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    序章 最強の怪物  ズシン、と。  重苦しい地響きが世界を揺らす。  いとも簡単にアスファルトがひび割れて、粉塵が濃密な霧のように視界から色を奪っていく。  市街地に鳴り響くのは不快な警報音。  しかし、すでに逃げ惑う人々などいない。  ここにあるのは避難が遅れた無残な屍――そして、迫りくる脅威に対抗する戦士たちの姿だけだ。 「無闇に近づくな! 遠距離からの一斉攻撃、準備!」  指揮官の女が声高に叫んだ。  やがて粉塵が風にさらわれて晴れれば、そこには扇状に整列して各々の武装をかざした隊員たちが現れた。  その数は約三〇といったところ。  彼らが見据える先には、どこか亀のような姿形をした、されどあまりに巨大な魔獣が、まるで悠然とした山岳のようにそびえ立つ。強固な甲羅に覆われた魔獣の全長は、周囲に並び立つビル群にも匹敵するだろう。その巨体がそこにあるだけで、大通りは完全に封鎖れてしまっている。  そして、また一歩、魔獣はその巨体を進ませようとする。  それを阻まんと、 「放て!」  指揮官の声と同時に隊員たちが武器を振り下ろす。  切っ先から放たれたのは青白に輝いた光線だ。自然界に存在するエネルギーの中で最も純粋とされる霊力を収束させた砲撃である。一斉に繰り出された砲撃は一直線に飛翔して、容赦なく亀のような大型魔獣に叩き付けられる。  果たして、  ――グガルァアアアアッ!!  咆哮が空を満たした。  大型魔獣の前脚から鮮血の代わりに霊力の燐光が噴き出していたが、しかし逆に言えばそれだけに過ぎない。まだ消滅していないのならば、結果としては大型魔獣の怒りに火をつけただけなのだ。  少女・花織桜香は歯噛みした。  対魔機動隊に配属されて初めての実戦で、彼女はたしかに恐怖というものを感じていた。そしてその事実が許せない。戦士として前線で戦うからには死など覚悟していたことだし、なによりこんなはずではないと拳を握りしめる。  いままで努力してきたことは無駄だったのか?  この人類の脅威を前にして己は無力でしかないのか?  そうではない。かつての大戦において人類は魑魅魍魎どもに打ち勝ったのだ。であれば眼前に迫りくるデカブツとて倒せない敵ではないはずだ。  桜香はすうっと息を吸い込んで、右手に掴んだ日本刀『神楽桜』に意識を集中させる。  直後、 「う、おおおおおおおおオオォ――――ッ!」  吸い込んだ空気を吐き出す勢いで路地を駆け抜ける。  どれだけの巨体であろうとも、たとえそれが魑魅魍魎であるとしても、生きているなら急所はある。  脳天だ。  その体が強靭な殻に覆われているとしても、その一点だけは剥き出しにされている。 「バカ! なにをしている、新人!」 「ッ……!」  叱咤の声が桜香の背を叩く。  だがもう止まらない。指揮官から浴びせられる罵声を反動に大きく跳躍すると、さらにビルの壁面を蹴りつけて亀の頭部へと飛び乗った。花弁のごとき鍔を持つ花織家の秘刀を逆手に持ち替えて一息に突き立てる。 「せ、やあああ!」  漏れだした燐光が視界が覆う。  大型魔獣の口から苦悶の音が吐き出される。  それを無視して桜香はさらに力を込めた。接敵する間に溜めに溜め込んでおいた霊力を、これでもかと『神楽桜』を通して魔獣に注ぎ込んでいく。 (……よし、このまま内側から破壊する!)  そう意気込んだ。  次の瞬間、 『グウゥゥウウ! ギャガアアアアアアァ!!』  大型魔獣が蚊を追い払おうとするように、ひどく激しく頭を振り乱した。  桜香は咄嗟に『神楽桜』の柄にしがみつくが、それもむなしく『神楽桜』ごと空中へと放り出される。重力に引かれ、落下していくなかで、大型魔獣の怒りに満たされた双眸に全身を射抜かれた。  理性なきケモノの殺気が桜香に襲い掛かる。  指揮官が部下を助けるべく飛び出したのが視界の端に映るが、とてもいまからでは間に合わないだろう。すでに大型魔獣は自身を傷つけた少女を踏み潰すべく、樹の幹のように太い足を大きく振り上げている。  ひどく時間が緩やかに感じられた。 (いやだ……私は、こんなところで死ぬために、いままで頑張ったわけじゃない……!)  この状況にあっても桜香の心は折れていなかった。  だがそれでどうにかなるわけではない。たとえ彼女の心が負けていなくとも、一瞬後に確実な『死』が襲い掛かることに変わりはないのだから。  落ちゆく桜香を影が包んだ。  それはついに振り下ろされた鉄槌だ。  少女の華奢な体がアスファルトへと叩き付けられ、そのまま圧倒的な重量にて容赦なく押し潰される。  そうなるはずだった。     ◇ 「オラァ!」  荒々しい声が天を衝いた。  初陣で独断行動を取った新人が辿らんとする最悪の結末に息を呑んでいた隊員たちは、しかしそのとき戦場に乱入する一つの影を視界に捉えていた。山岳のようにそびえている魔獣と比べればあまりに小さい。  自分たちと変わらない姿形をした少年だ。  