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「はい?」  クィンシーの間抜けな声が広間に響く。 「ですから、私は今日からヤジャイカ聖皇国に行きます。クィンさんも一緒です」 「いやいやいや、待ってくださいよ!? どういうことですか? 何でまたそんな話に!?」 「連合王国国王陛下の勅命です。ほら」  エレインは羊皮紙を広げてクィンシーへ渡す。  クィンシーは「本物ですかこれ」と呟きながら読んでいた。そして書かれている内容を理解しおえると、こう言った。 「でもこれ、エルさんだけですよね?」  エレインはできうるかぎりの笑顔を作り、クィンシーの手を取った。 「一緒に行きましょう!」 「死なば諸共、ってやつですか……?」  クィンシーの顔色が悪い。大丈夫だろうか。  一方で、アラステアはきっぱりと留守居宣言をした。 「じゃあ、僕はメルさんと留守番していますね」 「ありがとうございます、アルさん。基本的に執務のことはメルヴィルさんにお任せしていますので、何かあればお伝えください。あと、フォローもお願いします」 「はい、分かりました」  アラステアの了解は心強い。エレインはクィンシーのほうへ向き直る。 「以上です。クィンさん、さっそく準備をお願いします」 「拒否権はないんですね……分かりましたよ、行きますよ」  クィンシーはどうやら抵抗を諦めたらしい。部屋に戻ってさっさと支度を済ませ、広間に降りてきた。さすが商人、いつでもどこにでも商売に行けるよう準備してある。  エレインとクィンシーは用意したトランクを持って、《黒曜館|こくようかん》の外に出る。そこでフルストと待ち合わせをしていた。  フルストはエレインの姿を認めると、満面の笑顔で挨拶をしようとしてきた。 「おお! エル、今日も」 「おはようございます、陛下。さっさと行きましょう、まずはバラジェニカに行くのでしょう?」  エレインはフルストに挨拶もさせない。不機嫌であることをアピールしておかないと、この魔王はすぐ調子に乗る。 「……うむ、そうだな」  フルストはエレインから離れ、クィンシーを捕まえて後ろを向く。 「おい、クィンシー。なぜエルは怒っているのだ?」 「それはまあ、突然行ったこともない遠い異国に派遣されることが頭上で決定されれば、不機嫌にもなりますよ」 「そういうものか? 普通はこう、楽しむものではないのか?」 「いやぁ、それはないですね。第一、エルさんは領主ですから、まずディヴァーン領のことをやりたかったでしょうし」 「むう、そうなのか。それは……気が回らなかったな」  全部聞こえている。エレインは今すぐ後ろを向いて二人の頰をぶん殴りたかったが、我慢した。  そして、フルストは何事もなかったかのごとくクィンシーと肩を組んで振り返った。 「待たせたな、エル! さあ行くぞ!」  フルストはアイテールスバルを懐から取り出し、《転移魔法|モビリス》を唱える。 「《転移魔法|モビリス》、バラジェ・ディアボリウム・レグヌム、バラジェニカ!」  何もない地面に、三人を大きく包む魔法陣が一瞬で展開される。さすがは魔王、いや、アイテールスバルがすごい。  お腹が凹む感覚の後、気づけば知らない魔法陣の上に立っていた。白亜の柱に三方を囲まれ、一方は朝日が見えている。雲が同じ高さに見えることから、どうやら現在地は高い山の上だと分かった。背後にはさらに高い山があり、山に沿うように白亜の城が建っている。  間違いない、以前来たバラジェニカの魔王城だ。  すぐに魔族の使用人たちが現れ、エレインとクィンシーのトランクを運んでいった。フルストは二人を先導する。 「こっちだ。ついてこい」  これまた広い階段を降りて、三人は白亜の魔王城を進んでいく。  魔王が先導するせいで、通りすがりの兵士や使用人達が廊下の端に避けて一礼をしていく。その後、ちらりとエレインとクィンシーを見て、ひそひそと小声で何かを話していた。 「何だか、好奇の目で見られていますね」  エレインはふと呟く。フルストは振り返らず答えた。 「それもそうだろう。人間がこの城を訪れる機会はそうそうない。