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[*label_img*]  大陸歴一七九六年、十二月二十二日、朝。  前日、エレインは各村々や街に、次の通達を出していた。 『冬至の祭りの日は擬似魔法の使用を禁止する。羽目を外さないように』。  人間、羽目を外すと何をするのか分かったものではないからだ。ただでさえ貴重な擬似魔法の書物を使われては、堪ったものではない。  魔法が必要であればエレインが直接出向いて使う旨も発したかったが、「花火を打つためだけに呼び出されるだけですよ」とのメルヴィルの進言により却下となった。  エレインは窓の外を見る。冬の木枯らしの向こうでは、祭りの準備が整っているのだろう。  エレイン、アラステア、クィンシー、メルヴィルの四人は、食堂で一同に会した。特に時間を決めて集まっているわけではないが、何となく一緒に食べることが習慣となっていた。このことがエレインは嬉しかった。桜子だったころはずっと一人で食べていたからか、家族や友人と食事ができる今世は、とても恵まれた環境のように思える。  中年の女性メイドの作ったスクランブルエッグとベーコン、ジャガイモのスープに多彩なパン。食卓はお祝いのように大量の料理で埋め尽くされた。 「それでは、私どもはこれで失礼いたします。三日後、戻ってまいりますので」 「はい、ご苦労様でした。ゆっくり休暇を楽しんでくださいね」  エレインがそう言うと、中年の女性メイドと若い女性メイドは一礼をして、去っていった。男性の使用人三人はすでに館を離れている。  少し寂しくなるな、とエレインは思ったが、三人も残ってくれたのだから文句は言わない。アラステアは《義兄|あに》のところに贈り物をしたらしく、クィンシーはそもそも家族全員が商売をしているので揃うことは滅多にないらしい。メルヴィルは言わずもがな、当のエレインは——領地経営でそれどころではない。一応、先日家族に手紙を出したので、それで許してもらおうと思う。  そう言えば、メルヴィルは家族がいるのだろうか。 「家族ですか? いえ、とうの昔に血縁者はいなくなっていますね。妹たちの子孫ならいると思いますが……探したことがないので、所在までは分かりません」  さすが千年以上生きている魔族だ。スケールが違う。 「私にとっては、魔王陛下や臣下たちが家族のようなものですから、特段寂しくはありませんね。人間ほど血縁に執着しないと申しますか、気の合う仲間と生きていくほうが楽しいでしょう?」 「それは、そうかもしれませんが」 「その代わり、魔族は仲間意識が強い、と人間からは見られているようです。我々にとっては当たり前のことですが、やはり種族の違いは明確に出ますね」  種族の違い。人間と魔族はそこまで違うものなのか。  確かに、性質や特徴は大きく異なる部分もある。しかし、混血児《ヒュブリダエ》が生まれるように、人間と体の仕組み自体はそれほど変わらないのではないだろうか。  となると、猿からの進化の過程で、どこかで枝分かれしたということになる。そうでもしないと、遺伝子的に子供が生まれるはずがないのだ。この世界ではまだ遺伝子学は成立していないが、段々と発達していけばその辺りも明らかになるのかもしれない。  エレインはパンをスープに浸しながら、そんなことを考えていた。  朝食を終えると、アラステアはいつもどおり領地の見回りに、クィンシーはグラッドストン商会へ、そしてエレインとメルヴィルは事務仕事に取り掛かった。メルヴィルには再来年度からの税制書式を一から作ってもらっている。エレインは帳簿の見直しと、税負担の公平化の徹底を図るための資料を読みあさっていた。地道な作業だが、苦にはならない。領地が潤えばエレインの懐も潤い、擬似魔法の書物を買う資金ができる。そしてエレインの魔法は実質無料だ、これを使わない手はない。  しかし、他の領地では魔道師を雇う金がないのだろう。エレイン並みとは行かずとも、マギアスコラを卒業できるレベルの魔道師を一人雇えば、農民の負担は大幅に減るというのに、もったいない。  ああ、そう言えば。ユーファリア連合王国国王陛下に手紙を出さなければならない。魔法を使った領地経営の初年度の経過を報告する約束を交わしていたのだ。  エレインは羊皮紙を取り出し、羽ペンを取る。  時刻は午前十時を回ったところだった。 「お茶を用意してきますね」  メルヴィルはそう言って執務室を出ていく。一人きりになったエレインは、一つ伸びをする。  そして手紙の文面を考えながら、羽ペンを走らせる。失敗しても《消去魔法|デレオーレ》で完璧に消せるので安心だ。やがて書き終えると、添付する資料をいくつか見繕い、大きめの封筒に入れる。  そうこうしていると、ちょうどメルヴィルがお茶を持ってきてくれた。有り難い。 「息抜きをしながらやりませんと、最後まで保ちませんよ。ゆっくりやりましょう」  まったくそのとおりだ。エレインはお茶に手を伸ばす。  甘い香りが鼻腔をくすぐる。お茶の中には花びらが入っていた。 「いかがですか? 魔王城から持ってきたハーブティーです、花びらも食べられますよ」 「いいのですか? 美味しいですけれども」 「ははは、誰も気づきませんよ。私くらいしか備品をすべて把握していませんから」  それは盗んできたようなものではないのだろうか。いや、追及はよそう。美味しければそれでいいのだ。  メルヴィルの気遣いもあり、書類仕事は予想よりも早く終わり、昼前には今日のノルマ分はすべて片付いてしまっていた。 「お見事です。陛下もそのくらい真面目に仕事をしてくださればよいのですが」  だから、フルストの話題はいいってば。メルヴィルは昼食の準備にとまた執務室を出ていく。  そろそろお腹を空かせたアラステアが帰ってくる頃合いだ。朝のパンの残りと、スープと、何が出てくるだろう。  考えただけでお腹がくー、と鳴る。  エレインは我慢できなくなり、執務室を出て食堂へと向かおうとしたそのときだった。  執務室の扉が三回ノックされる。 「どうぞ?」  メルヴィルか、と思ったが——違った、クィンシーだ。  手には封の開いた封筒をいくつか持っている。クィンシーは扉を閉め、封筒を執務机の上に置く。 「先日ご依頼いただいていた件で、進展がありました。フロレンシア・オズワルドという女性は」  一瞬の間が空いて、クィンシーは答える。 「生きています。南ユーファリア王国、ザカン領クィネルにいるとの情報が入ってきました」 ☆ 「生きている、とはどういう意味ですか?」 