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 大陸歴一七九六年、十二月一日。  あと一週間で、エレインは正式に十六歳となる。ユーファリアでは公的に数え年を使うことが多いため、エレインは数え年では十七歳である。前世の桜子の年齢と合わせると、三十九年間も生きてきたことになる。  私、けっこうおばさんだった。桜子ことエレインは若干落ち込む。  執務室の窓から見える外の風景は、木枯らしが葉の落ちた木々を揺らし、遠くに広がる田園は緑が薄くなっている。道と放牧地を区切る低木は濃緑色を維持しており、コントラストがはっきりとしてきた気がする。  その土路を、一台の馬車が《黒曜館|こくようかん》へ向けて走ってくる。  エレインは呟く。 「《世界の目よ|ムンディ・オクルス》、《明らかにせよ|オクロアエ》」  その瞬間、エレインの視野が馬車の中まで広がる。  馬車の中には、アラステアが乗っていた。何やら神妙な面持ちで、伝説の剣レギナスグラディオを杖に真正面を見据えている。  これは何かあったな。エレインはそう察し、魔法を解除して玄関へ向かう。  五分とかからず、馬車は《黒曜館|こくようかん》に到着した。  アラステアが馬車から降りてくる。待ち構えていたエレインは、ぺこりと頭を下げた。 「お帰りなさい、アルさん」 「あ……エルさん」  言われ慣れていないのか、アラステアは恥ずかしげに「ただいま」と言う。 「って、それよりも! 大丈夫でしたか!?」  アラステアはいきなりエレインの肩を掴んで叫ぶ。 「な、何がでしょうか?」 「魔王と戦ったと聞きました! 何でも、超極大魔法を使ったとか……《大魔道師|マグナス・マギ》が卒倒しかけていましたよ!」 「ああ、あれはちょっとしたじゃれ合いみたいなものです。お気になさらず」  実際、殺すつもりでやったが殺せなかった、と言うのも乙女として何なので、エレインは言葉を濁した。  アラステアはホッと一安心——したかと思うと、またエレインの肩を揺さぶって尋ねてきた。 「それもありますけど! 他の領で山賊が出たという話を聞いて、急いで戻ってきたのです! ディヴァーン領は大丈夫ですか!?」 「だ、大丈夫、です! アルさん、落ち着いて!」  その言葉で、やっとアラステアは落ち着きを取り戻し、エレインから手を離した。 「すみません、つい心配で……この領は豊かになってきましたから、山賊に狙われるのではないかと、気が気でならなかったのです」 「ご心配、痛み入ります。一応、私が《警戒魔法|ウィギランティア》を使って不審者の侵入を見ていますので、安心してください。それに」 「それに?」 「勇者アラステアがディヴァーン領にいた、というだけで、山賊なんて近づいてきません。ありがとうございます、アルさん」  エレインは微笑む。実際、アラステアがこの領にいるというだけで様々な直接的、間接的恩恵に与ることができるのだから、勇者様々だ。  さすがのアラステアも、そこまでは気が回っていなかったらしく、赤面して俯いた。 「そうですか……僕はてっきり、山賊が暴れていて危険だろうから、討伐する気満々でした。戦わずに済めばそれに越したことはありませんよね」  アラステアは嬉しそうだ。それもそのはずだ。彼はなりたくて勇者になったわけではないし、確か剣術も勇者になってから訓練したものらしい。剣術に詳しくないエレインにアラステアの強さはよく分からないが、血を流さずに済むなら願ってもないことだ。そしてその認識を共有できたことをエレインは嬉しく思う。 「さあ、中に入ってお茶にしましょう」 「はい、ありがとうございます」  アラステアは馬車の御者に王都へ戻るよう手間賃を払うと、エレインとともに《黒曜館|こくようかん》へ入っていった。  