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【#辛いあの子に花束を】 「ちょっと、何ですそれ」  刺々しい声に顔を上げた先、その表情はもっと雄弁に嫌悪を露にしていた。 「何って、献花」 「特級戦犯にそんな派手なものを誂える無神経がありますか。もっと質素なものにして出直しなさい」 「受け取る気はあるんだ」  つい口を挟めば、氷点下の眼差し。最後に抱きしめたその骸の体温よりも冴え冴えとしている。 「それ以前に、死者から死者に贈るなんて聞いたことがありません」 「……ああ」  そしてようやく思い当たる。 「いや本当に、待たせて申し訳ない」  三十年越しの花束は鎮魂ではなく、ご機嫌取りに終わるだろうが、それもいい。 【パズル】  甘い卵焼き。向かいのホームを出る電車。すれ違った子供。雨を被った自転車。  それが時折、目元を滲ませるから首を傾げている。  本当に何でもない事。思い出なんて一つもない。そんな他愛のない事に泣き出そうとするお前はどこから。  現実の自分はわずかに動きが止まっただけで、伝うものはない。 「ああ、どうした。何がそんなに」  がらんどうの中身に何が棲みついた。見知らぬ自分を、今日も不器用に抱き締めている。 【花散らしの声】  喩えるなら花びら。いずれは散りゆくと分かっていて、押し花程度にしかその痕跡を残せない存在。  それを律儀に待ち構えている自分も、ずいぶん歳を食ったと言うところだろうか。 「――……」  予兆は、神殿の正面から、石階段を登ってくる足音。それが次第に近付いてきて、ややもすれば大聖堂の扉を開く軋みと、細腕に力を込めて詰まったような吐息が、その姿と一緒にその来訪を告げる。  その一部始終を、祭壇に腰掛けて眺めるのが習慣になって久しい。果たして、朝から息の上がった神官はよろめくように大聖堂へ足を踏み入れ、祭壇で足を組んでいる自分を見てすぐさまその目尻を釣り上げた。 「くぉら――っ!」 「朝からご苦労。今日も声が出てるな」 「足は揃える! 服は着崩さない! 品ってものを弁えなさ――い!」  つかつかと、その長い法衣の裾を華麗に捌きながら、慣れ親しんだ神官が詰め寄ってくる。その琥珀色を鑑賞しながら、至極真っ当な理由を口にした。 「どうせお前以外には見えてないんだ。そう神経質にならずとも」 「こんな山の上まで来てくれる信者さんに申し訳ないと思わないんですか!?」 「ちっとも。こっちは神様だぞ」  既にお互い分かりきったことを、敢えて返してやればすかさず腹に鈍い衝撃。痛くも痒くもないが、神官が掌底とか神も心底から引く暴挙だ。 「おい、こら」 「神様なら聞き分けなさい、分かるでしょ」 「聞き分けてほしいならすぐ手を出すのはやめるように。嫁の貰い手がなくなるぞ」 「神官ですから。ご心配には及びません」  なぜか胸を張る神官に、やれやれと頭を振る。この年頃の女の神殿務めなど、実のところは花嫁修業のようなものだ。そのうち適当な家格の男に見初められて、還俗するのがもはや常道と言ってもいい。事実、そんな巫女を何人も見送ってきたし、むしろこいつは本気でこんな山奥の神殿に操を立てる気かと、常々その正気を疑う。 「そんなだから毎日山登りなんて押し付けられているんだな……可哀想に。誰も言わないが、この神殿で一番の重労働だ。小うるさい奴も隔離できるし、下界の連中にしてみれば一石二鳥というところだろうが」 「……お気付きでないかもしれませんけど、全部声に出てます」 「おっと。聞こえる奴が珍しくて、つい」 「もう三年はお相手してますけど!」  まったく、と憤慨したように踵を返す神官は、もう仕事に入ろうとしている。ふと、そのきつく結い上げられた髪に淡い色を見かけ、何となしに手を伸ばした。 「えっ」  指先にすくったそれが花びらだと分かり、興味を失ったのも束の間。どういうからくりだったのか、ふわりと神官の黒髪が全てほどけ、その背中に舞い落ちた。 「……あ」 「ちょ、嘘、何ですかいきなり!?」  あわあわと、やり場のない手を彷徨わせる神官に、すまないという気持ちを塗り潰して余りある感情がある。 「いや、その、花びらが」 「花ぁ!? って、あ、それ下の」  今朝咲いたんですよ、と。受け答えをしながらも、神官は髪をまとめようとしては不器用に手を下ろす。その挙動に、疑念をそのまま口にした。 「自分で戻せないのか、それ」 「わ、悪いですか。今も巫女長にお願いしてるんですよ。ああもう、一度下山しないと」  その巫女長は足を患って長い。最後に見た時でさえしわくちゃだった顔を思い出しながら、神官の髪をもてあそんでいると、「こら」と逃げられた。 「そういう事で、出直しますので。信者さんが来たらお行儀よくしてるんですよ」 「何で下りるんだよ」 「言ったでしょう、だから」 「別にこのままで良いだろう。たまには目新しくていい」 「ええー?」  仮にも褒めたのに、神官の反応は色気の欠片もない。甲斐がないんだよ、とは口に出さず、再び隙をついてその毛先を捉えた。 「ちょっと」 「もうこっちに住み込めば良いだろう。話し相手くらいにならなってやる」 「え? 嫌ですよ」  一考の余地もなし。あまりの即答に、やや二の句が継げなくなった。 