「失礼、簡潔に結論から申し上げました。彼女は二十年ほど前、一度故郷の街を離れて旅をしていたそうです。そして十五年ほど前に実家に戻ってきたかと思うと、服毒自殺を図り、そのまま昏睡状態に陥った。十五年間、一度も目を覚ましていないそうです。彼女の実家は南ユーファリア王国有数の商家でして、『眠り姫』のあだ名で公然の秘密として取り扱われていた、と」 「そこまで手の施しようがないのですか?」 「医者も匙を投げたそうです。とはいえ、彼女の両親兄弟は存命で、彼女を養うだけの財力も十分にあります」  つまりこういうことか。二十年ほど前に西ユーファリア王国に来たフロレンシアは、ヘイファル・イーダーズと出会い、アラステアを産んだ。しかしそのときにはヘイファル・イーダーズはすでに死亡しており、赤ん坊だったアラステアをどういう事情でか育てられないと判断したフロレンシアは、大陸歴一七七九年三月一日未明にヘフィンの自宅前にアラステアを置き去りにした。一通の手紙を残して。  まさかフロレンシアも、手紙一通からそこまで辿られるとは思ってもいなかっただろう。その後二〜五年間程度の空白の時間ののち、フロレンシアは実家に戻って自殺未遂、昏睡状態が今まで続いている。  エレインは考える。これをどうすべきか。直接アラステアに伝えるのは論外だ、どんな行動を取るのか分からない。  回復方法はないものだろうか、とクィンシーに相談するが、こればかりは医者も匙を投げているためどうしようもない、ということだった。  ということは。  医者が匙を投げたのなら、魔道師なら、自分ならどうにかなるのではないだろうか。  エレインは、そこはクィンシーには黙っておいた。何せ、大魔道師《マグナス・マギ》である祖父からもきつく使うなと言われている、星元素の魔法を使わなくてはならないからだ。 「調査、ありがとうございました。成功報酬の」 「いえ、それはいただけません。手がかりを十分もらった上で、確認してきただけですから、大した手間でもありませんでした。金貨百枚分どころか、手紙数通分の費用しかかかっていませんからね。もちろん、秘密は厳守しますので、ご安心ください」 「ありがとうございます。そう言っていただけると、助かります」  エレインはクィンシーに感謝した。大陸を股にかけるグラッドストン協会の協力がなければ、こうも早く調べられなかったことだろう。  とにかく、フロレンシア・オズワルドを目覚めさせる方法を考えなくてはならない。  そう考えつつ、エレインとクィンシーは、食堂へと向かった。  二人が食堂に着くと、すでにアラステアが着席していた。今か今かと昼食が運ばれてくるのを待っている。  エレインはメルヴィルの手伝いを買って出た。今日の昼食のメインは野菜グラタンだ。エレインは食卓に運び、感嘆の声を上げるアラステアとクィンシーを微笑ましく思う。 「これで全部揃いましたね。さあ、いただきましょう」  メルヴィルはそう言って、食卓に着く。  熱々のグラタンには旬の野菜がゴロゴロと入っていた。朝の残りのジャガイモのスープに、チーズと小麦粉を足して作ったらしい。美味しい。  エレインは、ホクホクしたグラタンを一口ずつ口に運ぶ。アラステアは「熱っ!」と言いながらガツガツ食べていた。  冷ましつつ、何とか完食したエレインは、早速執務室に戻り、魔道書を開いた。  メルヴィルはキッチンの後片付けでいない。ちょうどよかった、メルヴィルにも知られたくない星元素の魔法のことだ。  魔道書には、星元素について詳しくは載っていなかった。それもそのはずだ、星元素は存在だけ知られている幻の元素であり、今となっては存在も怪しまれているほど使い手が希少な魔法だ。エレインも、膝を擦りむいたときに一度だけしか使ったことはない。  服毒自殺未遂の患者を助ける星元素の魔法、というのは何があるだろうか。  エレインは上質氏にこう書いた。 『《海の星よ|ステルラ・マリス》、《星々のごとく輝き癒せ|ステルランティス・サノーレ》』  基本はこの詠唱だろう。後は、《圧縮魔法|コンプレッスス》で強化して、施術するしかない。  南ユーファリア王国へは一度王都に出て、魔法陣を借りて《転移魔法|モビリス》を使う方法が一番手っ取り早いが、年末年始はさすがにやっていないため、この問題は年を跨ぐことになる。  エレインは嘆息しつつも、物事が前進していることに満足感を覚えた。  やがて、メルヴィルが戻ってきた。エレインは上質紙を懐にしまい、明日の分の仕事に取り掛かる。  その前に、メルヴィルに尋ねてみたいことがあった。 「メルヴィルさん、少しお尋ねしたいことがあるのですけれども」 「何でしょう?」 「星元素の魔法、ご存知ですか? 人間は使えないらしいですけれど」 「ああ、魔族も使える者はごく限られていますね。先天的な才能が必要で、かつ使用者の生命力を奪う副作用があるものですから、禁忌にも近い魔法です」 「生命力を奪う?」 「そうです。自分の生命力を、他者に譲り渡して回復させたり、身体能力を強化させたりする魔法ですから、どうしても使いどころが限られますし、強制的に使わさせられることも考えられますので、バラジェでは星元素の魔法の使用は原則禁止となっております」 「そうだったのですか……知りませんでした」  自分に自分でかける分には問題はなさそうだが——これは、何らかの触媒が必要かもしれない。もう一度詠唱を見直そう、エレインはそう思った。 ☆  大陸歴一七九六年、十二月二十二日、夕方。  外はもう暗くなっていた。各村々や街では、冬至の祭りの本番が始まろうとしているだろう。  エレインは五冊目の魔道書を読み終え、棚に戻す。やはり、星元素の魔法の記述はごく少ない。医学書を読んだほうがまだ手がかりがあるかもしれない、とさえエレインは思いはじめていた。  そんなエレインに、メルヴィルは声をかける。 「調べ物でしたら、私が代わりに調べましょうか?」 「いえ、個人的な興味のことですから、ご厚意だけ受け取っておきます」  これだけの説明では怪しまれるので、エレインは少し付け足す。 「私はこのとおり、星型の痣がありますので……星元素の魔法が使えるのではないかと思ったのですけれど、おそらく人間には無理そうですね。メルヴィルさんのご説明でも、危険な魔法のようですし、そろそろ諦めようと思って」 「それは賢明なご判断ですね。星元素の魔法を使えるのは、歴代魔王でも数人しかいなかったと聞きます。それも回復ではなく、攻撃用の魔法です。エレインさんが使いたいのは回復用でしょう? であれば、素直に医術を学ばれることをお勧めします。