メイドにお茶と菓子を頼むと、エレインとアラステアは食堂で話に花を咲かす。  何でも、西ユーファリア王国近衛騎士団の入団式は現王城の中央庭園に民間人が入れる唯一の機会で、人混みでごった返していたとか、閲兵式ではアラステアは国王の隣に座って近衛騎士団長と挨拶を交わしただとか、レギナスグラディオに頼らない剣術を近衛騎士団長直々に教えてもらっただとか、アラステアは少年のような快活さで話をする。  エレインは逐一相槌を打ちながら、話を真剣に聞いていく。王都の、それも現王城の話はエレインもあまり知らないことから、新鮮だった。  それから、アラステアはエクリア村の義兄について、結婚話が持ち上がったことをエレインに報告した。 「僕が一人前になって帰ってきたから、《義兄|あに》も身を固める決意をしたらしく……本当に、エルさんには頭が上がりません」 「私は何もしていませんよ。アルさんがご立派になって凱旋されたから、話が上手い方向に進んだのでしょう。ご結婚されたら、何かお祝いの品を贈らなくてはなりませんね」 「ええ、そうですね」  くすくす、とエレインは微笑む。アラステアはまるで祝いの品を強請ったように聞こえる言葉だったことに気づき、頬を紅潮させた。 「す、すみません、そんなつもりで言ったわけじゃ」 「分かっていますよ。さあ、お茶にしましょう」  ちょうどお茶が運ばれてきた。エレインはアラステアをからかいながら、午後のお茶を楽しんだ。 ☆  大陸歴一七九六年、十二月七日。  エレインの朝は早い。  日の出とともに起き、身支度を軽く整え、朝食を摂りながら王都から取り寄せた新聞を読む。  郵便配達がまとめて朝九時ごろに届くので、逐一チェックして返事を書く。  これだけですでに昼前になる。  昼食を食べながら羊皮紙に陳情を書き、まとめて王都へ送り出す。  午後一時、領地の視察に出る。三〜五ヶ所程度回ったら日が暮れ始めるので、《転移魔法|モビリス》を使って《黒曜館|こくようかん》に戻る。同じころ、アラステアも戻ってきて、一緒に夕食を摂る。  そして——。  エレインが執務室で帳簿の計算をしているときだった。  執務室の扉がコンコンコン、と三回ノックされる。「どうぞ」とエレインは声をかけた。  入ってきたのは、アラステアと五人の使用人たちだった。何事か、とエレインが思っていると、皆は口を揃えてこう言った。 「十六歳のお誕生日、おめでとうございます!」  そう言えば、そうだった。日々が多忙すぎて、エレインはすっかり忘れてしまっていた。ああ、今世は自宅の城にいたころには祝ってもらっていたが、前世の桜子のころは誕生日を祝ってもらったことがなかったから、ついうっかりだ。  彼らは誕生日ケーキと、ささやかな贈り物をそれぞれが用意してくれていた。中年の女性メイドは大量のクッキーを、若い女性メイドは手編みのカラフルな手袋を、三人の男性使用人たちは手作りの大型リースを、そしてアラステアは王都で買ったという《風信子|ヒヤシンス》石のネックレスをプレゼントしてくれた。  エレインは嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、涙まで出てしまった。  皆は慌ててエレインに駆け寄る。 「うぅ……皆さん、ありがとう、ございますっ!」  こんなに赤の他人に大事にされたのは、生まれて初めてだ。自宅の城にいたころは皆が家族で、メイドたちもその一員だった。粛々と祝ってもらっていたのを思い出す。  でも、前世では、一度も誰かから祝ってもらったことなんてなかった。確か、青梅桜子の誕生日は四月の三十日生まれだったと思う。死んだ日は三月二十三日だとはっきり覚えているのに、生まれた日を覚えていないなんて何だかおかしい。  幸せだな。どうしてこんなに幸せなんだろう。まるで、前世が嘘みたいだ。