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『これより、模擬戦を始める! 二機、前に出ろ!』  教官の声が、国立戦姫学園の広大な訓練場に響く。  二機のGA——ギガンティック・オートマトン、人型戦術機体がアスファルトの訓練場に歩み出る。円形の訓練場は、まるで古のコロシアムのようだ。  一機は火焔の面を被った全身カーマインカラーの機体だ。三メートルはある日本刀を腰に下げ、角ばった無骨なシルエットに細いシンプルヒールの脚部をしている。 もう一機はユニコーンカラーを基調としたフレイムオレンジの線が入った機体だ。横雫型の頭部、コクピットのある膨らんだ胸部、可動域の広い細い腰回りに下げられた短剣の数々、十メートルはある機械の巨大な体躯を支えるダブルヒールの脚部。  二機は円形の訓練場の中心に立つ。  その間は約五十メートル。人間であれば五秒で走り抜ける距離を、GAは二秒足らずで駆け抜けられる。 『……始め!』  教官の張り詰めた声が、再度訓練場に響き渡る。  先に仕掛けたのはカーマインの機体だ。鯉口を切り逆袈裟に斬りあげる。 ユニコーンの機体は先読みし、バックステップを取りながら腰の短剣をカーマインの機体に投げつける。  だが、運悪く短剣は刀に当たり、地に落ちる。 さらにカーマインの機体は踏み込み、高速の突きをユニコーンの機体の頭部めがけて繰り出した。  ユニコーンの機体はしゃがむことで回避、同時にワイヤー付き短剣をカーマインの機体の左肩めがけて投擲する。今度は上手く当たり、短剣はカーマインの機体の肩に深々と突き刺さった。  しめた。 ユニコーンの機体はワイヤーを引き戻し、カーマインの機体の体勢を崩そうとする。  しかし、カーマインの機体はその場で逆時計回りに回転した。シンプルヒールの機体ならではの軽快な動きだ。逆に体勢を崩されたユニコーンの機体は地面に叩きつけられる。  ワイヤー付き短剣が仇となり、そのまま首元に刀を突きつけられたユニコーンの機体は、敗北を悟った。 『そこまで!』  教官は戦闘終了の合図を出した。  勝利したカーマインの機体は、肩に刺さったままの短剣を抜き、ユニコーンの機体に返そうとする。 『カリン、大丈夫か?』  カーマインの機体の操縦者は、全域音声通信でユニコーンの機体の操縦者、カリーナ・シレジアンへ声をかける。  しかし、ユニコーンの機体の操縦者——カリンは、カーマインの機体の手を振り払った。 『カリン?』  カーマインの機体の操縦者は怪訝そうにカリンの名を呼ぶ。しかし、返ってきたのは予想もしない言葉だった。 『情けをかけないで! どうせ私を負かして、優越感に浸っているのでしょうけれど、大きなお世話よ!』 『なっ……カリン! そんなつもりは』  カーマインの機体の操縦者の弁解は、教官の声に遮られる。 『二人とも、早く訓練場から出ろ! それからシレジアン、見苦しい真似はやめろ! 後で訓練場十周を課すぞ!』  教官の喝により、カーマインの機体と、起き上がったカリンのユニコーンの機体は訓練場を出た。   「カリン、さっきの態度は何だ。負けたからと言って、自棄になるのは感心しないぞ」 「うるさい! 一度勝ったぐらいで調子に乗らないで!」  カリンは追いすがってくるカーマインの機体の操縦者へ言い放つ。  《格納庫|ハンガー》内の《安全地帯|セーフゾーン》にいたクラスメイトの女生徒たちも眉根を顰める。 「これでカリンの全敗だもんねぇ」 「みっともないわ」 「まったく、子供じみているな」  聞こえている。カリンは三人のクラスメイトたちへ向けて叫ぶ。 「聞こえているわよ! 陰口を叩くくらいなら、面と向かって言えばいいでしょう!?」  クラスメイトたちはクスクスと笑いながら、カリンを見る。見下す。  ここまで実力に差があるとは思いもしなかった。故郷シレジアンで、長くGA操縦の訓練を積み重ねてきたはずなのに、クラスメイトたちには全戦全敗。カリンのただでさえ高い自尊心はへし折られてしまっていた。  これが当たらずにはいられるか!  