魔法の応用も効くかもしれませんしね」 「そうですね。ありがとうございます」 「いえいえ。ところで、夕食は何にいたしましょう? よろしければ、祭りの会場に行ってみるのも悪くはないのではありませんか?」  祭りの会場か。いや、やめておこう。エレインは顔が知られている、無礼講だと言って嫌な思いをする可能性だってあるし、民のほうも気を遣うだろう。エレインは少し疎外感を覚えたが、致し方ない。 「ところで、バラジェのほうでは、冬至の祭りはどのような感じなのですか?」 「そうですね、各家々で早めに寝て、翌日子供にプレゼントを渡す日、でしょうか。こちらの国のように、集まって騒ぐことはありませんね」 「へぇ……プレゼントですか」 「大変でしたよ。魔王城に住む皆にこっそり夜中にプレゼントを配るのは。千人はゆうに超していますからね」 「メルヴィルさんはプレゼントする側だったのですね」 「本来は魔王陛下の仕事ですが、まあそういうことです。陛下はあれでもまだ成人なさっていませんから」  ?  今、メルヴィルは何と言った? 「メルヴィルさん」 「はい」 「今、何と言いました? 私の聞き間違いですよね?」 「ああ、陛下が成人なさっていないことですか? まだ二百四十歳ですからね、三百歳くらいにならないと成人したとは言えません。そのくらい、魔王の寿命は長いのですよ」  初耳だ。そう言えば、以前《黒曜館|こくようかん》を訪ねてきたとき、アルコール類はフルストは飲まないと言っていた気がする。  と言うか、成人していないのに婚約者だの何だの言って結婚を迫ってきていたのか、あの魔王。 「夕食はローストビーフでお願いします。確か、作り置きがあったはずです」 「かしこまりました。では、失礼いたします」  そう言ってメルヴィルは執務室を出ていった。  ほぼ入れ替わりに、アラステアが扉をコンコンコン、とノックした。 「どうぞ、アルさん。どうかしましたか?」  エレインは尋ねる。すると、アラステアは何やら言いづらそうに、いや、意を決したように、こう言った。 「あの……夕食までまだありますから、外を散歩しませんか?」 「え? ええ、かまいませんけれど」 「よかった。じゃあ、玄関で待っていますね」  アラステアは嬉しそうに駆けていく。  外は寒いが、少しくらいの散歩ならいいか。エレインはコートを羽織り、執務室を後にした。  玄関前にいたアラステアは、火のついたランタンを持っていた。そうか、普通の人間は夜道を歩くのにランタンがいるのだな、とエレインは思い直した。エレインはいつも『《光魔法|ルクス》』で何とかしていたため、盲点だった。 「じゃあ、少し歩きましょうか。そこの丘の上まで行きましょう」  アラステアが先導する形で、エレインはついていく。丘と言っても、ほんの十数メートルほどの起伏だ。アラステアに手を引かれ、エレインは丘の上に上がる。  ほんの少しだけ、夜空に近い場所に辿り着いた二人は、枯れた芝生の上に座り、星空を見上げる。  冬の澄んだ空気も相まって、星々は見事に輝いていた。まさに満天の星空、という趣だ。 「綺麗でしょう? エレインさん、星が好きかな、と思って」  確かに、星は好きだ。前世でも、星空を見たいがために冬の寒空のもとベランダに出て、星座表片手に星座を探していた記憶がある。  アラステアは純粋だった。勇者という名に似合わないほど優しく、向上心があり、慢心しない。エレインより一つ年上だが、桜子からしてみれば可愛い弟のような存在だ。 「エルさん、あれが北極星です」 「どこですか?」 「指の先の少し暗い星です。右のほうの」  そんな会話をしながら、二人は星座を眺める。  やがてクィンシーが丘の下の道を通って帰ってくるのを見つけると、二人は丘を降りた。 「今日の夕食はローストビーフですよ」 「またですか? エルさん、ローストビーフ好きですね」 「あはは、本当ですね」 「むう、何が悪いんですか。美味しいじゃないですか、ローストビーフ。グレービーソースも」  本当に、三人の他愛のない会話だった。  ずっとこのときが続けばいいのに、と思うくらいに、愛おしい時間だった。 ☆  大陸歴一七九七年、一月四日、朝。  厳かな新年の雰囲気も和らぎ、皆が平常に戻った寒い寒い冬のある日。  エレインはメルヴィルとクィンシーに王都へ行くとだけ告げ、庭の簡易魔法陣に乗った。コートとバッグ、それに魔法の詠唱を書いた上質紙を懐に忍ばせ、初めての一人旅だ。アラステアには申し訳ないが黙っておいた。護衛をする、と言って聞かなくなるかもしれないからだ。 「《転移魔法|モビリス》、オッキデンターリス・ユーファリア・サンクトゥスウィーケーティア!」  エレインは国の名前と、王都の正式名称を唱える。  ぐにゃり、と視界が歪んで回る。  ほんの一瞬、宙に浮いた感覚が襲った。そして、目を開けると、王都の魔法陣管理所の白壁が目に飛び込んできた。  傍にいた係員がエレインに尋ねる。 「おはようございます。魔法陣管理所のご利用、ありがとうございます」 「おはよう。これ、陛下からの勅許状よ」  エレインは一枚の羊皮紙を係員に手渡す。エレインが領地をもらった際に、王都の魔法陣管理所を自由に使う権限を与えられていることを示す勅許状ももらっていたのだ。普通に魔法陣管理所を使うと、一回につき金貨一枚を払わなくてはならない、まさに暴利だ。  係員も慣れた様子で羊皮紙に書かれている文言を確認し、エレインに返す。 「はい、確認できました。ご利用、ありがとうございました。これから魔法陣をお使いになりますか?」 「ええ、南ユーファリア王国のザカン領まで行きたいのだけれど」 「でしたら、ここを出て左手の魔法陣をお使いください。係員がおりますので、ご不明な点は係員にお尋ねくださいませ」 「ご丁寧にありがとう。そうするわ」  エレインは言われたとおり、魔法陣を出て、左手のほうへ進む。別の係員が立っていた。 「おはようございます。こちら、南ユーファリア王国行きの魔法陣でございます」 「おはよう。早速だけれど、使わせてもらってもいいかしら?」 「もちろんでございます。王国名と地名を合わせてご詠唱ください」 「分かったわ」  エレインは一応、勅許状を出して係員に確認させる。すぐに確認は終わり、エレインは魔法陣に乗る。  すう、と息を吸い込み、詠唱する。 「《転移魔法|モビリス》、メリディアヌス・ユーファリア・サンクトゥスドラーベルラ!」  またぐにゃり、と視界が曲がる。  今度は前に引っ張られるような感覚が襲い、倒れそうになる。  エレインは一歩前に踏み出し、何とか倒れるのを堪えた。  