前世なんてなかったんじゃないか、と思ってしまうほど、今世は幸せの連続だ。  皆でケーキを切り分け、歌を歌いながら食べる。このときばかりは無礼講だ。  宴は夜遅くまで続いた。皆が自室に帰った後、寝間着に着替えたエレインは、外を見る。  満月だった。冬の空は星が一段と輝き、満月の明かりをぼかす。  エレインが生まれた日は、流星雨の降る日だったという。国中でもその日の晩、流星雨の時間帯に生まれたのはエレインただ一人であり、まるで流星に祝福されたかのように星の痣を持って生まれた。  あの目が三つ、腕が六本の美女の神様は、希望のなかった私に加護を与えてくれると言った。この魔法の才能が加護だと言うのなら、幸せな家庭で生まれ育ったことも定められた運命だとしたら。  前世の青梅桜子は、なんと不幸だったことだろう。  エレインは頭を振った。今の私は青梅桜子じゃない、エレイン・ディクスンだ。不幸な過去は忘れられないけれど、幸せな今は積み上げていける。  エレインはそう思いながら、天蓋付きのベッドに潜り込んだ。  夢だ。  青一色の空、地平線まで続く白亜の大地。  これで三度目、そして現れるのは——。 「久しぶりですね」  三つ目に六本腕の美女の神様だ。柔和な笑みを湛え、黄金色の三つの瞳はエレインをまっすぐ見つめてくる。 「お久しぶりです。あなたにもらった加護で、私は幸せな人生を送っています」 「そうですか。それは何よりのこと。ですが、勘違いをしてはいけません」 「?」 「運命は自らの力で切り拓くものです。あなたの場合は、あなたが努力したからこそ、その幸せな人生がある。私の加護はただのきっかけに過ぎません。これまで幾人もの人間に加護を授けてきましたが、必ずしも幸せな人生を送ったとは限らないのです。あなたの人生も、魔道師として大成することは分かっていますが、これからの人生が幸せであるかまでは分かりません。ゆめゆめ、努力を怠らぬよう、心がけなさい」  ピシャリ、と神様は忠告してきた。言われなくとも、努力なら誰にも負けない。根性でW大学に現役合格した青梅桜子の経験と自信が、エレインの行動力に繋がっているのだから。 「分かっているようですね。安心しました」 「ありがとうございます、神様。でも、青梅桜子を否定しないで。不幸だったけれど、あれも私だから。努力して努力して、不幸な人生を生きた私もいるんだから」 「……そうですね。失礼をしました」  六本腕の神様は頭を下げる。 「青梅桜子、いえ、エレイン・ディクスン。私が関与できるのはここまで、どうか幸せにおなりなさい」 「もう会えないの?」 「また会える日も来るでしょう。そのときまで、一時の別れです」  エレインの視界が暗転する。  最後に見た神様の姿は、目を閉じ、祈るように対の腕を合わせた姿だった。 ☆  大陸歴一七九六年、十二月八日。  誕生日の宴から一夜明け、クィンシーがやってきた。 「やあ、お久しぶりです、エルさん」  大量の荷馬車を引き連れて、クィンシーはディヴァーン領内での商売の許可が欲しいと願い出てきた。  これに対し、エレインは快諾した。少なくとも、クィンシーは暴利を貪るようなことはしないし、無知な村人に対しても公正な価格での取引を行う。許可状をすぐに発行すると、クィンシーの部下たちは商品を積んだ荷馬車とともに方々へ散っていく。クィンシーはクルナの街で商売をするらしく、エレインは逗留のため《黒曜館|こくようかん》の一室を貸し出すこととした。  そして、クィンシーはエレインに誕生日祝いということである品物を贈ってくれた。 「これはラピスラズリという東の山脈で採れる青金色の石です。普段はバラジェから輸入するのですが、今回は直接採掘権を得た山から採ってきました。イヤリングに加工してみましたので、どうぞ」 「そんな、こんな高価なものを」 「大丈夫ですよ、かかったのは加工費くらいで僕が採掘したものですから」 「採掘したんですか?」 