外交使節の歓迎や大使の信任状捧呈式でさえ、下の離宮で行うことが一般的だからな」  クィンシーは頷く。  「私も以前来たときは離宮に案内されましたね。そちらも白亜の城で、素晴らしかったですよ」 「はっはっは! そうだろうそうだろう! 今度来たときにはエルも案内してやるぞ!」 「今度がないようにしてください」 「ふははは! 遠慮せずともいくらでも見せてやる!」  エレインは厳しい口調で言ったつもりだが、フルストはまったく堪えていなかった。  道すがらの好奇の目線に耐えながら、やっと辿り着いた場所は、断崖絶壁の端だった。 「急遽作った魔法陣でな。ここしか土地が余っていなかったのだ」  確かに巨大な魔法陣が見える。が、そこまでの距離が長い。舗装されているとはいえ、大人二人がやっとすれ違うことができるほどの幅の道がずっと続く。  エレインは止まる。そして呟く。 「《転移魔法|モビリス》、《あの魔法陣に|イルレ・マギクス・マギス》!」  一瞬の眩暈ののち、エレインだけが巨大魔法陣の上に転移した。 「あー、エルさんずるい!」  クィンシーが叫ぶ。フルストは笑っていた。  エレインは思う。知ったことじゃない。低血圧なのに朝からあんな距離を歩けと言われて腹が立っているのだ、私は。  結局、フルストとクィンシーも《転移魔法|モビリス》を使ってやってきた。あの道とここの魔法陣を設計、建築したやつは頭がおかしいに違いない。エレインは見も知らぬ設計者たちを心の中で詰った。 ☆  どうやら、フルストのお付きの使用人たちは先にヤジャイカ聖皇国に着いているらしい。  三人とトランク二つがポツンと巨大魔法陣の上に置かれ、フルストが《転移魔法|モビリス》を唱える。 「《転移魔法|モビリス》、《ヤジャイカ|サンクトゥス・キウィターテス・》《聖皇国|ヤジャイカエ》!」  ぐにゃり、と視界が歪む。  何回やってもこのランダムに襲ってくる不快感には慣れない。《転移魔法|モビリス》が普及しないのはおそらくこれが原因の一つだ。  エレインがそんなことを考えながら——気がつくと、巨大な石の上に乗っていた。  平たい、おそらく人の手で加工されたテーブル状の岩だ。エレインは周囲を見渡す。岩の周りから幾重にも朱塗りの螺旋階段が上に昇っており、さらに頭上の天頂には小さな採光用の穴が空いて、そこから原色の布が七本長く垂れていた。  まさかこの階段を昇れと言うのか。エレインは絶句する。しかしよく見ると、巨大な魔法陣の若干下のほうに小さな魔法陣がいくつかある。この魔法陣を使えば……案内人がいればだが、歩かなくて済む。  そんな甘っちょろいことをエレインが考えていると、狩衣のような姿の人間——顔を隠しているため、男女の別は分からないが、数人やってきた。  フルストが応対する。 「フルスト・オーバーズだ。こちらはユーファリア連合王国友好親善大使のエレイン・ディクスン。そして商人のクィンシー・グラッドストンだ」  先頭の狩衣の人間が答える。 「長旅お疲れ様でした。こちらへ、荷物はこの者たちが運ばせていただきます」  そう大陸共用語で言って先導していく。男とも女ともつかぬ声で、三人は戸惑いつつもついていくことにした。  螺旋階段の一つを通り過ぎ、別の若干小さな魔法陣の上に乗る。狩衣の先導者は後ろを確かめた後、魔法を呟いた。 『目標、御座神殿前、対象、陣内。転移せよ』  それはエレインたちの使う魔法とは、大分違ったもので——エレインには不思議とその言葉の意味が分かった。  日本語だ。  ヤジャイカ聖皇国の魔法は、日本語が使われている。  いや、そう考えるのは早計かもしれない。単にエレインが桜子だったころの記憶で、日本語と似ていると錯覚しているだけかもしれないし、大体ここは日本ではない。エレインは自分で可能性を一つずつ消し去っていく。  そんなエレインをよそに、転移はあっという間に終わった。《転移魔法|モビリス》のような不快感もなく、本当に一瞬で風景が変わったのだ。  一体、どういう仕組みだろう。エレインの興味は完全にヤジャイカの魔法に移っていた。魔法陣をキョロキョロと眺める。  一方、そんなエレインを間近で見ていた二人は、歩きながら話す。 