だが、ただの少年にはあまりにも不釣り合いな、どことなく機械的なシルエットをした大剣を肩に担いでいる。  彼は傷一つ寄せ付けない鉄壁の甲羅の上に降り立つと、その中心部へと目掛けて大剣を粗暴に叩き付けた。  ――ガギン!  鉄と鉄がぶつかり合うような音が辺りに鳴り響く。  生半可な攻撃など一切受け付けぬ鉄壁は、痺れるような衝撃を少年の掌に返してくるが、少年はその感触が心地よいとでも言うように口端を釣り吊り上げた。 「さぁて、ぶち抜くぜ!」  そう言って彼は、機械的な大剣の柄に取り付けられたトリガーを、引き絞る。  装填されていたカートリッジが弾けて、排出口からはドス黒い――この自然界の中で、なにより純粋な力とはとても思えない――濁りに濁った霊力の奔流が噴き出す。  世界が悲鳴をあげる。  それほどの震動を、事態を呆然と眺める隊員たちは、為すすべもなく感じていた。  遠くから見ているだけでこれなのだ。その中心で膨大な力を生み出している張本人は、指先から腹の奥底までを揺らされているに違いない。  常人ではまず耐えられない。  この戦場に立っている戦士たちでさえも、あのあまりにも純粋過ぎて濁った力の渦には、絶対に近づきたくないと思うほどだ。  されど少年はまだ嗤っている。  果てしないエネルギーがその体と、そして彼が手にする大剣を満たしていく。 「必殺……《粉砕炸裂|ブレイクバースト》オォッ!」  咆哮。  激しい爆発が魔獣を起点に広がった。  轟音が対魔機動隊の隊員たちの耳朶を支配して、噴火したように舞い上がったが土煙が視界を奪っていく。  それは一瞬の出来事だ。  静寂が訪れたとき彼らの瞳には、ただただ想定外で規格外の結果だけが残されていた。 「な、なんだよ、こりゃ!?」 「クレーターできてんぞ……つーか、あのバカデカい魔獣はどうなったんだよ……?」  唖然としたように隊員たちが漏らした声。  それを耳にしながら、アスファルトに仰向けになった桜香は、この状況を理解するべく思考を巡らせた。 (生き、てる……? でも、どうして……? あの魔獣は……私を踏み潰そうとして……その寸前で消滅した……)  そう。桜香はたしかに目にしたのだ。  爆発音に聴覚を刺激された直後――眼前にまで迫っていた魔獣の前足が、圧倒的な熱に溶かされるように消えていくのを。  路地に打ち付けられた痛みを無視して、桜香は無理やりに上体を起こした。  そこには、たしかに隊員たちが漏らした言葉のとおり、まるで隕石が落ちたのかと錯覚するほどのクレーターが作られていた。  そんな抉り取られた大地の中心で、一人の少年が立ち尽くしている。 「あれは……あの人は一体……?」 「嘱託対魔機動隊員――のさらに代理の天城アラタだよ」  指揮官・加賀美が桜香の呟きに答えた。  彼女は、無謀な独断行動で場を乱した少女の額を小突きながら、それでもいまは部下の身を案じて肩を貸した。その際、一度として少年から視線を逸らさなかった桜香に対して、加賀美は呆れたような声で言う。 「またの名を『《正義の怪物|イレギュラー・ヒーロー》』。まったく、あの馬鹿げた力は頼りになるんだけどねえ。ま、この惨状を見ればわかるとおり、周囲の被害なんてまるで考慮してないイカれた問題児さ」 「正義の怪物……あれが噂の『最強』なんですね……」  桜香はその少年の姿を瞳に焼き付けた。  あれこそが己が越えるべき壁だと本能が疼くのを感じながら――。     第一章 怪物か、ヒーローか    01  第二次百鬼大戦。  表舞台で繁栄を重ねてきた人類と、裏舞台で異端として抹消されてきた魑魅魍魎との、大規模な生存戦争は人類の勝利を持って終結に至った。  しかし、勝利者とて得るものより失うもののほうが多かった。  これまでに発展してきた文明は半壊して、もはや取り戻すこともままならない。  二千年という月日をかけて人類が歩んできた繁栄の道は、たしかに魑魅魍魎たちの手で阻まれてしまったのだ。  戦争には勝った。  だがその代償は人類にとって大きなものであっただろう。  あれから十五年――未だに傷跡の癒えぬ世界で人々は怯えながら、それでも前に前にと歩みを進め始めている。 「おい、なんだよこのクソみてえな歴史解説番組はよ」  天城アラタは不満にまみれた声を漏らした。  ブラウン管の画面では、三十代くらいと思われる男性と、無駄に美人な女キャスターが神妙な面持ちでナレーションを聞いている。  戦後十五年の特別番組と謳っているのだが、この放送予定を切り替えての緊急特番に、アラタはふつふつと湧き上がる怒りを覚えずにはいられなかった。  ゆえに彼はソファに体を沈めて呻く。 「なんで……なんでだよ! 今日は『装光仮面ガイ』の最終回なんだぞ! よりによってテレビ局ってのはバカなんじゃねーのか、オイ!」 「はいはい、まあお茶でも飲んで落ち着きなよ」  アラタはため息を吐き出しながら、小柄なのにほどよく成長した膨らみに目を引かせる少女から湯呑を受け取った。  ゆらゆらと湯気を揺らめかせる緑茶を一口飲んで、それでもまだ怒りは収まらない。  