「さすがに坑道の奥には入らせてもらえませんでしたので、近場で拾ったものですけどね。それでも、宝石としては十分な価値があると思いますよ」 「宝石としての価値よりも、あなたからの誕生日の贈り物ということが何よりも嬉しいです。わざわざありがとうございます」 「ははは、喜んでもらえてよかった」  エレインはさっそく、イヤリングを身に着ける。ダークブロンドの髪を耳にかけ、一つずつ耳たぶに嵌めていく。  クィンシーはその様子を見て、目を細めていた。  やがて着け終えると、エレインが首を動かすたび青金色のイヤリングが揺れる。 「似合っていますよ」 「そうですか? でも、私にはもったいない気がしますね」 「そんなことはありませんよ。いつでも肌身離さず着けておいてくださいね、魔除けの効果もあるそうですから」  クィンシーは大真面目にそう言う。まるでエレインがいつも災厄に見舞われているようではないか。 「……あなたと魔王との対決を目の当たりにした身としては、少しでも危険を避けていただきたいんですよ」 「それは……まあ、そんなこともありますよ」 「あんなこと、あなた以外できませんよ! もうしないでくださいね、心配しますから!」  クィンシーに説教をされてしまった。確かに、超極大魔法を使ってしまったのは軽率だったとエレインも反省している。あの次の日は魔法痛で右手が上がらなかったくらいだ。 「次は一撃で仕留められるよう、魔法を磨かないと」 「次を避けてください、お願いですから」  クィンシーの懇願に、エレインは折れた。なるべく次はないようにする、と約束した。 「分かってくださればいいんです。ああ、《大魔道師|マグナス・マギ》殿とご家族から、グリーディングカードとプレゼントを預かってきていますよ」  そう言って、クィンシーはカバンの中から分厚い手紙の束と魔道書を三冊取り出す。  誕生日プレゼントに魔道書とは、さすが家族だ、よく分かっている。エレインは感心した。  分厚い手紙の大半は祖父からのものだった。超極大魔法をどのように使ったのか、威力はどの程度だったのか、魔王にどれほどのダメージを与えたのか、反動は……など、少なくとも時候の挨拶に書くような内容ではないことばかりだった。父母からは普通の手紙とグリーディングカードだ。 「魔道書は私が手配して手に入れたものです。王都で新発売されたばかりですから、しばらく楽しめると思いますよ」  丁寧な装丁の魔道書は、三冊一セットのものだった。タイトルは『大魔法の簡略化と効果限定化について』。実用書だな、とエレインは思った。  とにかく、祖父や父母には手紙の返事をしなければならない。クィンシーに頼んでもいいか、と尋ねると、快く応じてくれた。  さっそく、エレインは羽ペンを取る。少し誤魔化しながら筆を走らせていると、クィンシーが尋ねてきた。 「そう言えば、エルさんは婚約者がいないとおっしゃっていましたが、本当にそうなんですか?」 「ええ、本当ですよ。《大魔道師|マグナス・マギ》の孫で、こんな領地経営もやっている変わり者ですから、殿方も近づいてはきません」 「もったいない話ですね。王都に行けば選り取り見取りですよ」 「王都に留まるような殿方は、私とは合いませんよ」 「ははっ、そうかもしれませんね。エルさんの行動力についていける男性でないと」 「あと、魔王はお断りです」 「普通そうだと思います」  冷静なツッコミだ。クィンシーにはツッコミの才能があるのかもしれない。  そうこうしているうちに、父母への手紙と祖父への報告書が書きあがった。エレインはそれぞれ封筒に入れ、封蝋を押す。  あとはクィンシーに託すだけだ。 「お願いします」 「はい、承りました。一週間後には王都に戻りますので、そのときにお渡ししておきます」 「分かりました。