係員がエレインを助け起こそうとする。だが、エレインは「大丈夫」と答えて、自分で踏ん張った足に力を入れた。  あとは係員に勅許状を見せ、外に出る。  そこは、常夏とまではいかないが、春の陽気で満たされた土地だった。  南ユーファリア王国王都聖ドラーベルラ。エレインはコートを脱ぎ、近くの馬車の停留所に行く。  そこで暇そうに立っている御者の一人に声をかけ、エレインはザカン領クィネルまでいくらか尋ねる。 「そうですねぇ、ザカン領までは二時間ほどかかりますので、銀貨二枚ほどでどうでしょう?」 「クィネルまで行ってもらえるかしら?」 「では銀貨三枚で」 「急いで行ってくれるのなら、その額を払ってもいいわ」 「毎度あり。ではどうぞ、お嬢様」  御者は仰々しく馬車の扉を開き、エレインを馬車に乗せる。  後は座って待つだけだ。エレインは懐から取り出した詠唱の文言を確認する。 『《星々のかけらよ|フラグメンタ・アストロルム》、《女を|ムリエブルス》《癒す金星よ|・ウェヌス・アド・サナンドゥム》』  何分、初めて他人に星元素魔法を使うのだ。何度も確認を繰り返し、発音しないように口の中で呟く。 『《大地から|ノン・エスト》《星までの|アド・アストラ・》《道は|モルリス》《平穏ではない|・エ・テルリス・ウィア》、《しかし|アト・ターメン・》《困難を通じて星々へ|ペル・アスプレーラ・アド・アストラ》、《我は汝|トゥ・フュイ》、《汝は我|エゴ・エリス》。《我は汝とともに生きる|ネク・ポッスム・エッフゲレ》、《我は汝なしでは|クィスクァム・ネク》《生きていけないだろう|・アモーレム・ポテスト》』  この圧縮魔法《コンプレッスス》をここで使うことになるとは思わなかったが、ちょうどよかった。フルストに使わずに済んで。 『《海の星よ|ステルラ・マリス》、《星々のごとく輝き癒せ|ステルランティス・サノーレ》』  ちょうどそこまで読んだところで、御者が話しかけてきた。 「お嬢様、しかし何だってクィネルに?」 「知り合いの母がいるの。その方に会いによ」 「へぇ、ならさぞかし金持ちなんだろうな」 「どういうこと?」 「クィネルは南ユーファリア有数の貿易港なんだよ。そこに居を構えるだけでも大したもんだ」 「そうなの。それは初耳だわ」 「ははっ、お嬢様、どこから来たんだい?」 「西ユーファリアからよ。これでも魔道師なの」 「魔道師! その《年齢|とし》で!?」  余計なお世話だ。しかし驚く御者は続ける。 「お嬢様、一応警告しておくが、クィネルでは魔道師だってことを言い触らさないほうがいいぞ。人さらいやら何やら、バタヴィアからの船乗りが多く出入りする土地だからな。あっちのほうでは魔道師は貴重だからってんで、平気でさらっていくらしい。お嬢様も気をつけなよ」 「そう……気をつけるわ。ご忠告、感謝するわ」 「いいってことよ。ああそれともう一つ、クィネルは自治会が頭張っててな、市長やらはお飾りなんだ。何かあれば、自治会に頼るといい。自警団もやってるって話だ」 「本当に? それは興味深いわね」 「それとだ、クィネルは食い物が美味いことでも有名で——」  御者のおしゃべりは止まらない。  エレインは到着まで御者のおしゃべりに付き合わされる羽目になった。 ☆  二時間半みっちりと御者のおしゃべりに付き合わされたエレインだったが、得るものもあった。  例えば、クィネルのオズワルド家と言えばクィネル有数の豪商だということ。クィネルの『眠り姫』は有名な話らしい。  そしてクィネルでは痣を見せないようにしたほうがいいこと。これは持ってきた手袋を嵌めれば問題ない。  さらにクィネルは治安が悪いところも多いこと。なるべく自警団に頼んで地元民の護衛を雇ったほうがいいらしい。  散々疲れたが、それだけ助言を受けて規定の料金だけ払うというわけにもいかない。エレインは銀貨を五枚、御者に渡した。 「へへっ、毎度あり! 帰りも使ってくれよな!」  帰りは魔法陣で帰るから使わない、とは言えなかった。《転移魔法|モビリス》は一度行ったことのある場所にしか行けないため、初めてクィネルを訪れるエレインは馬車を使わざるを得なかっただけだ。  さて、まずは自警団に顔を出すことと、触媒を手に入れることだ。エレインは適当な宝飾品店に入り、宝石を眺める。  すぐに店員が駆けつけてきた。 「お客様、何かお探しのものがおありですか?」 「ええ、知り合いに贈り物をするの。黄色い石がいいわ」 「でしたら、ご予算にもよりますが、トルマリンなどいかがでしょう? こちらのイエロートルマリンはバラジェ大山脈西部から採掘した貴重な一品でして、まだ市場に出回って間もない珍しい品です」 「なら、それをくださいな。おいくら?」 「かしこまりました。ブレスレットとネックレスのセットで金貨二枚となります」  ぼったくりだ。そう思ったが、エレインは黙って財布から金貨二枚を取り出す。  店員は金貨を受け取ると、満面の笑みでブレスレットとネックレスを箱に入れ、差し出してきた。エレインは受け取り、バッグの底へ入れる。 「ああ、そうだわ。自警団のところに行きたいのだけれど、どう行けばいいのかしら?」 「自警団ですか? そうですね、ここの大通りを北へ行くと、看板が出ています。そこまでの道のりならば安全ですので」 「そう、ありがとう。いい店でよかったわ」  お世辞はいくら言ってもタダだ。店員は最後まで笑みを崩さず、エレインを丁重に店の外まで案内してくれた。  大通りを北へ。店員が指差した方向へと、エレインは歩いていく。  やがて、『《自警団|ウィジランテ》』と書かれた分厚い金属の看板を見つけた。一部は風化して読めないほど古い。一般人が街中で古語を使うのは珍しいな、と思いながら、エレインは看板横の観音開きの扉を開く。  中は明るかった。天井一面がガラス張りで覆われており、特殊な加工がされているのか、柔らかな光が降り注ぐ。一瞬、中にいた人々の目線がエレインに注がれたが、すぐに皆自分のやるべきことへと戻っていった。  よそ者と思われたかな。近くに受付があったため、エレインはそちらに向かう。 「あの、すみません。ここは自警団で間違い無いですよね?」  尋ねられた魔族の女性は、にっこり笑って答えた。 「はい、お間違えないですよ。何かご用ですか?」 「私、西ユーファリアから来たのですが、フロレンシア・オズワルドさんを尋ねたいのです」  魔族の女性の笑顔が、凍る。何かいけないことを言っただろうか。エレインは言葉を続ける。 