そんなアラタの隣に、少女・天城ミコトはサイドに結った髪をぴょこぴょこと揺らして腰を下ろした。  澄んだ双眸には少女の純朴さが宿されており、淡い桃色の唇は蕾のような愛らしさを含んでいる。  近い。というかほぼ密着している。 「ぐっ……あんま、くっつくんじゃねえよ……」 「ん、なんでー? べつに昔は一緒にお風呂だって入ってたんだし、いまさら照れることないんじゃない?」 「うっせえ、照れてねえよ!」  そう口では言っているが、いまのアラタは怒りとは別の方面で、頬が赤くなっていた。  それを知ってか知らずか――おそらくは特に気にもせずに、ミコトは可愛らしく整った顔をぐっと寄せてきた。  慌てて視線を下に逸らせば、今度は簡素なシャツの僅かな隙間に覗いた柔らかく緩やかな渓谷―― (だから、ちけぇんだっての!) 「この間の怪我はもうだいじょうぶ?」 「……ああ、あのデカブツをぶっ叩いたときか。ちょっと反動で筋肉痛になったくらいで、そんな大層な怪我はしてねえから大丈夫だって。それにオレは人間様とは違って頑丈だし、回復力もすげーんだ」  だから気にすんな、とアラタは複雑な面持ちで、しかし自慢げに答えた。  ミコトはこくんと頷いて、 「うん。それはわかってる。だけど、いくら頑丈だからって、やっぱり無理はダメだよ。そうじゃなくても、アラタは子供みたいに『ヒーローになる!』とか言って、無謀なことばっかりするんだから」 「……いいじゃねえか、ヒーローに憧れるのは男の特権なんだ」  子供っぽいのは重々承知している。  それでもヒーローになることは、アラタにとって初めてにして、唯一の『夢』なのだ。  だからこそヒーローの先輩である『装光仮面ガイ』の放送が、いきなりの特番生放送で中止になったことは痛手だ。  アラタがいま一度深いため息を吐き出していると、 「ま、最終回は諦めろ」  無慈悲に事実だけを告げられた。  淡々とした声音を向けてきたのは、アラタたちの背後――事務机にずっしり構えながら、煙草の紫煙を吐き出している女だ。  朝っぱらからスーツ姿だったが、着崩れしてるせいでくたびれた印象しか抱けない。  いまの彼女を形容するのであれば、『二日酔いのOL』と言ったところか。  彼女の名は《天城沙都弥|アマギ  サト ミ》。  もともと孤児だったらしいミコトや、ひっそりと山奥で生きていたアラタを引き取って、いろいろと面倒をみてくれている女だ。  アラタもミコトも天城の性を名乗ってこそいるが、沙都弥を含めたこの三人に血縁関係などは一切ない。 「あれだけのデカブツが市街地に侵攻してきたのは終戦後では初めてのことだ。報道局の連中からすれば視聴率を掻っ攫うためのエサに持って来いなんだろ」 「……だったら、オレの活躍も少しくらい伝えろってんだ」  アラタがそう吐き捨てると、沙都弥はぴくりと眉を吊り上げた。  ガン! と煙草を灰皿へと突き刺して、 「なにが『オレの活躍』だ、このバカモンが!」 「んなっ!? なにいきなりキレてんだよ、女のヒステリックはこえーな!」 「あん? こっちはどっかの脳筋バカが市街地に大損害を与えたせいで、対魔機動隊から莫大な額の請求書が届いたんだが?」 「知らねーよ! アイツらから要請くるたびにオレに代理させてんのはテメエだろっ! 感謝されることはあっても文句言われる筋合いはねえ! つーかよ、その件に関しちゃ、加賀美のヤツに散々現場で絞られてんだから勘弁しろよ、ほんと耳がいてぇ……」 「それこそ私の知ったことか。ともかく、この請求のせいで大赤字だ。しばらく小遣いはやらんからな」 「なんでテメエの代わりに仕事して小遣いナシにされんだ! そんなん納得できるか!」  言葉を口にすればするほどヒートアップする二人。  そんなバチバチと火花散らす光景を傍目に、やれやれとミコトはお茶を啜ってくつろぐ。  どうせ止めに入ったところで聞く耳持たず。いつものことなので、落ち着くまで好きにやらせておけばいいのだ。     02  東の空から世界を煌々と照らす陽射し。  それを全身に浴びながら、花織桜香は一度大きく深呼吸をした。 「……よし!」  その一声で活力が湧き上がる。  彼女の前には、これから突入するべき要塞が構えていた。  その名を『天城怪異相談所』。  二階建ての一軒家を改装して事務所にしたらしいのだが、お世辞にも綺麗とは言えない古びた建物だった。人気の少ない郊外にポツンとあるせいで、お化け屋敷と言われたら信じてしまいそうだ。  少なくとも桜香は警戒していた。 (幽霊だろうと、魔獣だろうと、出てきたら斬り伏せるだけだ)  左手に持った日本刀の鞘の感触を確かめて、いつなにがあっても抜刀できるように心の構えを引き締める。  一歩歩みを進めて、そして手を伸ばす。  ドアノブをゆっくり回して扉を開けると―― 「ほれほれ、どうした! 逃げてばかりとは情けない!」 「だあああ! やめ、やめろ! 箒振り回すんじゃねえよ! アンタそれでも大人か!? つか反撃して箒壊したら絶対怒るだろうが! そういう反則やめろよ! 一方的なイジメ反対だくそったれ!」  