「……理由は?」 「空気薄いから」 「……それは重要か?」 「重要ですよ、もちろん。私、人間なんですよ?」  何を当たり前のことを、と。呆れたように返されると、苦笑するしかない。するりと毛先を逃がすと、神官はややほっとしたような顔をした。 「……でもまあ、今日はこのままにします」 「あ? ああ、そうかい」 「貴方はアレですね、意外に寂しがり」 「……もうそれでいいよ、この小娘が」 「ちょっと! 言葉遣い!」  また掌底を放ってきた神官をいなしながら、お前が適齢期を過ぎるのを指折り数えて待っているとは、どちらが死んでも教えてやるまいと誓った。随分と前から、お前ばかりは押し花にしてやれそうもないのだなどとは、口が裂けても。 【囲炉裏の獣】  小説家には親類縁者がいない。  その経緯はほとんど語らないけれど、訊ねると一言、失くしたとだけ答える。 「僕は、昔から物をよく失くすのですよ。家族も、妻も、何なら右の腕さえもいつの間にか手元にはなかった」  そそっかしいんですか、と返したら、一瞬怪訝な顔をした後、声を上げて笑われた。学のない私のことだから、見当違いなことを言っていたのだろう。  今まで山で育ち、家事も商売も知らずにいた。両親が健在なら、そのまま然るべきときに顔も知らない男に嫁ぐだけだっただろう。火葬場で小説家に会うことがなければ、その先に二度と接点もなかった。  知人と呼べる人間も少ない小説家が、どうして両親の葬儀にわざわざ足を運んだのかは、彼が秘める謎の一つだ。 「祭事の資金ですが、適当に見繕って隣の細君に渡しておいてください」  湯呑みを下げるとき、小説家はぽつりと呟いた。 「適当に、ですか」 「難しいですか?」 「私には、どれくらいがどんな顔になるか、分かりませんから」  そう告白するのが少し恥ずかしく、目を伏せた。山育ちの子どもに初めからそんなものを期待しているとは思わないけれど、ただ自分が情けない。 「それなら大丈夫です。程よく、ではなく大雑把に、の意味で適当に」 「え、でも」 「力仕事などには貢献できませんから。あちらも端からそれを期待しての事でしょうし。貴女でも少し多いだろうか、というくらいで構いませんよ」  そう言って、小説家は畳にうつ伏せる。くしゃりと折れた右の袖を横から直すと、ありがとうと言われた。その柔らかな物腰が、少しだけ暗い疑問を口にさせた。 「私が先生のお金を渡したことにして、隠して自分のものにしてしまうとは思われないんですか?」 「貴女がですか? それは無いでしょう」  首だけ動かし見上げてきた小説家は真顔だった。信用されている、と思うよりも、何故と疑ってしまう。 「どうしてそう思われるのか、聞いてもよろしいですか」 「貴女ほど、『欠く』ことを知らないひとはいませんから僕を見ていて、今以上に何か望もうとは考えてもいないのでは?」  そう言って、小説家は自分の右肩に視線を流した。  そこには、何もない。利き腕だったのかどうかさえ分からない程長く空白だ。 「僕のように、生きているだけで失くす人間がいる。これだけ近くでその事実を目の当たりにしながら、自分のことだけを考えてしまう人間なら、まず僕は貴女を引き取っていません」  小説家には自分の身の上を憂えているような素振りはなかった。もちろん、褒められている気もしない。彼の語り口は、寝物語を語るのと同じ穏やかさだった。 「……先生は、私のことを前から知っていたのですか」 「ん、いえ。そういう訳では」  ふらふらと小説家は手を挙げて否定した。 「僕と貴女が顔を合わせたのはあの火葬場が初めてですよ。貴女のご父君と交流があったことは事実だけれど」 「では、父の遺言でしょうか」 「んん……今日はよく喋りますね。今までよっぽど遠慮していたんですか」  よいしょ、と上体を起こした小説家は、夕食のときにでも、とその場を濁した。 【終末流星群】  周囲にはデザイナー、で通している。そう言っておけば彼らは勝手に産みの苦しみやお洒落なセンスを想像してくれるから、当たらずも遠からずといったところ。 「あ、しまった」  肘が真っ青なインク瓶を倒す。手元でケント紙が染め上がるのと同時に、外が騒がしくなった。  空から滴るように、青い流星群が幾筋も走り出す。それはまさに終末の光景で、悲鳴とシャッター音があちこちを飛び交った。 「またやり直しか」  一つだけ溜息を許して、ぐしゃりとケント紙を丸める。世界創造も楽じゃない。 【理想問答】 「お前が愛しい。私の教え子の中でもお前は特別だった」  だから理解できるね、と。  私を真綿でくるむような声が、ただただ悲しい。それがこの人の真実だと今も信じられていたら、この記憶も美しいままだったろう。 「大道を成すには犠牲がつきものだ。それを厭わない覚悟が、私にないと思うかね」  いいえ、いいえ。師は、負うべき罪を全て拾い上げるでしょう。犠牲を積み上げて、それでも歩みは止めないでしょう。 「それでは足りないのです」  だからこの人は、私に銃口を向けられながらこんな顔ができるのだ。 「貴方には、犠牲に『なる』覚悟がおありでない」  だからそんな、あどけない戸惑いを死に顔にできるのだ。
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