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 黒板に落書きが増える時期になった。  それは学校という権威への反抗というわけでも、皆が急にアーティスティックな歓びに目覚めたわけでも無い。クラス替えから時が経ち、彼らの間に流れていた新学期特有の緊張が弛緩したのである。その様子は冷戦が終結していく様にどこか似ていて、そうなればさしずめ僕は時代の流れに取り残された小国といったところだろうか。  お昼のチャイムから十五分後、クラスメイト達が互いの机をくっ付けて会話に華を咲かせている中、僕は一人で昼食をとっていた。弁当箱には昨日の残り物がこれでもかと詰められ、代り映えしない味に少しうんざりしたのは、きっと今頃オフィスで弁当箱を広げている父も一緒だろう。僕は小さく溜息を吐くと、窓の外を流れる雲と、その間を縫うように飛行する一羽のカラスをずっと見ていた。  《近衛 圭|このえ   けい》と《朝倉 香苗|あさくら  か なえ》とは保育園の頃に出会った。もちろん当時の記憶なんてとても曖昧で、詳しいことは何も覚えていない。  だが、今は亡き僕の実母の趣味が写真撮影だったことから、僕ら三人が映った大量の写真が我が家のアルバムに記録されていて、その写真を見れば「ああ、そういやそんなこともあったな……。」とぼんやり回想することができる。  僕は唐揚げを一口で頬張ると、ふっと微笑んだ。窓のカラスは遠くから来た仲間達と一緒に太陽に向かって飛んで行った。僕のスマートフォンの待ち受けには、河原でずぶ濡れになって遊ぶ三人の子供が映っている。  帰りのHRが副担任の気の抜けた号令で終わると、僕は足早に教室を去った。圭から『話がある。みかんで待ち合わせ』と、いつもの恐ろしくシンプルなメッセージが僕ら三人のグループに届いていたからだ。喫茶『みかん』とは僕の家の隣にある喫茶店である。店の主人が僕らの小さな頃からの顔見知りで、僕らは待ち合わせによくこの喫茶店を利用していた。  駐輪所に自転車を取りに行くと、僕の自転車の上に女生徒が座っていた。亜麻色のショートボブとぱっちりした目元が愛らしい。朝倉香苗は手を拳銃の様に構え「ばーん」と言って僕を打ち抜くと、にこりと笑った。 「遅いわいね。圭ちゃんたぶんもう帰っとるんやない?」  僕は「確かにそうだな。」と言うと、自分の自転車に跨った。  圭の所属している特別進学コースは難関大学進学や海外留学を目指す生徒が集ういわゆるエリートクラスで、偏差値も僕ら普通コースよりも少し高いことが特徴だ。そのため、名門大学のオープンキャンパスや、講演会等に参加するために学校を離れていることが少なくない。先日も名門私立大学の講演の為京都へ一泊二日の校外学習に向かった。予定では一時間前位に学校につき、そのまま解散している筈だ。連絡もその時に寄こしたのだろう。  季節はもう七月。梅雨が明けて初夏のけだるい暑さが体を包み込む。そのため、この季節に自転車を漕ぐと、風が頬にあたってなかなか涼しくて気持ちがいい。額に浮かんでいた汗はもう引いていて、この時だけ自転車通学でよかったと思える。まあ、金沢は坂が多くて自転車通学には本来向かない土地なのだが。 「そういや、今日部活はよかったのか? 女子卓球部、いつもなら普通に部活してんだろ。」  僕が前方を走る佳苗に向かって少し声を張り上げてそう聞くと、彼女は前を向いたまま大声で応えた。 「今日上島先生休みだったの! 安田先生も京都行ってんじゃん。顧問も副顧問も居ないから、部活しちゃダメなんだってー!」  僕は「なるほど、ね」といいながら佳苗の自転車を追い越した。佳苗が後ろから何やら叫んでいたが、前から車が来ていて振り返るわけにもいかない。それに恐らく大した要件でもないのだろう。危険を犯してまで何を言っているのか聞き返す意味も無いし、意味がないことは無駄なことだ。僕は生きている上である一つの信条を持っている。効率主義であること。徹底的に無駄を省き、効率的に物事を進めていく。その信条に従って、僕は後ろを振り向かずに黙々と自転車を漕いだ。  そうしていると、佳苗の自転車が僕の自転車を追い越した。「おー、速いなー。流石女子卓球部期待のエース」とのんびりそれを見ていると、いきなり振り返って佳苗が吠える。 「無視すんなし! って、きゃあああ!!」  前を見ていなかった佳苗はそのまま自転車ごと電柱にぶつかってガシャン! と音を立てて横転した。  僕は自転車を停めると、道路の上に転がっている佳苗に仕方なく手を差し出した。
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