そこには異様な光景が広がっていた。  子供のケンカとしか思えない。箒をブンブン振り回しながら追いかける女と、それから必死になって逃げている少年と――ついでに、そんな状況に置かれていながら、のんびりお茶を飲んでテレビを見る少女。 (え、なにこれ……)  呆然と桜香は立ち尽くすしかなかった。  それゆえに、あれだけ心を引き締めていたはずなのに、己に迫る危険に気付けなかった。 「うわあっと! ちょ、なんだアンタ、そこどいてくれ!」 「へ……?」  勢いよくすっ飛んだ少年。  どうやらなにかに躓いたらしい。止まることはおろか、もはや体勢の立て直しも利かず、桜香に向かって一直線に倒れ込んでくる。勢い余って抜刀してしまいそうになるが、その判断が下されるより先に衝撃が襲い掛かった。     ◇  視界が暗転する。  頭の中がくらくらと揺れるのを感じながら、どうにか立ち上がろうとアラタが手に力を込めると、  むにゅり。  不思議な感触が五指を包み込んできた。  とても柔らかい。そして、ふわふわと反発してくる弾力が、妙に手に馴染むというか、率直な感想としては非常に心地よかった。なんとなくマシュマロに似ている気がしたが、しかしどこか違っているような気もする。  しばらく、他では味わえないその感触を確かめていると、やがて視界に色が戻ってきた。  そしてアラタは驚愕に息が詰まりかけた。 「ッ…………!?」  女の子がいた。  茹でダコのように顔を真っ赤にしながら、瞳にきらきらとした雫を浮かばせている。  アラタが咄嗟に理解して手元を見てみれば、案の定少女の緩やかな膨らみを掴んでいた。さらに付け加えるのなら、つい先ほどまで揉みしだいていたことになるのだが――それを意識した途端にアラタも爆発した。 (なんだ、こりゃ……えーっと、だから、どうすりゃいい……どうすれば、どうすれば、どうすれば……っ!)  プツリ、と思考の糸が途切れた。  完全沈黙して身動きが取れなくなったアラタに、 「この、ヘンタイ! ヘンタイ、ヘンタイ――ッ!!」  平手打ちが炸裂した。  しかも三発。乾いた音が早朝の青空に響き渡るなかで小鳥が囀る。  思考がオーバーヒートしていたアラタはゆっくりと意識を落とすのだった。     ◇  数十分後。  天城怪異相談所の応接間には、妙な気まずさと沈黙が満ちていた。  ビンタの手痕が刻まれた頬を涙目でさすりながら、アラタはミコトに頭を掴まれて半ば強制的に頭を下げていた。 「ごめんね。うちのアラタがあんなことしちゃって。……ほら、アラタも黙ってないで、ちゃんと謝らなきゃダメだよ!」  ぐっぐっと後頭部を押さえつけられる。  オマエはオレの母親か! と声を大にしたいところだが、この罪人扱いの空気の中では余計なことを言えるはずもなかった。そもそも原因を辿れば沙都弥だって共犯と言えるし、なにより事務所の前で突っ立っているほうにも非があると思うのだが――どういうわけかアラタだけ責められている。  正直、納得できない。  納得はできないのだが、 「……さっきは、その、悪かった」  いまは謝罪するしかなかった。  そうしなければミコトが許してくれないというのもあるが、なにより女の子を泣かせた事実は間違いないからだ。  どんな言い訳があったとしても、女の子を泣かせるのはヒーローじゃない。  そんなアラタの誠意が伝わったのか、件の被害者はふっと息を吐き出した。 「まあいいわ。むしろ、さっきのことは忘れましょう、お互いに」 「はあ~よかったあ。そう言ってもらえると助かるよ。わたしだってアラタを性犯罪者にしたくないし」 (……性犯罪者って……ひどい言われようだな、オイ)  とにかくいまは胸中で愚痴るだけに留めておく。  これ以上ややこしいことになるのは、誰よりもアラタが勘弁願いたいのである。  しばしの沈黙を経て、素知らぬ顔で罪から逃げた女がパン! と両手を合わせた。 「ま、これで一件落着! というわけで、まずはお嬢さんの話を聞こうか。ウチの前にいたなら相談があるんだろ? 魑魅魍魎退治の依頼ならなんでも引き受けよう。もちろん、それに見合う対価は払ってもらうがね」 「……なんでも引き受けるって、基本的に肉体労働すんのはオレじゃんか……」  そのくせ小遣いナシ宣言をされているのだ。  まったくもってやる気など湧いてこないが、そんなアラタの意思に反して話は進んでいく。 「そうですね。私が依頼したいのは――」  スッと少女は立ち上がる。  そして、あろうことか日本刀を鞘から抜き放つと、その鋭い切っ先をアラタへと向けてくるのだった。  対してアラタは身じろぎすらせず少女を睨む。 「おいアンタ、なんのつもりだ?」 「あ、あれ? もしかして、まだ怒ってるのかな? あはは、そりゃ、あんな豪快にがっつりおっぱいを揉まれたら、それくらい怒って当然、なのかな?」  おろおろしながら状況に納得を得ようとしているミコトだったが、いくらなんでも胸を揉んだだけで凶器を突きつけられるのはおかしい。  いや、揉んでしまったことは重罪だが、それに対する怒りならばあまりにやり過ぎだ。  