カリンは操縦者用ジャケットを脱ぎ捨て、灰色のブレザーをひったくるように手荷物入れから取り出し、《格納庫|ハンガー》から出ていく。  その後ろを、カリンのメイドのリーザが付いてきた。 「付いてこないで!」 「そういうわけにはまいりません」 「命令よ! 私にかまわないで!」 「却下です、殿下」  ピタリ、とカリンの足が止まる。  リーザは続ける。 「殿下、どうせサボるのでしたら、寮の部屋に立てこもりましょう。しばらくは誰も入ってこないはずです」 「……うるさい、サボるわけじゃないもの」  カリンは再び歩き出す。訓練場を後にし、重い足取りでとぼとぼと歩く。 その後ろをリーザが楚々と付いていく。  まったくもって、屈辱の極みだ。負けに負けを重ね、しまいには相手に情けをかけられる始末。カリンは日本に来て、ただの一度もGA模擬戦で勝てた試しがない。  こんな無様な姿、父母や故郷の人々に見せられない。  国を守る未来のシレジアン軍総司令官の座を約束されたカリンにとって、今の情けない姿は一生ものの不覚だった。たとえ今後勝てたとしても、この屈辱が晴れることはないだろう。  カリンは、日本になんか来るんじゃなかった、とさえ思う。でも、強くなりに来たはずなのにどうしてこんなことになってしまったのだろうか、という疑問も頭を渦巻く。  なぜ、どうして。模擬戦を思い返してみても、すべてストレート負けだった。機体の性能差ではない、純粋な操縦者の実力差だ。  強くなりたい。なのに、このままではどうすることもできない。  気がつくと、カリンは大理石の学生寮の前に立っていた。思い悩んでいるうちに、無意識に学生寮のほうへと足を運んでいたのだろう。  このまま部屋に閉じこもって、誰とも会いたくない。  ステンドグラスの硝子戸を開く。  その瞬間、出てきた人間とカリンはぶつかった。 「あ、ご、ごめんなさい! 大丈夫!?」  カリンは勢いよく後ろに跳ね返され、リーザに受け止められた。つくづく、今日は運がない。  出てきた人間は、一年先輩の山神真湖だった。ストレートの黒髪、優しい性格、苛烈な操縦技術、と学園の誰もが羨む理想の女生徒だ。生徒会副会長の肩書を持ち、留学生のサポートを担当している。  そして、カリンが入学以来、何かと世話を焼いてくれた数少ない理解者でもある。  ふと、カリンの口からは、真湖を呼ぶ声が漏れていた。 「やまがみ、せんぱい……!」 「ど、どうしたの? カリンさん、泣かないで!」  カリンは自分でも気づかないうちに、目から涙を流していた。真湖はそんなカリンを学生寮の中に誘導し、カリンの自室に連れていってくれた。     「模擬戦で全敗しちゃったか」  ベッドのシーツの中でうずくまるカリンに代わり、リーザが真湖に事の顛末を告げる。  真湖は真剣にリーザの話を聞き、ついでカリンの頭をシーツ越しに撫でた。 「よしよし。ショックだったね」 「……別に」 「私も昔は負け通しだったから、よく分かるよ。リーザさん、温かいお茶頼める?」 「かしこまりました」  リーザは備え付けの簡易キッチンへ行き、テキパキと紅茶の準備をする。  真湖はシーツの向こうで涙目になっているカリンへ、優しく声をかける。 「私はこの学園に来るまでGAなんか乗ったことなかったからね。最初の一年はずっと負け通しだった。二年目になって、やっと最弱争いから脱却して、ラウラ……生徒会長に模擬戦を挑みに挑んで、やっと今の実力があるの」  ラウラ・ルアルディ生徒会長。学園最強の実力者だけがなれる生徒会長の座を、二年間明け渡すことなく務めている化け物だ。  そのラウラに追いすがる実力を持つ真湖でさえ、苦い苦い敗北を味わった経験がある。だが、そんなことはカリンの心を慰めるには至らない。  カリンはついに、嗚咽を漏らす。真湖はカリンの隣に座り、背中をポンポンと叩く。 「だって……負けたの……ひっく、何で、私……負けたか、分からないの」  そう、故郷では通用する実力を持つはずだった自分が、どうして日本に来た途端全敗という屈辱に塗れたのか、それがカリンは理解できないでいた。  ただの実力差? それとも他の何か原因があるのか? それすらカリンには分からない。 「何で、私、負けたの……?」 