「でも、クィネルは治安が悪いと聞いて、自警団に護衛をつけてもらったほうがいいと」 「お嬢さん、少々お待ち願えますか? そこの椅子に座っていてくださいな」  それだけ言うと、魔族の女性は建物の奥へと消えていった。  仕方がないので、エレインは言われたとおり椅子に腰掛ける。  『眠り姫』のことは街でも有名らしいが、オズワルド家はクィネル有数の豪商だから、上のほうではタブー扱いになっているとか、そういうことだろうか。  十分ほど経っただろうか。先ほどの魔族の女性が来て、エレインを案内すると言ってきた。 「案内って、どこにですか?」 「我が自警団団長が、あなたにお目にかかりたいと仰せなのです。ご足労願えますか?」 「はあ……かまいませんけれども」  エレインは生返事で了承する。自警団の団長が出てくるほどの案件なのか、と不思議に思いもするが、話が進まないので会うしかない。  建物の奥に入っていくと、南洋の植物にあふれたコロニアル様式の庭園を通り、階段を昇る。二階のバルコニーに、人影が見えた。  そこにいたのは、魔族の男性だった。青いヤギの角に青い髪、二十代前半くらいの容姿をしている。何より嫌でも目を引くのが、上半身が裸同然だということだ。 「団長、お連れしました」  そう言って、魔族の女性は一礼をして去る。残されたのはエレインと魔族の男性だ。どうしたものか、とエレインが戸惑っていると、魔族の男性はエレインに近づいてきた。 「よう、お前がオズワルド家の『眠り姫』に近づきたいっていう馬鹿か?」  随分と失礼かつ馴れ馴れしい物言いだ。エレインは一気に不機嫌になる。 「そうですけれど。申し遅れました、私、エレイン・ディクスンと申します」 「俺はナイジェル。ナイジェル・ユーバードだ。クィネル自警団の団長をしている」  そう言って、ナイジェルは右手を差し出してきた。エレインも右手を差し出す。  だが、ナイジェルは笑う。 「おいおい、握手をしようってんだ。手袋くらい外せばどうだ?」 「……それは大変失礼しました」  エレインは不機嫌を隠さず、手袋を外す。  右手の甲の星型の痣が、露わとなる。  それを見たナイジェルは、大いに驚いていた。 「それは……なるほど、こちらが無礼だったな。すまなかった」 「いえ、お気になさらず。生まれつきのものです」 「生まれつき、か。人間にしては珍しいな」 「ですから、手袋をしていたのです。ご無礼、お許しください」  エレインは会釈をした。ナイジェルは、ははは、と笑って誤魔化す。 「いいや、こちらの落ち度だ。何、取って食おうってわけじゃない、少し話を聞かせてくれ。『眠り姫』のことは知っているんだろう?」 「ええ。何でも、服毒自殺を図り、十五年間も眠り続けている女性だとか」 「お前は関係者か?」 「フロレンシア・オズワルドは友人の母なのです。もっとも、友人もそのことは知りません」 「何だ、事情が複雑だな」 「ですから、私が来たのです。私なら、フロレンシア・オズワルドを目覚めさせることができるかもしれません」 「お前は医者か? 魔道師か?」 「魔道師です。これでも魔法には自信があります」 「ふむ」  ナイジェルは顎に手を当て、考え込む。  しばらくして、ナイジェルは頷いた。 「オズワルド家と連絡を取ってやる。可能性があるなら、誰でも紹介してくれ、と言われているからな。夜までここで待て」 「分かりました。迅速な対応、感謝します」  エレインはナイジェルに誘われ、庭園へと向かった。 ☆  夜。  庭園で待っていたエレインの元に、ナイジェルが来た。 「よう、待たせたな。オズワルド家の当主と連絡が取れた。ぜひ来て欲しい、だとよ」 「いいのですか?」 「藁にも縋る、ってことさ。オズワルド家の当主ももう年だ、娘がいつまでも『眠り姫』じゃあ嫌なんだろうよ」 「……そうですね」  エレインは、フロレンシアが服毒自殺を図った理由をナイジェルに尋ねる。  ナイジェルは声を落として答えた。 「何でも、駆け落ちした後、西ユーファリアで発見されて連れ戻された、って話だ。駆け落ち相手はとっくに死んでいて、後追い自殺を図ったんじゃないか、とは言われているな」 「その、西ユーファリアで何があったかは?」 「そこまでは俺も知らないな。ただまあ、強引に連れ帰ったことは確かだろうよ」  ナイジェルは頭を掻いて、エレインの耳元で語る。 「ここだけの話、駆け落ちの相手は魔族だって噂だ。クィネルはバラジェが近いからな、俺みたいな魔族が昔からいるんだよ。ただまあ、人間と夫婦になるっていうのは、なかなかに難しいがね」  それはそうだろう。特に豪商の娘ともなれば、政略結婚に使われるのが常だ。それで服毒自殺にまで追い詰めてしまったことは、皮肉にすぎるが。  しかし、自警団には魔族が多い。普通の人間よりも魔法が使える分頼りになるからか、需要があるのだろう。 「着いたぞ、この屋敷だ」  そこは密集した住宅地では豪邸、と言える家だった。何せ、エレインの自宅は城だから基準が曖昧すぎるが……一般的には豪邸だろう、多分。  ナイジェルは勝手に入っていく。エレインもその後をついていった。  玄関前に来ると、一人の老人が立っていた。腰が曲がり、杖を突いてなお正装を決めている。 「遅かったじゃないか、ナイジェル団長。それで、後ろの子供が魔道師だと?」  老人は嫌味たっぷりに問う。ナイジェルは呆れ半分で、答えた。 「才能は年齢とは関係ないんですよ、オズワルドさん。とにかく、一縷の望みでもあるのなら、それに縋ってみようじゃありませんか」 「……うぅむ、そうだな。悪かった」 「いいんですよ。ささ、中へ入りましょう」  ナイジェルはオズワルド老を上手いこと言いくるめ、屋敷の扉を開けさせる。  中は意外と簡素な作りだった。外から風を入れるためか、壁の代わりに柱が多い。大理石の床は明るいベージュで煌めき、雨の日は滑りそうだな、とエレインは思った。  豪邸の三階の一室にエレインとナイジェルは案内された。部屋の前では、老婆が椅子に座っていた。 「あなた」  そう言って、老婆は立ち上がる。ナイジェルとエレインのことは目に入っていないようだ。 「大丈夫だ。お前は気にせずに、休んでいなさい」  おそらく、オズワルド老の夫人だろう。老婆は悲しげに、ゆっくりと階段を降りていく。 「さて、『眠り姫』のご尊顔を拝しますか」  ナイジェルは軽口を叩く。オズワルド老、エレインの順番で部屋に入ると——天蓋付きのベッドに寝かされた女性がいた。頰も痩せこけ、手足は細く、整えられた赤毛と寝間着が微妙なアンバランスさを醸し出している。  オズワルド老によると、食事は無理矢理粥などを嚥下させているらしい。