少女はほんのり朱色に頬を染めて、 「おっぱいのことはもういいの! あれはお互いに忘れるって決めたでしょ!」 「ひ、ひゃい!」  怒鳴られたミコトが勢いで抱きついてくる。  その、この状況でどうかと思うが、ぷにゅっと腕に当たってくる柔らかさは、さきほど意図せず揉んでしまったソレとはまた違った感触だった。  頭が沸騰しそうになったが、なんとか堪えて平静を装う。  コホン、と少女が改めるように咳払いをした。 「私の依頼は単純で明快よ。天城アラタ――いいえ、黒き鬼姫の血を継いだ最強の怪物に決闘を申し込みます!」 「は? 決闘、だと……?」 「ぷ、くく、ははははは! なんだなんだ、これは面白いことになってきたじゃないか。どうやらこの小娘はお前が『最強』と知りながら、そのうえで決闘をしたいと言っているらしいぞ」  いや、それはもう、話を聞けばわかっている。  だいたいこの女はなに笑っているのだろうか? この流れで笑えることなどアラタには微塵もありはしないのだが。 「受けてもらえますか、天城アラタ」 「まあ待て。まずはなぜ決闘などしたいのか、その理由を聞かせてもらおうじゃないか、なあアラタくん?」  沙都弥の言葉にこくんと頷きを返す。  売られた決闘は受けて立つと言いたいところだが、ヒーローとしては無益な戦いなどはするべきではないのだ。  市街地の被害を考慮できないアラタにだって、必要な争いなのか否かの分別くらいはできる。 「わかりました。では率直に――私はあなたという怪物が『最強』であることを認めない。いままで努力を積み重ねてきた私が、生まれながら力を持っていただけの怪物なんかに、劣っているなんて認めない!」 「怪物怪物って、そんなバケモノみたいに――」  他でもないアラタのために憤ってくれたミコトを片手で制止する。 「アラタ……」 「ありがとよ。でも、怒らなくていいんだ」  怪物と呼ばれることには慣れている。  だが、こうも真正面から『最強』を否定してきた人間は初めてだった。  どいつもこいつもアラタの正体を知れば、自分たちより優れていて当然のような顔をする。  しかし、この少女はそうではなかった。  己の力を信じて、己の努力を信じて――最強の怪物を否定しようとしている。  ああ、これはたしかに、沙都弥の言うとおり面白くなってきたかもしれないと、思わず口許がほころんでしまいそうだった。 「ほう。こっちもやる気になったらしいな」 「おう。努力しただかなんだか知らねぇけど、だからってオレに与えられた『最強』の呼び名はそう簡単に譲れねぇ。それでも――アンタはオレを打ち負かして、己の強さを証明しようってんだろ?」  躊躇いなく肯定の頷きが返ってくる。  その一切の迷いのない瞳はとても美しいと思った。 「その覚悟は嫌いじゃない。もちろん決闘の場に立てば、人間だろうが女の子だろうが、手を抜くつもりはねぇけど」 「当然よ。私の全力を以って、あなたという存在を超えてやる……!」     03  黒き鬼姫。  その名を知らぬものなど、この世界には一人としていないはずだ。  第二次百鬼大戦において、有象無象の魑魅魍魎どもをまとめ上げたカリスマ性に加え、たった一体で千を超える人間の軍勢を相手取った規格外の武芸――それは人類からすれば最凶最悪の脅威だっただろう。  同時に、魑魅魍魎からすれば、崇め称えるに値する英雄だった。  その美しき鬼の姫君がいるだけで、もはや人類側に勝ち目などないと言わせたほどだ。  だが彼女は消えた。  第二次百鬼大戦の終結間際に姿を消した。  それを皮切りに人類側の大逆転劇が始まった。  否――それはもう逆転劇などではない。  鬼姫を失った魑魅魍魎どもは、人間が手を出すまでもなく崩壊したとも言われている。  もしも、そんな伝説の血を受け継いだ者がいるとするならば、その者は生まれた瞬間にこの世において『最強』となるだろう。  ゆえに彼は――、  天城アラタは天性の怪物なのである。     ◇ 「決闘、って……まさか、こんな準備してやがったのか、アイツ……」  時刻は一三時三〇分を過ぎたところ。  アラタは、自分のために用意された控室で、来るべきその時を待っていた。 『私たちの戦いに相応しい舞台は用意しておいたわ』  数時間前に突きつけられた言葉だ。  つまるところ花織桜香は、こちらの事務所に用件を伝えにくるより前から、霊力場式闘技場の使用許可を取っていたらしい。  本来は私用で使われるなんてありえないのだが――しかし、一身に人類を守護する対魔機動隊の隊員からの要望ともなれば簡単に許可が下りてしまう。名目上はあくまで『戦闘演習』と言ったところか。  職権乱用も甚だしい。 「でも、ここでならアラタのかっこいいところ、みんなに見てもらえるんじゃない?」 「……なるほど、そうか……ここでヒーローらしい姿を見せれば、オレは一気に英雄ってわけか……」  たまにはミコトもいいことを言う。  そう考えれば、こんな大仰な舞台を用意してくれた桜香には、感謝してもいいくらいだ。 「じゃあ、はい、おにぎり食べるでしょ?」 「おう。