「うーん、私は見てなかったから詳しいことは分からないけれど」  真湖はカリンを抱きしめる。 「少なくとも、これから負けないよう強くなることはできるよ」 シーツ越しのカリンからは見えないが、真湖は笑ってみせた。 「だから泣き止んで。私もリーザさんも付いてる」 真湖はカリンの額にコツン、と額を当てる。  痛くはない。シーツ越しに真湖の体温を感じる。 「泣いてない」 「ふふっ、そう?」 「泣いてない! 強くなる! だから」  カリンはシーツを放り捨て、ベッドの上に立つ。 「山神先輩、私を強くして! 生徒会長にも勝てるくらい、シレジアンに戻ってお父様に褒められるくらいに!」  真湖は一瞬きょとん、として、すぐに笑った。 「ええ、了解したわ。言っておくけれど、私の特訓は厳しいわよ?」 「望むところよ。まずはクラスの誰にも負けないように」 「お話中失礼いたします。お茶が入りました」  リーザがローテーブルに三人分の紅茶を用意する。  カリンは角砂糖二個とミルクを注ぎ、一気飲みする。 「あっつい!」 「紅茶ですから」    国立戦姫学園は自由時間が長い。  授業はほとんど午前中で終わり、午後はそれぞれが思い思いの方法で過ごす。例えば、体力基礎訓練、GA操縦訓練など教官のサポート付きで受けられるし、勉学に励む生徒もいる。  そして今、カリンはコロシアム式訓練場でユニコーンカラーのGAマーガレットに乗っていた。  相対するのは、真湖のスノウホワイトカラーのGA星見草だ。短槍を二本構え、真正面から攻撃を受けて立つ姿勢を取っている。 『じゃあ……先輩、行くわよ!』 『ええ。私は反撃しないから、どこからでもかかってらっしゃい』  カリンは操縦席の肘置きの先、磁力で浮いた二つの半透明の《Ball》をそれぞれ片手で掴む。そして回転を加え、左手の《Ball》を押し込む。 『いっけえええ!』  マーガレットはカリンの動きに合わせ、動作を開始する。瞬時に腰部の短剣二本のグリップを掴み、星見草へ向けて投擲する。  片や、星見草はその場から動くこともなく、短槍の切っ先で短剣をピタリと止め、落とした。そこへ、マーガレットが突撃してくる。短剣を逆手に持ち、星見草の左の短槍に狙いを定め、手元に斬りかかる。  だが、星見草はくるりと横回転し、マーガレットの攻撃は空を斬る。 『まだまだぁ!』  カリンは足がすっぽりと嵌った《Boots》を踏み込み、マーガレットの体勢を引き戻す。再度、今度は近距離から短剣を投げつけた。  しかしそれも虚しく回避され、短剣は地に落ちる。  腰部の短剣は残り四本。うち二本はワイヤー付き短剣だ。  マーガレットは攻撃手段を体術に切り替える。足払い、パンチ、回し蹴り。そのすべてが、悉く軽く避けられてしまう。 『動きが遅いわ。踏み込みも浅い。反撃しないと言ったでしょう? 怖がらずに飛び込んで!』 『はい!』  マーガレットは両手にワイヤー付き短剣を持ち、踏み込めと言われたとおり踏み込む。それを星見草はバックステップで距離を取るが、着地の瞬間を狙って短剣一本が肩をかする。もう一本の短剣は——星見草の右横を通り抜け、飛び続けていた短剣のワイヤーに絡ませる。  カリンは《Ball》を勢いよく回し、ワイヤーを引っ張る。  絡んだワイヤーに背中を押され、星見草はマーガレットと衝突しそうになり、自分から前傾姿勢を取って前に飛ぶ。  星見草から離れたワイヤーはそのままマーガレットにビタン、とぶち当たる。  星見草は地面に伏し、すぐに起き上がる。  一方、マーガレットは自分で引っ張ったワイヤーの力の反動で、後ろ向きに地面に倒れていた。 『痛いー!』 『大丈夫!?』 『ワイヤーが絡まって取れなーい!』  慌てて真湖の星見草は、マーガレットの腹の前で絡まったワイヤーを器用に解く。  ようやく解けたワイヤー付き短剣を、マーガレットは腰部の収納庫に仕舞う。  真湖も手伝って短剣を全て回収し、やっとのことでマーガレットは試合前と同じ体勢に戻った。 『うーん、短剣っていう武器の扱いが難しいのよね』 『そうなの?』 『まず命中率が悪い。