「どうやら機嫌は直ったらしいぞ」 「そうですね。よかったですよ」 「うむ、安心したぞ」  などという声がエレインにも聞こえている。どうしてあの二人は聞こえるような声で話すのだろうか。わざとだろうか。  それよりも、エレインは一つ名案が浮かんだ。  狩衣の先導者に、日本語で話しかけてみることにした。 『ねぇ、そこのあなた』  狩衣の先導者はピタリと止まった。  通じている。エレインは続けて言葉を発しようとした。 『この国の魔法はどういう仕組みなの? 私は』 「お静かに」  狩衣の先導者は、止まってエレインのほうを向き、答える。 「その言葉は呪詛の言葉です。古より伝わる神よりの言葉、安易に声に出してはいけません」  日本語が呪詛の言葉? この世界でラテン語が古語として魔法の言語となっているように、日本語までもがそうなっているのか?  狩衣の先導者は続ける。 「なぜあなたが古代語をご存知なのかは存じませんが……公の場では使用しないでください」  エレインは口をパクパク開き、どう答えたものかと逡巡していた。まさか、前世で使っていたとは言えない。  仕方なく、エレインは今は引き下がることにした。 「分かりました。でも、後で話を聞かせて。それならいいでしょう?」 「《主上|しゅじょう》のお許しが出るならば。さあ、まいりましょう」  狩衣の先導者は、歩みを再開した。 ☆  朱色の柱と石の柱が並ぶ神殿の前で、狩衣の先導者と三人は止まった。  入り口には門兵が槍を携え、鎧を着ている。不思議なことに、その装束はやはりエレインの前世、桜子のころ見たことのある日本の古代の様式——袴の膝や手首あたりを紐で結んだ形で、妙に狩衣の先導者と時代差があるな、と思った。 「ここからはお三方のみお上がりくださいませ。私はここで待っておりますゆえ」 「うむ。エル、クィンシー、行くぞ」  なぜこの魔王が仕切るのか。いや、この中で一番位が高いのはフルストだからしょうがないのだが、何か納得がいかない。  つるつるの板の間を通り、幾本もの巨大な朱塗りの柱を抜け、さらに階段を上がると、今度は一面畳の間が現れた。この畳ほんのり暖かい。そして、中央の動線の両端に、公卿布袴という黒い礼装に白い袴をつけた人々がいた。  そして一番奥には、一段高い畳があり、椅子が二脚並び、御簾が半分ほど下がっていた。座っているのは一人だけだ。おそらく、座っているのはヤジャイカ聖皇国の君主、聖皇だろう。真っ白な浄衣姿で、胸から上が隠れている。  人々の視線はフルストに注がれていた。魔族のいない国だということだし、興味の対象になっているのだろう。それか、畏怖の対象か。何にせよ、エレインとクィンシーは黙っているしかない。 「お初にお目にかかる。バラジェ魔王国魔王、フルスト・オーバーズだ。この度は」 「少々待たれよ」  聖皇は椅子から降り、御簾を上げさせた。人々はざわりと驚く。  顔は隠れてあるが、聖皇が男であることは声から察することができた。 「余が聖皇《神久|じんく》である。この度は遠路はるばる足労願い、誠に相済まなんだ」 「うむ、気にするな。俺は挨拶と条約締結の儀に参加しにきただけだ、わざわざ聖皇自ら出てこられる必要もなかった」 「そう言うな。さて、後ろの二人は」  今度はエレインとクィンシーに視線が注がれる。  エレインはすっと、貴族風の挨拶をする。 「エレイン・ディクスンと申します。ユーファリア連合王国国王陛下より、友好親善大使の任を任されました」  クィンシーも続ける。 「クィンシー・グラッドストンです。商取引と聞きまして、お二人の助言役としてまいりました」  聖皇は楚々と笑う。 「ほう、そうかそうか。ディクスンとやらは、随分と若い大使よな」 「フルスト魔王陛下に推薦されました。この度はお目にかかることができ、大変光栄に存じますわ」  うむうむ、と聖皇は頷く。 「条約締結の儀、そちの努力に報いよう。さて、いつまでもここにいては仕事にならぬであろう。実務はすべて右大臣に任せてある、また夕餉の際にでも会おうぞ」  呑気なものだ、とエレインは思った。そして、やはり、日本と似ている。