ありがとな」  ミコトから小ぶりで丸っこいおにぎりを受け取って、さっそく口に運んで腹を満たす。  一応、昼食はしっかりと食べてきたのだが、これから力を振るうとなれば、いくらでも補給はしておいて損はない。それに、人間を相手にして戦うというのは、アラタとしては初めてのことで緊張もある。  そういうとき、ずっと一緒の時間を生きてきたミコトがいると、とても落ち着く。  と、 「えい、ぐりぐり~」 「んな、やめ、バカ……!」  いきなりミコトが頭を撫でまわしてきた。  全力で抵抗して振り解きたいのに、彼女にこうされると不思議となにもできなくなる。ひたすら数分間撫でられて、ようやく解放されたアラタは妙な恥ずかしさに顔を背ける。  それから、そそくさと席を立ち上がった。 「も、もうすぐ時間だから、オレは行く!」 「あ、じゃあ……んしょっと、やっぱり重いねこれ……っと、はい」  壁に立てかけておいた機械的な大剣を、ふらつく足取りで腕をプルプルと震わせながら、それでもミコトは運んできてくれた。  そんなことをせずともいいのに、この少女は昔から過保護でこっちが心配になる。 (……ったく、無理すんなってオレには言うくせに、どっちが無理してんだよ……) 「よし、それじゃあ、わたしは客席のほうに戻るね。沙都弥さんと一緒に全力の全開で応援するから頑張って!」 「あんまり恥ずかしい応援すんなよ」 「だいじょぶだって! あと、終わったらまた頭撫でるね!」 「それはいい! ほんと調子狂うからやめろってんだ、まったく! あと、撫でるときはもっと優しくしろバカ」 「えー、あれくらいが丁度いいんだよ~」  そんなやり取りをしながら、二人揃って控室から通路へと出る。  最後に交わすべき言葉は、 「行ってらっしゃい」 「行ってくる」  これ以外はお互いに見つからなかった。  アラタとミコトはそれぞれが向かうべき場所へと足を向ける。  薄暗い通路の先に眩い光。  そこに、いまアラタが打ち倒すべき、挑戦者がいる。  いざ舞台へと上がったアラタがまずその瞳に映したのは、桜色の和装にスタイルのいい身体を包んだ少女――否、戦士の姿だ。  堂々とした出で立ちで待ち構える少女は、フッと呼吸を整えている。  やがて歓声が沸き上がる。  ――はずだったのだが、異様なまでの静寂っぷりにアラタが観客席へと視線を移すと、そこにはポツポツとまだらに人の姿が点在しているだけだった。  対魔機動隊の隊員らしき若者が数人、それからミコトと沙都弥の二人が手を振っていて、あとはおそらくミコトが連れてきたのであろう近所の子供たちが、退屈そうにあくびをしていた。  あとは、闘技場から見上げた青空に、一羽のカラスが飛んでいるだけ。  まともな観客などいないも同然だった。 (……ヒーローの晴れ舞台にしちゃ、あまりにも寂しすぎるってもんだぜ……) 「なんだそんな顔をして。まさか、こんな宣伝もしていない私的な決闘に、客が入るとでも思っていたのか?」 「あん?」  図星を指摘されて視線を動かすと、闘技場の《舞台|リング》の外側――そこに腕組する長身の女の姿があった。  対魔機動隊・帝都第三小隊の指揮官を務める加賀美だ。 「なんでテメェがここに……あっ、もしかして、あの女の子が決闘とか言い出したのは、テメェの差し金だったりするんじゃねえだろうな!」 「そんなわけあるか。どこにかわいい部下をお前と戦わせたがるヤツがいる」  やれやれと加賀美は肩を竦めて、精神を集中させる少女のほうをちらりと一瞥した。 「ま、どうしてもお前とやりたいってんでな。ああいうバカはいっぺん痛い目を見ておかないと、そのうち勝手に自殺しやがる。だから遠慮はせずに、とことん痛めつけて、泣かせてやってくれ」 「加賀美指揮官はどっちの味方ですか!」 「もちろんお前の味方だよ」  だからこそ現実を認めさせる。  この世界には個人の力では到底太刀打ちのできない相手がいる。  それを未熟で夢見がちな少女に気付かせる。それこそ加賀美がこの無意味な決闘を許可した理由に他ならない。 「ともかくこの決闘のレフェリーは私がさせてもらう。いいか頭でっかちのバカども、ここからは私の言葉が絶対だ」 「なんでもいいよ、オレは」 「審判の声には従います」  舞台で相対する二人が了承の意を返すと、加賀美はうむと満足したように頷きながら、最後にこの決闘におけるルールを説明した。 「まず知ってのとおりこの闘技場は《霊力場|フィールド》式だ。決闘開始から決着まで舞台外周には結界が張られ、場外からの乱入などは一切ないので安心して戦いに専念するといい。もちろん場内で起きた攻撃も基本的に外に漏れることはないが……」  突然、加賀美が言いよどんでアラタに視線を向けてきた。  面倒くさそうにアラタが小さく頷くと、彼女はホッと一息吐き出して続ける。 「ま、そういうわけで、ある程度は全力でやって問題はない。次に……ええと、二人ともバイタルリングは腕につけているな?」  問われた二人は揃って頷く。  アラタの手首には青色の、桜香には桃色の輪が着けられている。 「それは装着者の状態が危険域に達したときに砕ける。