これは訓練次第で何とかなるけれど、問題はリーチよね』 『ワイヤー付き短剣を増やすとか』 『また絡まるわよ』 『ぐっ……じゃあ、どうすれば』  星見草は器用に腕組みをする。 『武器を改良しましょう。そうと決まれば、こっちよ』  真湖の星見草は《格納庫|ハンガー》へ向かって歩き出す。マーガレットはその後を追う。  第一から第四まである《格納庫|ハンガー》の横に、もう一つ同じ建物があった。星見草はそこへマーガレットとともに入っていく。    そこは《格納庫|ハンガー》ではなく、《工廠|アーセナル》だった。  真湖の星見草はどんどん奥へ入っていく。カリンのマーガレットはその後を必死で追う。  壁の専用棚には多くの武器が並び、見たこともない巨大な機械がいくつも稼働していた。天井から吊り下げられたGAの両腕剣が、何かの沸騰した液体に浸けられてジュッと音を立てる。引き上げられた両腕剣はメッキ加工がされたのか、キラキラと輝きを取り戻していた。 『ここよ。カリンさん、降りて』  真湖の指示に従い、カリンはマーガレットを跪かせて胸部コクピットを開き、縄梯子で降りる。  真湖もまた同じように星見草から降りていた。 「葵整備主任、少しいいですか?」  真湖は《工廠|アーセナル》の隅で机を陣取り、図面とにらめっこしている男性へ声をかけた。 「葵さん! ちょっといいですか!」  真湖は声を張り上げる。すると、葵と呼ばれた男性は驚くと同時に、こちらへ振り向いた。 「な、何だ、山神さんか。どうした?」 「この子の武器を新調したいんです。カスタマイズでもいいですから、超特急で」 「いつもいきなりだな、君は」  葵は苦笑いをする。真湖は何を言っているんだ、と言いたげな顔で続ける。 「この子の武器は短剣なんですけれど、何とか命中率を上げて戦術に組み込めるものに仕上げて欲しいんです」 「いつも無茶苦茶だな、君は!?」 「それで、アイディアは何かありますか?」  真湖の問いに、葵は即答した。 「ある。というか、簡単な話だ」 「どういう意味です?」 「短剣ということは、直接攻撃力を求めるわけじゃなく、GAを撹乱する戦術を取りたいんだろう? なら、刃の形状を変えて……細くしたり、鉤状にしたり、何種類かを使いこなせばいい。訓練は君がやるんだろうから、作るのは僕がやるよ」  葵はそう言って、タブレット端末を取り、いくつか操作をして真湖に見せる。  真湖はカリンを手招きして、一緒に見る。  そこにあったのは、四角錐状の細い短剣と、海賊の鉤爪のような形の短剣の二種類だった。 「とりあえず、この二種類を作ろう。今まで使ってきた短剣も置いていってくれ。斬れ味が落ちているだろうから、メンテナンスしておくよ」  葵はタブレットを机に置くと、早速《工廠|アーセナル》員へ指示を出しはじめる。  真湖はカリンへ目配せをする。はっと気づいたカリンは、しばらくモジモジとした後、葵へ感謝の意を伝える。 「あ……ありが、とう、ございます」 「ん、仕事だからね。感謝は山神さんにすればいい」  葵の返答は淡々としたものだった。真湖は「葵さん?」と威圧する。なぜ威圧されているのか分からない葵は「何で!?」と叫ぶ。  とにかく、一歩前進だ。カリンはマーガレットに戻り、短剣をすべて《工廠|アーセナル》へ預けた。    新しい武器ができるまでの間、真湖がカリンに課した課題は、実戦形式のGA体術訓練と基礎体力作りだった。  まずは早朝のランニング。訓練場を十周する。一周約六百メートルほどだが、カリンは一周目でへこたれた。  次にジムでのトレーニング。エアロバイクを漕ぐだけなのだが、カリンはやはり十分でへこたれた。  シャワーを浴び、午前の授業を受けた後、真湖との実戦形式のGA体術訓練が始まる。  互いに徒手空拳で殴り合うのだが、真湖の星見草は魔法を使っているのかと思うほど素早く、そして的確にカリンのマーガレットの弱点——頭部や関節部、腹部を狙ってくる。  二時間もこの訓練を続け、マーガレットから出てきたカリンは近くの排水溝で吐いた。いくら慣れていても、常に緊張感のある訓練をぶっ通しで二時間もすれば——真湖は平気な顔をして星見草から降りてきた。鍛え方が違う。  