何から何まで、ありがとうございます」 「いえいえ。商人としてディヴァーン領では儲けさせてもらっていますから、この程度お安い御用ですよ」  それでも、そこまでやってくれる商人はなかなかいないとエレインは思う。  ああ、そうだ、忘れていた。 「クィンさん、一つお願いがあるんですけれども」 「何でしょう?」 「魔王のところにも出入りしているんですよね? 次行く機会があれば、今から書くグリーディングカードを渡してほしくて」 「魔王陛下に!? い、いいんですか?」 「まあ、超極大魔法を撃ち込んだお詫びと言いますか、あれは大人げなかったな、と思って」 「はい、そうですね」  やはりクィンシーはいいツッコミをする。エレインはさっさと短文を認め、封筒に入れて糊で貼る。あの魔王には封蝋すらもったいない。  とにもかくにも、魔王へのグリーディングカードを認めたエレインは、クィンシーに託した。《黒曜館|こくようかん》地下にある魔法陣を使えば、一瞬でバラジェ魔王国王都バラジェニカに辿り着けるのだが、クィンシーもあえてそこは指摘しなかった。  しかし、こうして時候の挨拶の手紙を書いていると、季節が変わったことを実感する。  冬至の祭りのころには、また家族に手紙を出そう。  エレインはそう心に決めた。 ☆  大陸歴一七九六年、十二月八日。  夜、すでに使用人たちが寝静まったころ。  執務室で経理の事務をしていたエレインのもとへ、駆けつけてくる足音がする。  そう思っていると、案の定執務室の扉がバーンと開かれた。 「ふはははは! 来てやったぞエル!」  フルストが姿を現した。この魔王、地下の魔法陣から勝手に人の家に上がり込んでくる。 「お帰りはそちらです、陛下」 「何、恥ずかしがることはないぞ! 昨日はお前の誕生日だったと言うではないか! 俺としたことが魔法で知らなければ一日以上遅れてしまうところだったぞ!」  遅れていいです。というか、そんなことのために《知悉魔法|レヌンティオ》を使うな。エレインは心の中で愚痴る。 「お前にはこれをやろう。女には宝飾品と相場が決まっているが、お前に限ってはこの俺の書いた新作『二元素魔法体系詳説図』のほうが喜ぶと思ってな!」  そうだった。この魔王、意外にもインテリで、魔法に関する本を何冊も書いている。しかも分かりやすいと来た。  エレインは羞恥心よりも知識欲のほうが勝った。 「……ください」 「ほう?」 「その本、ください」 「いいだろう! 特別にサインをしておいた、大事にしろ!」  サインはいらない。中身だけあればいい。あとで消しておこう。  フルストはエレインに『二元素魔法体系詳説図』を手渡す。ずっしり重い。 「では陛下、お帰りはそちらです」 「何、せっかく来たのだから、話でもしようではないか」 「私は仕事が忙しいのです。陛下がお一人で喋っている分には文句は言いません」 「ではそうしてやろう。そもそも二元素というのは、光と闇だという認識が一般的だが」  ぴくり、とエレインの耳が動く。  フルストは続ける。 「俺に言わせてみれば、光は熱であり、闇は重さだ。実際に光魔法を使ってみると分かるが、光には必ず熱が伴う。もちろん、そうしない方法もなくはないが、ほんの一部だ。あるいは熱によって光が生み出されているのかもしれないが、一般的な魔法の組み方ではその部分を省略しているため、熱の認識がないのだろう」  エレインの羽ペンの走りが遅くなっていく。悔しいが、フルストの仮説は興味深い。 「さて、では光の反対と看做されていた闇だが、これは光を吸収する性質がある。同時に魔法を使ってみれば分かるが、光魔法が闇魔法に吸い込まれる現象をつぶさに観察した結果、闇魔法によって光が曲がることに俺は気づいた。吸収されていく様を《観測魔法|オブセルウィトー》で観察していたら、偶然発見してな」  エレインはついに羽ペンを止めた。  