どちらかのバイタルリングが破損した段階で試合は決着だ。……とまあ、伝えておくべきルールはこんなものか」  さて、と加賀美は一息ついた。  そうして、 「両者とも位置についているな?」  闘技者たちに緊迫が走る。  アラタと桜香がそれぞれの得物を構えたのを合図に、 「それでは決闘開始!」     04 「花織流抜刀術・壱の型――」  ゴングと同時に桜香は日本刀の柄に手を掛けた。  先手必勝。まずは相手が動くより前に仕掛ける。  それで相手が倒れればすべて終わり、もし立っていたとしてもペースは己のものにできるはず。 「一重桜!」  一声と共に神速の抜刀。  開始位置からでは到底アラタには届かないが、しかしその一撃はたしかに飛翔した。 「ッ……!?」  気付いたアラタが肩に担いだ大剣を振り抜いた。  桜香の飛ばした霊力の斬撃はそれで斬り払われたが、 「遅い!」  そこには必ず隙が生じる。  縮地の技法にて、一瞬の間にアラタの懐へと潜り込んだ桜香は、この戦いに今度こそは決着をつけるべく全身に力を込める。 「花織流抜刀術・四の型――」  この距離ならば逃げられない。  そして、ここまで近づけば、もうアラタは大剣を振るうことなどできない。  反撃はおろか防御も許さない。桜香は対人戦における絶対死角の位置に、決闘開始から僅か四五秒で踏み込んだ。 「無明散華!」  一閃。  零距離から対象を一刀に斬り伏せる必殺の抜刀が、一縷の流星のごとく戦場に煌めいた。  たしかな手ごたえが柄を握った掌に伝わる。外界から遮断された小さな戦場に、鮮血が花弁のように舞い散った。  これにて決着――、 「なかなか、やってくれるじゃねえか」 「なっ……!?」  頭上から降りかかる声に、桜香はただ息を呑んだ。  目の前の現実があまりにもバカバカしかったからだ。  筋肉質な腹部が深々と斬り裂かれているくせに、その怪物は倒れるどころか微動だにしていない。  バイタルリングを一瞥するがまるで亀裂すら入っていないあたり、どうやら状態も安定していて危険域には達していないようだ。  ありえないにも程度がある。  もし、ふざけた方法で必殺を防がれたのであれば、納得はできないだろうが理解はできただろう。  しかし、そうではない。  これはそういう次元を超えている。  この敵は、技術や戦闘力ではなく、存在そのものが怪物だ。 「こっちの番だ。オレを打ち負かすってんなら、しっかり防げよ!」 「ぐ、あ……!」  アラタが叩き付けるように繰り出してきた大剣を、桜香は霊力で補強した『神楽桜』でかろうじて受け止めたが――それが精一杯でまるで押し返せない。  両腕を通して体の芯に痺れが伝達される。 (こいつは、技術なんて用いていない……ただ、がむしゃらな叩き付け……それなのに、あまりに重い……!)  桜香の脳裏には三日前のことが過ぎる。  この一方的な鍔迫り合いのなかで、あの大型魔獣を一撃で粉砕した霊力放出が繰り出されたらそれで終わりだ。  ここにきて初めて『敗北』の文字が呼び起された。 (まだよ……私は生まれながらの『最強』なんて、絶対に認めるものか……!)  そうだ。  認めてしまえば、それは己の否定になる。  これまで強さだけを求めて努力を続けてきた。  汗では足らず、幾度も泥にまみれ、血を流しながら生きてきた。  その果てに天才と呼ばれるようになって、学院の武芸科を飛び級で卒業して、対魔機動隊に入隊した。  なんのために?  そんなの決まっている。  この一刀でなにもかもを護るためだ。  そう桜香が己に向けて『戦う理由』を問うているときだった。 『あーあ、こりゃダメかな』 『ま、あの怪物相手に勝てるわけねーって』 『つかよく挑んだよな。どっちにしろ負け確定の決闘でしかねーのにさ』  観客席から同僚や上司である隊員たちの漏らした声。  それが桜香の心をひどく打った。それらしい正当な理由を見つけようとしていた桜香は、己の内側から這い上がってくる劣等感に蝕まれる。 (違う……そうじゃない……わたしは、ただ見返したかったんだ……)  幼いころの桜香には才能がなかった。  第二次百鬼大戦で戦果を挙げた祖父や父とは違って、すぐに泣いて弱虫と罵られて――だから花織の剣術道場からは人が去っていった。  娘が誰よりも弱い剣士だから、いつしか父や祖父さえバカにされるようになった。  父も祖父も気にするなと言ったが、そんなの桜香には無理に等しかった。  だから自分をバカにして、あまつさえ父や祖父さえも侮辱した者たちを、いつか自分の強さを以って見返したいと願うようになった。  そうして、どこまでも自分を苛め抜いて、ようやくここまできたのだ。  だから許せない。  生まれながらの『最強』なんて、そんなものがあってたまるか。 「わたし、は……わたしは、負けない……ッ!」 「おおっと!?」  桜香は力任せに押し込んでくるアラタの大剣を受け流してみせた。  重さを受け止める力を緩め、されど最低限の反抗は保ったままに、相手の力そのものを利用して捌いたのだ。  ようやくアラタが体勢を崩した。  