毎日使用人に身だしなみを整えさせ、いつ起きてもいいように、と涙ぐましい努力を重ねているそうだ。  エレインはフロレンシアの傍に行く。魔法などの反応は見当たらない、どうやら本当に服毒自殺未遂の末、植物状態になっているようだった。  桜子の記憶でも、さすがに医学については詳しくはない。それでも、魔法ならばある程度理解が乏しくとも自動的に回復を補えるはずだ。 「ナイジェルさん、オズワルドさん。少し、部屋の外に出ていてもらえますか?」 「何をするつもりだ?」  オズワルド老は責めるようにエレインへ食ってかかる。  ナイジェルはエレインに理解を示したらしく、オズワルド老を説得する。 「大丈夫ですよ。危害を加えたりはしません、駄目で元々です。彼女に任せてみましょう」 「くっ……娘に傷をつけたら承知しないからな!」  オズワルド老は捨て台詞を残して部屋から出ていく。ナイジェルも出て行こうとしたが—— 「俺も駄目なのか?」 「はい。できれば、見ないほうがいいです」 「そうか……分かった、後で説明してもらうぞ」 「できるかぎりのことはします」  ナイジェルもまた、部屋を出ていく。  エレインは宝飾店で買ったブレスレットとネックレスを取り出し、右手に握る。  そして、エレインは星元素魔法の詠唱を始めた。 「《星々のかけらよ|フラグメンタ・アストロルム》、《女を|ムリエブルス》《癒す金星よ|・ウェヌス・アド・サナンドゥム》」  宝石が輝きはじめる。触媒としてよほど相性がよかったのだろう、エレインは落ち着いて次の詠唱を続ける。 「《大地から|ノン・エスト》《星までの|アド・アストラ・》《道は|モルリス》《平穏ではない|・エ・テルリス・ウィア》、《しかし|アト・ターメン・》《困難を通じて星々へ|ペル・アスプレーラ・アド・アストラ》、《我は汝|トゥ・フュイ》、《汝は我|エゴ・エリス》。《我は汝とともに生きる|ネク・ポッスム・エッフゲレ》、《我は汝なしでは|クィスクァム・ネク》《生きていけないだろう|・アモーレム・ポテスト》」  フロレンシアの頭上、空中に魔法陣が一小節ごとに広がりつづける。散らすように、宝石から出る眩い光が、フロレンシアの体を包みこむ。  そして、エレインは最後の小節を詠唱する。 「《海の星よ|ステルラ・マリス》、《星々のごとく輝き癒せ|ステルランティス・サノーレ》!」  その瞬間、宝石が砕けた。パラパラと黄色かった石が、灰色に変わり、床に落ちていく。  魔法陣は急速に収縮し、フロレンシアの頭へと入っていく。エレインも初めて見た光景だった。  そして、数秒後。  フロレンシアの双眸が、開いた。 「わた、しは……?」  掠れた声で、フロレンシアは中空を見る。目の焦点が合っていない。 「フロレンシアさん、起きましたか?」 「あなた、だれ」 「エレイン・ディクスンと申します。あなたの息子さんのことで、お伺いしたいことがあるのです」  途端に、フロレンシアの目が生気を取り戻した。  起き上がろうとするフロレンシアを、エレインは止める。 「静かに。あなたの息子さんは、元気です。西ユーファリアのディヴァーン領にいます」 「あぁ……本当、なのね? ウェイルは、生きているのね」 「はい。ですから、このことは黙っておいてください。いずれ、必ず会えるように取り計らいます」 「うん、うん……ありがとう、ありがとう……!」  フロレンシアの目からは、無数の涙がこぼれ落ちる。  アラステアと引き合わせるにしても、まずは、フロレンシアの体が健康になってからの話だ。  エレインは、フロレンシアと沈黙の約束を交わし、部屋を出た。 「どうだ!?」 「どうだった!?」  ナイジェルとオズワルド老がエレインに詰め寄る。  エレインは咳払いを一つして、こう答えた。 「無事、意識を取り戻しました。後はゆっくり療養させてあげてください」 「本当か!? フロレンシア、儂だ! お前の父だ!」  オズワルド老はそう叫びながら、部屋の中へと入っていった。  ナイジェルは目をパチクリさせて、賞賛する。 「すごいな、お前。医者も匙を投げた『眠り姫』を、起こすだなんて……何の魔法を使ったんだ?」 「秘密です。魔法を使ったのは事実ですけれど」 「そうか、秘密か! いや、何にせよよくやった。親子の再会を邪魔しても何だし、帰るか」 「はい。ああ、そう言えば、今日の宿を取っていませんから、私は」 「自警団の本部に泊まればいいさ。気にするな、もう夜も遅い」  せっかくの厚意だ。エレインはナイジェルの提案に甘えることにした。  エレインの手には、宝石のなくなったブレスレットとネックレスが握られたままだった。 ☆  翌日、朝。  エレインのもとへ、オズワルド老が訪ねてきた。  魔法痛でろくに上がらない右手で寝ぼけ眼をこすりながら、エレインはオズワルド老と対面する。 「おお、昨日の……名前は何だったか」 「エレイン・ディクスンです。オズワルドさん」 「儂はマーロン・オズワルドだ。昨日のことは、実に感謝しておる。娘もあれから起き上がれるようになってな、少しずつだが食事もできるようになった」 「それはよかったですね」  エレインは不機嫌だった。早朝から叩き起こされたこともあるが、何となくこの老人は上から目線で物を言うからだ。 「いや、面倒な話はよい。これを受け取ってくれ」  オズワルド老が懐から取り出したのは、小切手だった。  そこにはこう書かれていた。 『娘の治療費として金貨五百枚を支払う。マーロン・オズワルド』  後はエレインが署名すれば、この小切手は効果を発揮するようになっている。  金貨五百枚とは太っ腹なことだ。エレインは左手で小切手を受け取る。 「しかし、医者も治せなんだ娘を、どうやって治したのだ?」 「詮索はしないでください。それから、娘さんは『治療によって目を覚ました』ではなく、『昨晩突然目を覚ました』ということにしておいてください。後は……娘さんのやりたいことを、やらせてあげてください。きっと、やりたいことがあるはずですから」  エレインはそれだけ言うと、席を立った。  今日は、ナイジェルとともに朝食を摂ることとなった。  ナイジェルは人払いをし、エレインにこう尋ねてきた。 「昨日のことは、俺からもオズワルド老に口止めをしてある……しかしだ、どうしても聞きたいんだが、どうやって『眠り姫』を起こした?」 「魔法で、です」 「何の魔法だ?」 「それは答えられません。私たち魔道師は、他者に手の内を見せたくないものですから」 「それにしたってだ、十五年間も眠り続けていた『眠り姫』をだぞ? 