右大臣という単語が出てきたことも、それを裏付ける一つの要因だった。  とにもかくにも、最初の面会はこれで終わった。  三人はまた別の建物に案内される。寝殿造によく似た建物で、畳はやはり暖かい。  フルストは床に直接座ることに慣れていないのか、うーむ、と唸っていた。クィンシーは経験者だけあって慣れている。そしてエレインは——元日本人なので、何とも思わない。  やはり、ここは日本ではないのか。ただ単に偶然日本に似た国がヤジャイカ聖皇国という国家だったのか。  前世の世界と似過ぎている。そのことが、エレインの頭の片隅をずっと占領していた。  フルストとクィンシーは条約の草案を最終確認していた。バラジェ魔王国側の外交官はすでに大使館を構え、条約の草案を協議してその案をフルストに先ほど持ってきたばかりだった。  侃侃諤諤の議論、ではなく、とても穏やかに話は進んでいて、エレインの出る幕ではなさそうだ。というか、友好親善大使とは何をするのだろうか。条約締結のきっかけを作れという命令だったはずだが、どんなアクションを起こせばいいのか、皆目見当がつかない。しょうがない、あとでクィンシーに尋ねておこう。  しばらくすると、あの狩衣の先導者が現れた。敷居を跨ぎ、畳の上に座る。 「ディクスン様。お話したい儀がございます」 「何でしょう?」 「先ほどは失礼をいたしました。魔法について、《主上|しゅじょう》よりお教えする許しが出ましたゆえ、お話にまいりました」  そう言うと、狩衣の先導者は顔を覆っていた布ごと烏帽子を外す。  黒髪黒目の美青年だった。いかにもな日本人、という切れ長の目に一重の瞼、すっと通った鼻筋、薄い唇、細い眉と、まだ結婚していないことも分かる。 「私は《九曜星|くようぼし》《鷹理|おうり》と申します。呪術の《九曜星|くようぼし》家嫡男であり、皆様方の滞在中のお世話を任されております。よろしくどうかお願いいたします」  《鷹理|おうり》は三つ指をついて頭を下げた。  《鷹理|おうり》曰く、どうやら、ヤジャイカ聖皇国では魔法のことを呪術と言うらしい。  そして肝心要の呪術の言葉について、エレインは尋ねた。 「先ほど、私の言葉を、呪詛の言葉とおっしゃいましたが……呪術に使う言葉、という意味で間違いはないですか?」 「はい。我々呪術師のみが扱う言葉であります。ディクスン様がお使いになられたときは、驚きました」 「そうだろう、エルは博学だからな!」 「ちょっと陛下は黙っていてください」  《鷹理|おうり》は気にすることなく続ける。 「本来であれば、我々呪術師以外には伝承されておらぬ言葉です。ディクスン様、どこでその言葉をお知りに?」 「それは……」  まさか、前世で使っていた言葉だ、と言うわけにもいかない。エレインは困った。  仕方がないので、フルストとクィンシーに伝わらないよう、日本語で話すことにした。 『私の話す言葉が理解できますか? お二人には知られたくないので、日本語で話しますね』 『はっ……致し方ありませぬ』 『私、昔からこの言葉を知っていたのです。なぜかは分かりません、でも分かるのです。あなたがたの中に、そういった人はいませんか?』  《鷹理|おうり》は少し悩んで——気になる一言を発した。 『前世、というものでしょうか』 ☆ 『前世とは、世の命あるものすべてが輪廻転生の輪の中にあり、六道《りくどう》を巡るとされるヤジャイカ聖皇国に伝わる宗教の教義の一つですが……聖皇陛下のみが前世の記憶を引き継ぎ、生まれ出ずるとされております』  大分話が大きくなった気がする。宗教といえば、神社に行って日の出を拝んでバレンタインにチョコをあげてクリスマスにヒャッハーする日本人にとっては鬼門だ。特に前世の桜子はバレンタインとクリスマスが嫌いだった。  しょうがない、エレインは頭を横に振った。 『だったら、違いますよ。私はそんな偉い人間じゃないですし、そもそもユーファリア人です。ユーファリアでは』 『時と場所は関係ありません。あなたの前世がヤジャイカ聖皇国の呪術師だったか、それとも何かのきっかけで日本語を知る機会に恵まれた人間だったか。