さすがに真湖も吐いたカリンをこれ以上訓練させようとはしなかった。カリンの部屋に連れて帰り、リーザに後を任せる。  ベッドに倒れこんだカリンは、冷水を持ってきたリーザにこう告げた。 「先輩、化け物だわ……こんな訓練、シレジアンじゃ、絶対しなかった」 「学園ナンバー2ですからね。お冷をどうぞ」  カリンは這い上がって冷水の入ったコップを受け取る。そしてちびちび飲んだ。  翌る日、やはり早朝ランニングから始まり、エアロバイクとこなしたカリンは、共同シャワールームで汗を流していた。  隣のシャワールームは真湖が使用している。カリンは真湖に話しかけようとしたが、共同シャワールームに誰かが入ってきたため、躊躇って、やめた。  声が聞こえる。 「でね、ひーこら言いながら走ってるの。あの最弱王女様」  嘲る声だ。カリンは姿勢を低くして見つからないようにする。 「あんなに必死にならなくてもいいのに。どうせお飾りだろう? 故郷のほうでも」 「そうそう。昨日なんか訓練の後吐いてたよ」 「そこまでするか……大人しくしていればいいのに」 「見苦しいよね。弱いのにさ、偉そうだし」  嘲笑の言葉が共同シャワールームに響く。バタン、と奥のシャワールームに二人が入っていったのを確認して、カリンはシャワールームを出た。  真湖もその後を追う。  脱衣所で体をバスタオルで拭くのもそこそこに、カリンは制服を着用する。濡れた髪から水がポタポタと床に落ちる。バスタオルで頭を覆い、カリンはその場に膝を抱えて座り込んだ。  真湖もさっさと着替えて、カリンの頭を拭いてやる。カリンは無抵抗のまま、じっとしていた。 「はい、拭けたよ。ドライヤーかけよう」 「……うん」  言われるがまま、カリンはドライヤーを手にする。アッシュブロンドの髪がふわりと浮いてしまい、真湖の濡羽のような黒髪が羨ましい。  結局、真湖は教室まで付き添ってくれた。明るい話題を話しながら、さっきのことは忘れろと言わんばかりに。  忘れるものか。真湖には悪いが、やつらを徹底的に叩くことが今の私の目標だ。  カリンは決意をそっと胸にしまい、何事もなかったかのように教室の席に着いた。 訓練開始から一週間。  やっとカリンは訓練場を五周走りきることができるようになり、エアロバイクも二十分漕ぎ続けることができるようになっていた。その分、リーザに頼んで早起きをしなくてはならないことが辛いが、仕方がない。  午前の授業が終わると、学生寮の食堂へ直行し、とにかくカロリーを摂取する。今日は豚生姜焼き定食だ。それとリーザ特製プリンも。そして真湖との待ち合わせ場所に行き、GA体術訓練を行う。  二時間のぶっ続けの訓練の後、十五分の休憩、その後訓練場使用時間の午後九時ギリギリまで訓練を続ける。  段々と、カリンは真湖の攻撃が避けられるようになってきていた。すべてがすべてではないが、致命傷は避けられる。一本取るのは当分先のことだろう、とカリン自身も分かっている。  夕暮れも近づいてきたころ、真湖は星見草の構えを解いた。 『カリンさん、そろそろ終わりにしましょう』 『うん、分かったわ』 『そうそう、帰る前に《工廠|アーセナル》に寄っていかないと』 『あっ! もう新しい武器ができたのかしら!』 『多分ね。行きましょう』  そう言うと、真湖の星見草は《工廠|アーセナル》へ向け歩みはじめる。カリンのマーガレットは子供のように跳ねながらその後ろをついていく。  《工廠|アーセナル》に入ると、葵が出迎えてくれた。 「やあ、待ってたよ。一番奥だ、入って」 誘導に従い、二機は《工廠|アーセナル》の最奥に向かう。 そこには、巨大な机——台と言ったほうが正しいかもしれない、の上に、細い四角錐状の短剣と、鉤状の短剣がそれぞれ二本用意されていた。 『これが……新しい武器?』  カリンは怪訝そうな声を出す。どう使えばいいのか、見当もつかない。 「そうだよ。それと、預かってた短剣とワイヤーのメンテナンスも終わったから、これらと一緒に明日朝一で機体に取り付けておくよ。何か質問は?」  何か質問は、と言われても、カリンには見たこともない武器だ。 『ねぇ、どうやって使うの?』 「それは山神さんと相談してくれ。