魔族の俺でさえ、どうやったか分からない」  そこまで言って、ナイジェルははたと気づいたように、口を止めた。 「……いや、まさかな。人間が扱える魔法じゃない」 「では、違いますね」 「ああ、まあ、そういうことにしておこう。詮索して悪かったな」 「お気になさらず」 「その右手のことも、黙っておいてやるよ。そのほうがいいだろう」 「まあ……知っている方は知っている、程度のことですから」  南ユーファリアまで来ると、さすがに西ユーファリアの《大魔道師|マグナス・マギ》のことはあまり知られていないようだった。だからエレインも星元素魔法を使う気になったのだが——念には念を入れて、バレないようにしておくに越したことはない。  朝食を終えると、エレインは帰る支度を整え、ナイジェルに銀行までついてきてほしいと頼んだ。 「どうするんだ?」 「小切手を換金します」 「金貨五百枚だぞ!?」 「半分は自警団へ寄付します。もう半分は私の口座に入れておきます」 「寄付? 何でだ?」 「お世話になったお礼です。表の看板の修理費にでもしてください」 「……何枚新しく作れるかな、その額だと」  ナイジェルの冗談は上手くなかった。口止め料も含まれていると判断したのだろう。  エレインはナイジェルの他二人の人間を伴って、すぐさま銀行へ行った。小切手換金と貯金の手続きを行い、その場で自警団に金貨二百五十枚を渡す。  そして町の外まで見送りを頼んだ。土のあるところじゃないと、魔法陣を描けないからだ。チョークでもいいが、できれば痕跡を残したくないため、エレインが《転移魔法|モビリス》を行なった後は魔法陣を消してくれるよう頼んでおいた。  エレインはその辺りに落ちていた木の棒を拾い、簡易魔法陣を描く。人一人が入ればいいので、五分とかからずに描けた。 「じゃあ、団長さん。後のことはよろしくお願いします」 「ああ、任せろ。あの親子も色々と面倒だからな、折を見て様子を見に行くよ」 「助かります」  エレインはコートとバッグを持って、魔法陣の上に乗る。 「それでは、失礼します。《転移魔法|モビリス》、メリディアヌス・ユーファリア・サンクトゥスドラーベルラ!」  ぐにゃり、と景色が歪んでいく。  腹の底から押し上げられるような感覚が襲ってきたが、口を閉じて我慢する。気づくと、エレインは聖ドラーベルラの魔法陣管理所に辿り着いていた。  後は来た道順を逆に帰っていくだけだ。  途中で西ユーファリアの王都に寄って、何か土産物を買っていくのもいいかもしれない。  エレインはそんなことを呑気に考えながら、《転移魔法|モビリス》を繰り返した。 ☆  大陸歴一七九七年、一月五日、昼。  西ユーファリア王国王都聖ウィーケーティアで、エレインはお土産を選んでいた。アラステアとクィンシーには王都の有名菓子店のお菓子を、メルヴィルには宝飾店でネクタイピンを、使用人たちにはそれぞれ可愛らしい封筒——お年玉袋に金貨一枚を入れて、渡すことにした。  エレインは家族に会っていこうか、とも考えたが、やめた。引きとめられて、今日中にディヴァーン領へ戻れなくなる可能性が高いからだ。ただ、現王城にいるであろう祖父には顔を出しておこうと思い、エレインは現王城へ向かう。  門で取次を頼み、しばらく待っていると、すぐに祖父の使いがやってきて、エレインは現王城へ入ることができた。去年の八月以来だな、などと考えながら、祖父の使いの後ろを歩く。  やがて辿り着いたのは、あの中央庭園だった。祖父と連合王国国王陛下がいた。  少し逡巡したが、ここまで来て帰るわけにはいかない、とエレインは一歩を踏み出す。 「ご無沙汰しております、陛下、お祖父様」  エレインはスカートの縁を掴んで、貴族風の挨拶をする。  これに対し、祖父と連合王国国王は嬉しそうにしていた。 「おお、エレインではないか! そなたの働きは聞いておるぞ、さあ、そこに座りなさい。聞きたいことは山ほどあるのだからな!」 「有難き幸せにございます、陛下。それからお祖父様、この四ヶ月、顔の一つも見せず申し訳ございません」 「うむ、気にするでない。フルスト魔王陛下の歓待も十分にこなし、魔法の研究にも熱心に取り組んでおるのだからな。うむうむ、まことに自慢の孫娘じゃ」  二人は機嫌がよさそうだ。エレインは会話に相槌を打ちながら、様々な思いを巡らせる。 「陛下、領地経営の報告書はご覧になっていただけましたか?」 「おお、あれか。しかと見たぞ、租税免除をしながらも黒字経営に持ち込んだ手腕、まことに大儀であるな!」 「お褒めの言葉、恐縮に存じます。私はただ魔法を畑に撃ち込み続けただけでございますゆえ」 「何の、擬似魔法を広めた功績も大きいぞ。他の領でも真似をする領主が出始めていてな、お前ほど上手くはいかぬであろうが、少しずつでも変化は起きておる。マギアスコラの体制の見直しも今年になってやっと始まった。地方への魔道師の派遣を念頭に置いた教育カリキュラムの制定、これも大仕事でな。余も報告は聞いておるが、マギアスコラも四苦八苦しておると聞く」 「致し方ありますまい、今の今まで魔法の研究しかしてこなかったツケですな」 「はっはっは、《大魔道師|マグナス・マギ》にそう言われては、マギアスコラの教師陣も頭が上がるまい!」  まったくだ。象牙の塔に籠もりきりだった連中を現場に引き出すのだから、生半可なことでは通用しない。だが、エレインはそこも見据えて、連合王国国王へ報告書を出していた。魔道師の使う魔法を限定して特訓させ、実用的な魔法のみを教える学科の新設を進言していたのだ。 「まったく、次代の《大魔道師|マグナス・マギ》は頼りになる! ……おっと、もうこんな時間か。もっと話を聞きたかったが、致し方あるまい。余は執務に戻るが、存分にここで語り合うがいい。ではな」 「ははっ!」 「ありがとうございます、陛下」  そう言うと、連合王国国王は中央庭園を後にした。  残されたのは祖父とエレインだ。  エレインは早速、話題を切り出す。 「お祖父様、ご報告したいことがあります」 「何じゃ?」 「驚かないでくださいね。実は——」  エレインはクィネルでの一件を詳細に祖父へ話す。初めは怪訝な顔をしていた祖父も、やがて驚愕の表情に変わり、最後には苦悶の表情を浮かべていた。  エレインは叱られることを覚悟の上で、星元素魔法を使ったことを告白した。無論、アラステアの母だと言うことも付け加えて。 「……エレインよ」 「はい」 「星元素魔法は使うな、ときつく言い渡したはずじゃ」 「お言葉ですが」 「星元素魔法は、お前の命を縮める。いくら触媒があったところで、確実に生命力を削られておる。