どちらにしても、前世の記憶を持っているということは、ヤジャイカ聖皇国にとって大変衝撃を与えることとなってしまいますので、できれば内密にお願いします』 『分かりました。なるべく、ここにいる間は日本語を使わないようにします。でも、知りたいことが一つ』 『何でしょう?』 『ヤジャイカ聖皇国の呪術と宗教について学びたいのです。本を貸してもらえませんか?』  これには《鷹理|おうり》も面食らったらしい。目を見開き、エレインを見つめる。 「あなたは……いえ、本でよければ、いくらでもお貸ししましょう。こちらへ」  《鷹理|おうり》はそう言って、烏帽子を持って廊下を進んでいく。エレインはその後をついていった。ちらりと見た、残されたフルストとクィンシーは——呆然としていた。  案内されたのは、和綴じの本を平らに置いた棚が数列並んだ書庫だった。  《鷹理|おうり》はその中で一番奥の書棚に手をかける。 「ここの棚にあるものが呪術に関する本です。そして隣の棚が宗教に関する本。一冊、試しに読んでみてください」  《鷹理|おうり》は呪術の本の棚から一冊を取り、エレインに手渡す。  手渡された本をパラパラとめくって、エレインは何とか読める文字であることを確認した。きちんとした楷書体で書かれてある。これが草書体なら読めなかっただろう。 「何とか大丈夫です。ありがとう、《鷹理|おうり》さん」 「いえ……では、私はこれで。夕餉の時刻には人を遣りますので」 「はい!」  エレインは満面の笑みで答えた。おっといけない。無意識のうちに知識欲が刺激されて、笑顔になってしまった。  またしても《鷹理|おうり》は面食らった顔をしていた。そんなに変だろうか、とエレインは自問自答する。  エレインはさっそく、持っていた本を最初からめくりはじめた。  呪術とは何か。その基礎的な考え方から初歩の呪術の行使の仕方まで、逐一丁寧に載っている本だった。エレインは試しに、日本語で呪術を使ってみる。 『暖かな風よ、吹け』  ふわり、とエレインのほうへ向けて、暖かい風が来る。なるほど、基本は魔法と変わらないのか。魔道師であれば呪術師にもなれる、ということだろう。日本語の標準的な発音さえできれば。  エレインは次に、宗教の本を読むことにした。これまた難しいだろうな、と思っていたら、何と挿絵が多い。全ページ挿絵付きだ。小難しい内容に反して、挿絵があるのは有り難い。  そしてエレインは、とんでもないものを見つける。  あの神様の絵を見つけたのだ。  白い大地に青い空のあの空間にいた、三つ目で六本腕の美女。  ちょっと待て。あれはこの世界にもいる神様なのか? それとも、元の世界にはいない神様だったのか?  エレインの疑問は尽きない。仕方なく、本を読み進めることにする。  まず話は神話まで遡る。はじめに空があった。青く澄んだ空。その空を支配する神様のことを蒼天と言った。次に生まれたのは大地だった。白亜の大地、そこには白天という女神がいた。さらに空と大地の狭間から次々と神様が生まれ、この世を埋め尽くした。中でも力を持っていたのが、太陽を含む星を支配する女神、星天だった。普通、太陽や月は別々のものとして考えるのが一般的な神話だと思うのだが——この神話では、太陽も月も星である、という認識らしい。天文学が進んでいるのかな、とエレインは思った。  そしてその星天、外見はあの神様と同じだった。三つ目に六本腕の美女、彼女の目は太陽と月と地球を表し、六本の腕と二本の足は惑星を表しているという。星の巡りとともに、移ろいゆく人生が重ね合わされて、彼女は輪廻転生を司る女神としても扱われている。  ますます訳が分からない。とりあえず、状況を確認してみよう。  エレインを——青梅桜子を転生させたあの神様は、この世界でいうところの星天という神様らしい。ユーファリアの神話には出てこなかったが、とにかくそういうものがいるのだとヤジャイカ聖皇国では信じられている。  しかしだ、この世界は、青梅桜子のいた世界から見れば、異世界だ。異世界の神様が、わざわざ桜子のいた世界に入ってきて、桜子をこの世界に転生させた? 何のために? 善行に感じ入ったと言っていたが、それは果たして本当だったのだろうか。  