その上でまた新しい武器が欲しくなったら、僕に言ってくれればいい」 『葵さん? カリンさんに何て無責任なことを言うのかしら』 「ええっ!?」 『まあいいです。カリンさん、明日はやっと武器を使った訓練ができるわね』 『うん! ありがとう、先輩! あと葵さんも』 「僕はついでか」  その日の夜。  ベッドの中で、カリンは携帯端末をいじっていた。 「えっと……四角錐、武器、と」  検索サイトを開き、検索ワードを入れる。すると、出てきたのは忍者に関する情報だ。 ニンジャ? クナイ?  カリンには理解できない単語が並ぶ。武器として使うという情報もあれば、いやそうじゃない道具として使ったのだ、という情報もある。どれが本当かも分からない。  しょうがないので、今度は鉤、武器、と検索ワードを入れた。  今度は中国の武器が出てきた。鈎、という武器があるらしい。ただこれは長剣の類で、短剣ではあまり使われていなさそうだ。しかし相手の武器を絡め取る、というのはなかなか面白そうだ。明日が楽しみだ。  ちょうど、リーザが共同浴場から戻ってきた。自室にもシャワールームはあるのだが、リーザは湯船に浸かりたいために共同浴場に足繁く通っている。何がいいのだろうか、あれ。 「リーザ! 今日ね、新しい武器ができたのよ!」 「それはよろしゅうございました」 「ふふん、これで最弱なんて言わせないわ……! 見てなさいよ、あいつらめ!」 「あいつら?」 「何でもないわ。あら?」  カリンは、机の上にあるスマホが鳴動していることに気づいた。  短い鳴動だったので、メールだろう。リーザがすぐに取りにいき、カリンに渡す。 「ありがとう」 「いいえ」  カリンはスマホの画面を見る。そこには、父からのメールが来ていた。 【カリンへ】 【日本での暮らしには慣れたか? 皆、お前とリーザを心配しているぞ。GAでの訓練は辛いだろうから、少しばかり仕送りをしておいた。休日には友人と遊びに出かけなさい。それから王女としての振る舞いを忘れぬよう……】  延々と続くカリンの身を心配する文章に、カリンは飽きてスマホの電源を切った。 「まったく、父として以前に国王として威厳を保ってほしいものだわ」 「陛下からのメールでしたか」 「ええ、そうよ。少し仕送りをしたから、遊びに行きなさい、だって」  カリンは今それどころではないのだ。早く新しい武器を試したくてしょうがないのだから。 「ねぇリーザ、欲しいものがあったら、買ってきていいわよ。あなたは訓練に付き合う必要はないし」 「ありがたいお言葉です。では、明日少々外出してきてもよろしいでしょうか」 「うん、それがいいわ。明日は日曜日だし、朝から……訓練……しなきゃ」  カリンの声がか細くなっていく。午前の授業がないということは、その分訓練に時間を当てられるということだ。そして絶対、真湖は午前もみっちり訓練を当て込んでくるに違いない。 「早く寝なくちゃ!」  明日に備え、カリンはさっさと眠ることにした。  カリンは夢を見ていた。  ああ、幼いころの夢だ。夢だと分かっていても、目が覚めない。  初めてGAマーガレットに出会ったときの記憶。子供用シートを特注してもらい、一人で初めてGAを操縦した経験。  あれ? あのときは、確か……誰もが驚いて、訓練を受けさせてくれていたはずだ。なのに、あのときの感覚が、今はすっかりなくなってしまっている。  慣れのせいか? いや、そうじゃない。あの感覚を思い出せさえすれば、マーガレットはまた自分の手足のように動くはずだ。  《Ball》を握り、《Boots》を踏み込む。そんな操縦の基本の方法さえ、忘れてしまっていた気がする。  幼い私はGAの名を祖母の名から取った。大好きだった母方の祖母。貴族の女性らしく気品ある立ち居振る舞い、知性ある会話、高貴な存在であることを常に忘れず、美しい誇りを持った女性。  憧れを持ちなさい。  そう言われて育った私は、祖母を憧れの対象として見ていた。亡くなった今もそうだ。  無様な最弱王女である私では、祖母に顔向けできない。  だから、強くなりたい。強くありたい。  国を守るために、祖母の意思を体現するために。  