今後は一切、星元素魔法を使うでないぞ。たとえ肉親が病気に侵されようとも、その手だけは絶対に使うてはならぬ」 「そうですか……分かりました、申し訳ございませんでした、お祖父様」 「何の。一度ならば、生命力も回復するじゃろうて。なるべく魔力を回復するものを身につけておきなさい。半年ほどかかるじゃろうが、生命力は元どおりになるはずじゃ」 「はい、分かりました。ありがとうございます、お祖父様」  エレインは素直に謝り、素直に感謝した。こと魔法に関しては、祖父に絶対の信頼を置いているからだ。  話したことは後悔していない。ただ、祖父は悲しそうな顔をした。それだけが、エレインを後悔させた。  もう二度と星元素魔法は使うまい。エレインは念の為、魔法の詠唱を書いた紙を祖父に渡す。 「それは今回使った詠唱です。何かのお役に立てば、よいのですが」 「ふむ」  しばらく祖父は紙を眺め——こう言った。 「なるほど、よく考えられておる。特にこの一節は、お前が使えば超極大魔法にも劣らぬ威力を発揮するであろう。ここは流用できるゆえ、憶えておきなさい」 「はい、分かりました。二度と星元素魔法は使いません」 「うむ、その言葉、信じるぞ。さて、お前もここに長居するわけにはいくまい。城門まで送ろう」  打って変わって、祖父は態度をコロリと変え、欲しいものはないか、擬似魔法の書物は足りているか、など質問責めに遭った。エレインは気持ちだけで遠慮し、祖父の追求を逃れた。  城門から出ると昼の三時だった。早めに帰るか、とエレインは魔法陣管理所へと歩いていった。 ☆  大陸歴一七九七年、一月五日、夕方。  やっとのことでディヴァーン領クルナの街に辿り着いたエレインは、南ユーファリアと違って寒さの厳しい冬だということを思い知らされるようにコートに包まっていた。ここから魔法陣を描いて《黒曜館|こくようかん》まで飛ぼうか、と思っていた矢先に、声をかけられた。 「ねぇねぇ、エレイン様ー」  声をかけてきたのは、三人の子供だった。クルナの街の子供だろう、身なりもしっかりしている。 「どうしたの?」  三人は一斉に喋る。 「魔法見せてー」 「魔法見たいのー」 「いいでしょー?」  魔法を見たい、か。その気持ちは分からなくもない。エレインは快諾した。 「行くよ? ちゃんと見ていてね……《光魔法|ルクス》!」  エレインの右手のひらから、いくつもの光の塊が立ち上った。  光の塊は子供たちの周りを回ったり、その辺りを飛び跳ねたりしながら、まるでアトラクションのように動く。 「もう一度……《大光魔法|ルクス・グランディス》!」  今度は大きな光の塊が現れる。 「おおー!」 「すげー!」 「でっかい!」  エレインはバレーボールを打ち上げるように、大きな光の塊を空へと投げる。風船のように軽々と昇っていく大きな光の塊は、エレインが指を鳴らすと、花火のように四方八方に飛び散った。 「うわー!」  降り注ぐ光の雨に、子供たちだけでなく、通行人も目を奪われる。キラキラと舞い降りる雪のように、光は地面へと落ちてゆく。  子供たちは満足したのか、光を追いかけて遊びはじめた。エレインは、もういいかな、と踵を返す。  きっと子供たちは無邪気に、魔法が見たかっただけなのだろう。だが、そう簡単に魔法を使えると思われては困る。特に、大人はなぜ自分たちの要望は聞きいれてくれないのか、と不満を持ちやすい。  エレインは後ろ髪を引かれる思いだったが、こっそりその場を離れた。 「大人気ですね」  ふと、声のしたほうを向くと、クィンシーがいた。 「クィンさん。今から帰りですか?」 「ええ、ちょうど。いいものが見られました」  エレインとクィンシーは《黒曜館|こくようかん》へと足を向ける。 「ふふっ、悪戯みたいなものですけれど、面白がってもらえてよかったです」 「いえいえ、あなたが楽しそうだったから、ですよ。魔法は義務ではありません、ああやって人心を癒す効果もあります。ほら、子供だけでなく、大人も不思議そうに見ていたでしょう?」 「この辺りの方は魔法に親しみがないから、余計にそう思えたでしょうね」 「まあ、それもありますが、領主自ら、という点も大きいと思いますよ。今年はもう少し、領民の方々と交流を持たれてみてはいかがでしょう?」  なるほど。それもそうかもしれない。去年までは小娘だからと侮られるのが嫌で、忙しいのも手伝って、郷士はともかくあまり領民と接する機会がなかった。うむ、クィンシーの進言は考慮に値する。 「できるかぎり、そう努めますね。ありがとうございます」 「とんでもない。私としては、エルさんが成功すれば成功するほど利益が出ますからね、応援しますよ」  そうだった。商人という生き物はそういうものだ。ここまではっきり言うのも珍しいが。 「ところで、どこへ行っていたんですか?」 「王都へ、少し。国王陛下にご報告と、お祖父様とお会いしてきました」 「ははあ、なるほど。エルさんも大変ですね」 「大したことではありませんよ」  クィンシーになら事情を話してもいいのだが——やはり、アラステアの素性に疑問を持たれても面倒なので、エレインは黙っておいた。アラステアが《混血児|ヒュブリダエ》であることは、隠しておくに越したことはない。  だんだんと夕暮れが迫ってくる。クィンシーは手に持っていたランタンに火を灯し。  一方、エレインは《光魔法|ルクス》を唱え、手のひらに光の塊を一つ作り出した。仄かな明かりが明滅する。 「便利ですね、魔法」 「便利ですよ。もっと効果的な魔法を作り出して、今度こそあの魔王の息の根を止めないと」 「エルさん、そこは抑えて」 「ああ、すみません。つい殺意が湧いてきて」  てへ、とエレインは頭をコツンと叩く。自分なりに可愛い仕草をしてみたつもりだったのだが、クィンシーは引いていた。なぜだ。  二人が《黒曜館|こくようかん》に辿り着くと、アラステアとメルヴィルが出迎えてくれた。 「お帰りなさいませ、エレイン様、クィンシー様」 「お帰りなさい、お二人とも!」  エレインとクィンシーは顔を見合わせ、こう言った。 「ただいま」  エレインはさっそくお土産を全員に配る。アラステアとクィンシーはお菓子を頬張り、メルヴィルはその場でネクタイピンを取り付け、使用人たちは礼を言ってそれぞれお年玉袋を懐にしまった。 「さて、夕食にしましょう。もうお腹がペコペコです」  エレインの号令で、すぐさま夕食の準備が整えられた。
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