しかし桜香は追撃しなかった。  否、できなかったのだ。 (くっ……腕も、脚も……たった一撃打ち合っただけで、震えが止まらないなんて……)  まるで体が言うことを聞いてくれない。  それに、いまは攻めるよりも、あの怪物に問わねばならないことがある。 「どうして使わなかったのよ」 「あ? 戦いの最中に問い掛けなんて、水を差すなよ」 「いいから答えろ! アンタはさっき確実に私を倒すことができた! それなのになんで必殺の一撃を打たなかったのよ!」  それは侮辱だ。  全力の決闘で手を抜くなんて、本気の覚悟を抱いて舞台に上がった桜香にしてみれば、どんな罵詈雑言よりも許しがたい。  桜香の戦士としての誇りを傷つけられたに等しい。  だが、その怪物は悪びれる様子もなく、ため息を吐き出した。 「ま、オレとて戦いの礼儀くらい弁えてる。けどな、あれはこの『絶爪・紅葉(改)』――あくまで武器の力であってオレの力じゃねえ」  そう言いながらアラタは機械的な大剣を肩に担いだ。 「誇りのある決闘だからこそ、自分自身の全力でやりてぇんだよ」 「ふざけんな! 得物を使いこなすことも含めて、アンタの、そして私の強さでしょうが!」 「あー、ったく、じゃあハッキリ言ってやるよ」  困ったように頭を掻きながらアラタは告げる。  桜香の認識がどれだけ誤っているのかを。 「テメェはアレをその目で見たくせに使えって言ってんのか?」 「そうよ。私はアンタの圧倒的な力を知ってる。それを打ち負かせなければ、勝利なんて誇れない!」 「そうか。その言葉で、テメェがオレに勝てねえってことが、よくわかったよ」 「なん、ですって……? なにを根拠に、そんなこと……っ!」  苛立ちから桜香は全身を戦慄かせた。  しかし、 「花織桜香。君の負けだ」  加賀美の判定が耳に打ち付けられた。  負け?  どうして?  たしかに体の痺れはまだ抜けきらないが、それでもまだ戦える。  バイタルリングだってヒビ一つない。  ならば、一体どこに敗北の要素がある?  まったく理解できない。  ただ立ち尽くす桜香に加賀美は告げる。 「いいかい? アラタがこないだのバ火力ぶっ放したら、お前はもう木っ端微塵で即死だ。それどころか、その余波で結界ぶっ壊して、私ごと客席にまで影響を及ぼしてるはずさ。それでも使えと?」 「そんな、いくらなんでも……」  基本的に霊力場式闘技場の強固な結界は、個人のいかなる攻撃であっても通さない。  それこそ百人がかりの集束攻撃で、ようやく破れるかどうかだろう。  それを個人のたった一撃で破壊する?  さらに客席も巻き込むだって?  ありえない。  しかし、だからこそ、最強の怪物なのだ。 「わかったかい? お前はたしかに血の滲むような努力で己を磨いてきた。抜刀術にしろ、純粋な剣技にしろ、お前とおなじ年齢でそこまで研ぎ澄まされているヤツなど、そうそういないだろう」  けれど、と加賀美はただ事実だけを紡いでいく。 「お前は、自分の強さを証明しようとするあまりに、敵を見ていないんだ。だから相対する存在の力量に気付けない。それこそがお前の欠点で、いつまでもそれを抱えたままでは、いずれ無駄死にするだけだ」 「そんな、こと……」  ない、と声にできなかった。  三日前の大型魔獣との抗戦を思い出す。己の実力ならばあの魔獣に勝てると飛び出して、その結果どうなったかは言うまでもない。  あのとき天城アラタの介入がなければ、ここに花織桜香はいなかっただろう。  その事実を理解して――しかし、桜香はそれを受け入れられなかった。 「わた、しは……まだ、負けてない!」 「お、おい! 私の言葉は絶対だと言ったはずだぞ!」  そんなの知ったことか。  どうにか体の痺れは抜けてきた。  まだ動かすことができるならば、ここで退くことなど許されるわけがない。  なにより、こんな納得できない敗北を認めることなんて、桜香には絶対に不可能だ。  半ば自棄になりながら、桜香は戦うべき相手に向き直った。  花織の秘刀『神楽桜』の柄に、小指から順に触れていき、最後に親指を這わせる。 「花織流舞剣術・奥義――」  結界に隔たれた戦場の空気が一変する。  加賀美が制止の声を張り上げているが、もはや桜香が止まることはなく、ならば誰にも止められない。  結界がある限りは加賀美は介入できず、かといって観客席の安全を考慮するならば結界の解除もできない。  やれやれ、と腹部に傷を負ったままのアラタが、大剣を肩に担いだまま桜香の決めの一撃を待ち構える。 (そうだ、戦え! 私はお前を倒して、私の強さを証明する!)  ふっと息を吐き出す。  時間が何十倍にも引き伸ばされるような感覚が襲い掛かるなかで、ついに桜香は鞘から陽光照らす白刃を抜き放つ。  だが、 『きゃああああ――――っ!』  甲高い悲鳴がなにもかもを引き戻した。  アラタも、加賀美も、そして桜香もこれには攻撃の手が止まり、一斉に客席へと視線を奪われた。
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