フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
 春。  出会いの季節であり、別れの季節でもある春は、嬉しいやら悲しいやらよく分からない。  余田桃華は私立星辰高等学校に通いはじめて三日のうちに幼馴染の広瀬純、元陸上部の先輩である荒井大樹と出会い、一年後には小学校が一緒だった佐屋拓真と出会った。  全員、桃華の恥ずかしい過去を知る人物ばかりである。  例えば救急車事件、桃華が陸上部の練習中に派手に転んで頭を打って意識を失い、気がつくと救急車で搬送されていたという事件だ。陸上部を辞めるきっかけになった事件でもある。  そして一番厄介なのが幼馴染の広瀬純だ。家が隣であることも手伝って、赤ん坊からの付き合いであると同時に、赤ん坊からの恥ずかしい桃華の過去を知っている。なぜなら、純のお母さんが桃華の恥ずかしい過去をすべて笑って話してしまって、それが純に刷り込まれているからである。小学校の時の大喧嘩で口を衝いて出る桃華の恥ずかしい過去の数々——歩行補助器ですってんころりん転んだ話だとか、よそ見してフォークを鼻の穴に突き刺した話だとか、スーパーでお菓子の箱を開けて走って転んでぶち撒けた話だとか、プライベートも何もない話ばかり飛び出してきて、しまいには桃華は大泣きした。  そんなことがトラウマとなり、桃華は純を避けるようになっていった。思春期も手伝って、中学校は別のところに行った。  そして高校、入学式の入場行進で、桃華はやらかした。  桃華は、体育館の床板の上に敷く分厚い緑のビニールのアレのひだに足を引っ掛け、やはりすってんころりんと転んだ。  桃華は転び慣れているのでよかったが、問題はその後だ。桃華の後ろを行進していた生徒たちは、桃華がつっかえになって、さらにビニールの歪みによって連鎖的に転び、最終的には入場口にいた生徒まで転んだ。初っ端から、桃華の高校生活は暗雲が立ち込めていたのである。  転げた桃華は何とか起き上がろうともがいていると、手が差し伸べられた。  桃華は反射的にその手を取り、起き上がる。 「大丈夫か?」  若干野太い声になっていたが、間違いない。声を聞いただけで分かる。  予想が外れているように懇願しながら、桃華は顔を上げた。  純だった。  あらまあイケメンになって、などという感想が頭を過ぎったが、それよりもトラウマが蘇ってきて、桃華は即座に手を離した。 「あ……ご、ごめ、ありがと!」  何とかそれだけは言えた。純の引き止めを振り払い、桃華はそのまま入場口から走り去った。  桃華は渡り廊下まで走って、ようやく止まった。  小さいころのトラウマというのは、些細なことであっても、けっこう心に傷を残すものだ。  純は小さいころ、本当に可愛らしかった。どこだか忘れたが欧米の国の血を引くクォーターというやつで、天使のような巻き毛にまんまるいほっぺた、鳶色の瞳と日本人離れした顔立ちをしていた。小学校に入ってもそれはあまり変わらず、純はモテた。  そう、あの大喧嘩した後、桃華はクラス中の女子にはぶられたのだ。  純はそんなこと知る由もないだろう。大泣きしてそれ以来喧嘩離れをした、くらいにしか覚えていないに違いない。  桃華はため息を吐いた。そして廊下の端にあったベンチに座る。  入学式からサボってしまったが、しょうがない、と自分に言い聞かせ、桃華はくったりと力を抜いて座っていた。  ああ、空は青い。  そして目の前には純がいた。 「ええっ!?」  純は呆れた様子で桃華に声をかけた。 「お前な、あれだけ派手に皆を転がせといて、逃げるなよ」  咎める口調ではない。むしろ、笑っている。  純は桃華の隣に座り、あの後のことを語る。 「大変だったんだぞ。女子は泣く子もいるし、男子は男子で重たいし、入学式どころじゃねぇよ。んで、一時休憩になったからここに来たら、お前がいたわけ」  大迷惑である。来なくていいのである。  そんな桃華の心境などつゆ知らず、純は話しかけてくる。 「久しぶりじゃん。お前別の私立の中学行ったのに、何で高校こっちに戻したわけ? けっこう遠いとこだったよな、確か」  お前が嫌だったからだよ。高校なら会わないと思ったんだよ。桃華は心の中で毒づく。 「何で?」 「あんたが嫌いだから」 「えっ」 純は呆れたことに、心底驚いた顔をした。 「あんたが小学校のとき、喧嘩してボロクソに私のこと言って、私はクラスの皆にはぶられて、どうして嫌いにならないってのよ!? 馬鹿! 最低!」  桃華は大声でぶち撒けてやった。  全部この男が悪いのだ。わざわざ遠い中学に行く羽目になったのも、必死に勉強して偏差値の高いこの私立高校を受験したのも、全部純のせいだ。  なのに、今すべての努力が無に帰した。桃華はもう何もしたくなかった。  対して純はと言うと、ポカーンとした間抜け面で桃華の顔を見ていた。  純は立ち上がると、桃華に手を差し出した。 「ごめん。俺、全然知らなかった」 「それでいいわけないじゃん」 「休憩終わるぞ。行くぞ」 「やだ」 「いいから来いって」  純は無理矢理桃華の右手を掴み、体育館へ向けて歩き出す。  桃華は座り込んで必死にもがいて踏みとどまろうとする。  両者一歩も譲らず、ついには桃華がつまずいて純に体当たりをかました。  純は案外簡単に吹っ飛んだ。と言うよりも、陸上部で鍛えた桃華の体当たりの威力が男子高校生を吹っ飛ばすほどだった。  幸いにも芝生の上に転がった純は、程なくして起き上がる。 「お前……体当たりするやつがあるか!」 「あんたが悪いんでしょ! こっち来るな!」  ギャーギャー言いながら、結局二人は入学式に出席できなかったのである。  おまけに喧嘩の現場を教師に見咎められ、所属するクラスに行く時間さえなくなった。完全に純のせいである。  でも。  体育館で繋がれた手と、ベンチ前で繋がれた手。  どちらも大きく、ゴツゴツとしていて、昔と全然違っていた。  中身は完全に昔のままだが。
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行