この国の人に意見を聞いてみたいが……神様を疑うようなことを言えば、怒られそうだ。信心深い人に喧嘩を売りたいわけではないので、やめておこう。  そう言えば、あの神様は最後に、しばらくは会えない、と言っていた気がする。どういう意味だろう。死ぬまでは会えない、という意味だろうか。それならそう言うだろう、わざわざ婉曲的な言い方をした意味が必ずあるはずだ。  しかし、手がかりが少なすぎる。他の本を読めば何か分かるのだろうか。  エレインは星天という単語を探して、手当たり次第本を読む。ああでもない、こうでもないと頭を回転させながら読んでいると、分かってきたこともあった。  どうにも、星天という神様は、今のヤジャイカ聖皇国で一番信仰されている神様らしいことが判明した。主神と言っても過言ではないらしい。それもそのはずだ、聖皇が前世の記憶を持つことで権威として祀り上げられているのだから、その輪廻転生を司る神様が信仰されないはずがない。ならば、聖皇に直接聞くのはどうだろか。個人的な会話で、という建前をもって、日本語で話しかけてみるのだ。  できるだろうか。そもそも聖皇と二人きりになれるのか? 何かきっかけがあればできるだろうが……夕食会で聞いてみるのは早すぎるかもしれない。  エレインは思考の庭で散々っぱら巡り巡って——座りながら眠ってしまった。 ☆ 「起きてください、ディクスン様。風邪を引きますよ」  うたた寝から目を覚ましたエレインの目の前にいたのは、あの美青年、《九曜星|くようぼし》《鷹理|おうり》だった。 「んー……よく寝ました」  エレインは伸びをする。《鷹理|おうり》は嘆息していた。 「それはいいのですが、こんなところで寝ないでください」 「すみません、考えが堂々巡りになって、つい」  エレインは言い訳する。しかし、下は暖かい畳だし、自分が使った呪術で暖かくなった書庫は大変寝心地がよかったのだ。 「何の考えが堂々巡りになったのです?」 「えーと……《九曜星|くようぼし》さんは宗教にお詳しいですか」 「一応は」  一応とはどういう意味だろうか。いや、詮索はよそう。とりあえず、一般的な模範解答をしてくれると思うので、エレインは《鷹理|おうり》に尋ねてみることにした。 「星天という神様がいらっしゃるようなのですが、どういう神様か分かりますか?」 「その名のとおり、星々を司る神です。あなたがたの言葉ではヤジャイカ——この国の言葉では《明ケ星|あけぼし》という国名から分かりますとおり、我が国は星天様を主神としてお祀りしております。言い伝えでは、夜空の星々がこの世にいる人々の命の数と同じであり、それぞれが宿星を持っているとされておりまして」 「しゅくせいって何ですか?」 「個々人に宿る星です。大体、生まれた季節に見られる星の中から選ばれます」 「そういうものですか……ああ、私、そう言えば十六年前ほどの流星雨の夜に生まれましたけど、どれがどれだかさっぱり」  《鷹理|おうり》の顔が固まる。何かいけないことを言っただろうか。 「失礼。流星雨の夜に生まれた、とおっしゃいましたか?」 「え、ええ。こちらでは見られましたか?」 「その冬は《明ケ星|あけぼし》は大寒波に見舞われ、大量の死者を出した年だと思います」  エレインも固まる。そんなこと言われても、何だ、困る。 「こほん。えー、悪い面だけ先に言ってしまいましたが……流星雨の時刻に生まれた子は、呪術師の才を持つと言われています。ディクスン様も」 「私、魔道師です。さっき呪術も使えました」  やはりまた、《鷹理|おうり》は固まる。よく固まる人だな、とエレインは思った。 「……その、こういう痣もあります」  エレインは右手の手袋を外す。余計な詮索をされないよう、それと寒いのでシルクの手袋をしていたのだ。  星型の痣を見た《鷹理|おうり》は、唖然とした表情で、エレインの顔と右手を交互に見ていた。  やがて我に返ったのか、《鷹理|おうり》は戸惑いの表情を隠せていないながらも、説明を再開する。 「とにかく、宿星を管理する神が星天様であり、ひいては《輪廻転生|りんねてんしょう》を司ると言われています。運命の女神、と言ったほうがあなたがたには分かりやすいかもしれません」  ああ、なるほど。