それは後に――」 「ほら、どいたどいた。邪魔だよ、あんたたち」  昼までいられる権利を持っているおれたちを邪魔者扱いするカラシ頭巾。タバコをまとめて十個買っていく客のほうが大事らしい。 「お、おい、なにすんだよ!」  忠一の手からキューブを素早く取りあげる。 「パターンが知りたいんだろ。街へ向かいながら教えてやる」  薄着の《由美|ゆみ》かおるに見送られながらメイヂ屋を出る――ひさしの下から日射しのなかへ。Qは素直についてきていた。目の前の通りを例のへんてこな車が過ぎていく。色もかたちも今度はしっかりと覚えてやった。
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行