目を覚ましたカリンは、自分が涙を流していることに気づいた。  懐かしい夢を見た気がする。涙を拭き、起き上がる。  今日も訓練だ。今日は調子がいい、上手くいく気がする。 「おはようございます、殿下。お召し物をご用意いたしました」  先に起きていたリーザがジャージ一式を持ってきてくれた。 「おはよう、リーザ。今日はね、お祖母様の夢を見たの」  ジャージを受け取り、カリンは上機嫌に答える。 「マーガレット様の夢、ですか」 「そうよ。ああ、あなたの祖母でもあるわね」  祖母マーガレットはカリンにとっては母方の祖母であり、リーザにとっては父方の祖母に当たる。リーザはその意味ではカリンの再従兄弟に当たるのだが、リーザの父は一般の女性と結婚するため相続権を放棄し、貴族ではなくなっていた。  リーザもまた、祖母マーガレットを尊敬していた。その点では、カリンと共通している。それだけ大きな存在だった、ということだ。  その祖母が夢に出てきたということは——何かの暗示だろうか。非科学的だが、信じたい気持ちもある。  カリンは寝間着からジャージに着替え、私服姿のリーザとともに食堂へ向かった。  食堂に行くと、真湖がいた。真湖はカリンとリーザを見つけると、笑顔で手を振ってきた。 「おはよう」  おはようございます、とリーザは丁寧にお辞儀をする。 「おはよう、先輩。今日ね」  カリンがいい夢を見た、と言おうとしたそのときだった。 クラスメイトたちが、食堂に入ってきた。 クラスメイトたちの視線が、カリンに注がれる。 だが、すぐに何事もなかったかのように、クラスメイトたちは食堂のカウンターへと行ってしまった。 せっかくいい夢を見たのに、最悪の気分だ。 カリンはリーザにカツ丼の注文を頼み、真湖の席の前に座る。 「気にすることはないわよ。すぐに見返せるようになるから」 「ええ、そう思うわ。見てなさいよ、あの連中……!」 「まあまあ。ほら、あーんして」  真湖はそう言うと、ステーキ定食のヒレ肉をカリンの口に放り込む。  むぐむぐ。なかなかいける。  カリンが日本に来てよかったことの数少ない一つは、この食堂の料理の美味しさだ。さすが美食の国、日本。学生食堂でさえ美味しい、とカリンは思う。  しばらくしてリーザがカツ丼と親子丼を運んできた。 「ありがとう、リーザ」 「いえ、どういたしまして」  カリンはリーザからカツ丼を受け取ると、カツを一切れ真湖の皿に入れる。 「あら、ありがとう」 「いただいたものを返しただけよ。それより、聞きたいことがあるの」 「何かしら?」  カリンは昨日、ベッドで調べた四角錐の武器と鉤状の武器について真湖に伝える。クナイとは何か。鈎という武器があるらしい、と。  真湖は真剣に耳を傾けていた。やがて聞き終えると、真湖はこう答えた。 「忍者っていうのは、アサシンみたいなものかな。クナイは忍者の使っていた道具で、漫画とかだとちょうどカリンさんの短剣みたいに使うものなの。鈎、っていうのは、私は知らないけれど、武器を絡め取るなら便利そうね。今日試してみましょう」  真湖はやる気満々だった。  しまった。朝からハードメニューをこなさせられる。  カリンがそのことに気づいたときには、後の祭りだった。  カツ丼をできるだけゆっくり食べ終えると、リーザを送り出し、真湖と訓練場へ向かう。その足取りは重かった。  いつもの訓練場十周はきっちり最後まで真湖の監視のもとこなさせられ、カリンは食べたカツ丼を吐いた。これで訓練中に吐くのは何度目なのか。もはや乙女のプライドはズタズタだ。  でも、勝ちたい。勝つためには訓練が必要だ、とカリンも分かっているため、文句は言わない。  本日のエアロバイクは三十分、ゆっくりでいいからね、と隣でエアロバイクを漕ぐ真湖は平気な顔で言う。すでに時刻は十時を回っていた。  しかし真湖のおかげなのか、最近のカリンの体は引き締まってきており、体重は変わらないが足腰のくびれや腕のしなやかさが増した気がする。毎度のように吐いているが。  エアロバイクを終え、休憩時間を取った後、シャワールームで汗を流す。至福のひとときだ。冷たい水が気持ちいい。  