桜子のころは物理が苦手科目だったため、知識は薄いが、闇とは要するにブラックホールのことだと分かる。すなわち、闇魔法は宇宙科学に通じる学問となり得る。とはいえ、この世界は科学的立証があまり重視されないことから、学問として発展するかは分からない。目の前の魔王が暇つぶしにやるくらいしか可能性はないだろう。 「とまあ、その辺りのことは本に書いてある。次に使う超極大魔法の威力増強に役立てるがいい!」 「それはそれはありがとうございます。次があるかは分かりませんが」 「ふははは! 俺以外の誰がお前の超極大魔法を受け止められると思っている!」 「さあ? 世の中、探せばいるかもしれませんよ」 「ふむ、そうかもしれぬな。可能性は零ではない」  フルストは殊勝にも頷く。というか、本に書いてあることならもういいからさっさと帰ってほしい、とエレインは心の中で願う。  そのときだった。  寝間着姿のアラステアが、レギナスグラディオ片手に執務室の扉の前に立っていた。  フルストは、ほのかな光を放つレギナスグラディオを見つめる。 「む、勇者か。その剣はレギナスグラディオだな」  一方、アラステアは困惑していた。レギナスグラディオと反応したアイテールスバルが、フルストの懐で紫色に輝いている。 「その反応、魔王フルスト……? どうしてこんなところに?」  フルストは胸を張って答える。 「何、俺はエルの未来の花婿だからな!」 「妄想を垂れ流すのはやめてください、陛下。私にまで被害が及びます」 「よいではないか! 言い続けていればいずれはお前もその気になるだろうよ!」 「なりません。いいから帰ってください」  フルストは高笑いをしながら根拠の何一つない話を広めようとする。それをエレインが必死で止める。  この意味のわからない状況に、アラステアは困り果てたような表情で、二人の顔を交互に見つめてこう言った。 「あのー……どういう状況ですか、これ」  誤解を生まないよう、エレインはアラステアに最初から状況を説明する。 「地下にそんな魔法陣があったなんて……密入国じゃないですか」 「ふははは、国境《くにざかい》ごときが俺とエルを引き離せるものか!」 「エルさん、本当に婚約者じゃないんですよね?」 「絶対に違います。そもそも、人間と魔族、それも魔王では釣り合いません」  ピタリ、とフルストの高笑いが止まった。真面目な顔で、フルストはアラステアを指差す。 「何を言うか。そこな勇者も人間と魔族の《混血児|ヒュブリダエ》だぞ」 「え?」 「は?」  いきなりの指摘に、エレインとアラステアは呆気に取られる。  確か、聞いた話では、アラステアは捨て子だったはずだ。  エレインはアラステアの様子を見やる。アラステアは、やはり状況を飲み込めずにいた。 「僕が、魔族との……? どういうことですか?」 「どうもこうも、《混血児|ヒュブリダエ》の魔力の波長だ。エル、お前ならば分かるだろう。命は種族ごとに固有の魔力の波長を持っている。この勇者は人間の魔力の波長とも、魔族の魔力の波長とも違う波長をしているぞ」 「ちょっと待ってください、陛下。《混血児|ヒュブリダエ》は確か、生まれる確率はとても低かったはずです」 「ああ、そうだな。人間の姿をし、魔族の寿命を持つ《混血児|ヒュブリダエ》は、言わば希少種だ。俺も二百四十年余り生きてきて初めて見たぞ」  フルストはさらに続ける。 「勇者よ、お前の年齢は今いくつだ?」 「え……確か、十七歳です」 「なるほど。二十歳あたりから、老化は止まるぞ。そうなれば、人間社会では生きてゆけまい」  フルストの答えは、エレインにとっても、アラステアにとっても、衝撃の一言だった。
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