午前十一時十五分、カリンと真湖は再度食堂に行き、早めの昼食を摂る。昼は軽めにシーザーチキンサラダと野菜ジュースだ。真湖も同じメニューを頼む。  二人はさくさくっと食べ終え、《格納庫|ハンガー》に向かうと、葵がいた。 「やあ、遅かったね。もう換装し終えてるよ」 「ありがとうございます」 「あ、ありがとう、ございます」  カリンは真湖のお辞儀を真似して、ぎこちなく礼を言う。 「いやいや、何か不備があったらまた言ってくれ。それじゃあ」  そう言って、葵は《工廠|アーセナル》へ帰っていった。  カリンがマーガレットのもとへ行くと、昨日見た四角錐の短剣と鉤状の短剣が腰部に新しく装備されていた。ピッカピカに磨かれた短剣たちは、今にもその鋭さを試させろと言わんばかりだ。  それにしても、四角錐の短剣は小さく、鉤状の短剣は大きい。カリンの使っている短剣は刃渡り二メートルほどなのだが、四角錐の短剣は若干短く一メートルほど、鉤状の短剣は二メートル五十センチほどある。  さらに、どの短剣にもワイヤーがくっつけられるよう、改良が施されていた。これで戦術の幅が広がる! ……使いこなせれば。  カリンは跪いたマーガレットのコクピットに乗り込む。シートベルトを着け、《Boots》に足を突っ込む。すると、コクピットが自動的に閉まり、前面のディスプレイに『RESTART』の文字が出てきた。  葵が何かいじったようだ。カリンは特段気にすることもなく、《Ball》を掴み、マーガレットを立ち上がらせる。  マーガレットはよろめいた。  よろめいたと言うよりは、素早く動きすぎて——反応が早すぎて、カリンのいつもの操縦技術では扱いきれなかったのだ。 「なっ……あの馬鹿《技術者|エンジニア》、勝手に人の機体をチューンナップして!」  カリンは何とか《Ball》を引き、マーガレットを立たせる。一歩一歩、そろそろと地を踏み、操縦の感覚を慣れさせる。 『カリンさん、どうしたの?』 『ごめんなさい、機体がチューンナップされたみたいで、ちょっと操縦の感覚が……』 『ああ、そういうことね。少し走って、慣れさせてからじゃないと戦闘訓練は危ないわね』 『うん、走ってみるわ』  カリンは《Boots》を軽く踏み込む。  ほんの一センチくらい、沈みこんだ感覚だ。  なのに、マーガレットは敏感に反応し、訓練場を一直線に駆け抜ける。 「嘘ぉ!?」  慌てたカリンは咄嗟に《Ball》を回し、ブーツの踏み込みを引き上げる。ギリギリ訓練場内に踏みとどまったマーガレットは、何事もなかったかのように静止していた。 「はあ、はあ……どうなっているのよ、これ!」  いくら何でも、敏感に反応しすぎている。制止が上手く行かなければどうなっていたことやら。 『葵さん! これは一体どういうこと!?』  真湖の叫び声が全域音声通信で聞こえる。《工廠|アーセナル》へ向けて叫んでいるのだろう。 『そんなに叫ばなくても聞こえてるよ! どういうことって、どういうこと!?』 『決まっているでしょう、マーガレットよ! どうしてあんなチューンナップしたの!?』 『ええ!? 僕はただ、その機体の本来の性能を引き出しただけだよ!? リミッターが付いてたから!』 『リミッター?』 『そう、リミッター。大分前から、その機体はリミッターが付いてたみたいだね。で、今朝メンテナンスついでに外しておいただけだよ』 『どうしてそういう重要なことを言わないの!? 危なかったじゃない!』 『それはごめん! 言い忘れてた!』  言い忘れていたでは済まされない。ただ、真湖が怒りすぎていて、カリンは黙って両者のやり取りを聞いているしかなかった。  リミッター。つまり、正確な時期は分からないが、マーガレットはずっと、リミッター付きで動かされていたということになる。  仕掛けたのはまず間違いなくカリンの父だ。問い詰めれば、安全装置だ、とでも言うだろう。  カリンは後で絶対父に抗議メールを送ると心に決めた。  結局、今日の戦闘訓練は中止となり、カリンはマーガレットの歩行訓練からやり直す羽目になった。
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