それなら分かる。桜子のころ読んだ北欧神話やギリシャ神話には、運命の女神が三人いて、糸車を引いている絵を見たことがあった。  そうか、桜子が出会ったのは運命の女神だったのか。いや、問題はそれで解決するわけでもないが、出会ったことで青梅桜子はエレイン・ディクスンという恵まれた境遇に生まれ変わったのは確かだ。足を向けて眠れない。  しかしだ。もし気まぐれでそんな風にされたのなら——桜子もエレインも少し憤る。人様の人生を何だと思っている、と。  やはり、確固たる理由が欲しい。生まれ変わらせた理由、善行などという曖昧な基準ではなく、もっとちゃんとした意図をもってやったのだろう、と問いかけたい。  さて、運命の女神の尻尾を掴むにはどうすればいいだろうか。  エレインは真剣に考える。こちらからあの空間に出向くためには、どうすればいいか。 「……様、ディクスン様!」  何だ、うるさい。エレインが顔を上げると、ほんの数センチ先に《鷹理|おうり》の顔があった。  《鷹理|おうり》はまた固まる。そして頬が赤くなった。  《鷹理|おうり》は後ろに跳びのき、棚にぶつかる。 「ち、近すぎです!」 「いえ、あなたが近づいたのでしょう」 「いきなり顔を上げないでください! ああ、びっくりした……!」  そのセリフ、そっくりそのまま返したい。エレインは《鷹理|おうり》のリアクション芸に若干度肝を抜かれた。クィンシーがツッコミ担当なら、《鷹理|おうり》はリアクション担当だ。 「そんなことよりも《九曜星|くようぼし》さん、星天を祀る場所ってありますか?」 「え? ええ、至るところに……我が家にもあります」 「そこに連れて行ってください」 「ええ!?」 「夕食までに何とか疑問を解消したいのです。よろしくお願いします」  さあさあ、とエレインは《鷹理|おうり》の腕を引っ張り、書庫を後にした。 ☆  《九曜星|くようぼし》家の星天の社は、勝手口の井戸のそばにあった。  《鷹理|おうり》は星天のことを星天様と読んでいた。前世の桜子の感覚で言うところの、菅原道真のことを天神様と呼ぶみたいなものだろう。  木で作られた立派な社には鳥居もあり、母屋から飛び石も繋がっていた。エレインは《鷹理|おうり》の腕を引っ張って社の前に行き、つぶさに観察する。  社の屋根には《九曜星|くようぼし》家の家紋らしき九曜紋があった。社の中を覗いてみると、大きな石が一つ、そして花器やお供え物の乾物が添えられていた。 「疑問とは、一体何なのですか?」  《鷹理|おうり》は不機嫌そうにエレインに問う。  エレインは答えなかった。というより、答えられなかった。神様に会う手段を探している、などと言えば、頭がおかしいのではないかと思われるだけだ。  しかし、こうして見ていると、本当に日本とそっくりだ。魔法陣や聖皇に謁見した神殿などは若干異なるが、その他は教科書で見た平安時代後期の日本そのものなのだ。詳しいことはエレイン——桜子には分からないが、おそらく『似ている』。  では、なぜ似ているのか?  呪術はなぜ日本語を使うのか?  この国は日本と何が違うのか。そもそも、本当に桜子は異世界に来ているのか。  分からない。そういう世界だ、と認識してきたことがすべて瓦解してしまったかのような、自己認識の足場が不安定な状態だ。今のままユーファリアに戻っても、後悔するだけだ。ならば、分かるところをすべて明らかにしてから帰らなくてはならない。  エレインは意を決して、試してみた。 『ここにいるのでしょう? 会いたいの、会わせて!』  透き通るような青い空に、影さえも白く映る大地。 「よくぞ辿り着きましたね」  三つ目に六本腕の美女——星天が答える。  エレインは宙に浮いた星天へ、話しかけた。 「聞かせてほしいことがあるの。保証はなくてかまわないわ」 「いいでしょう。ここまで辿り着いたのです、あなたには聞く権利があります」 「私が今住んでいる世界、あそこは本当に異世界なの? 青梅桜子のころいた世界と何か関わりがあるんじゃないの?」  星天は額の瞳だけを見開き、エレインを見つめる。そして、こう言った。 「あなたの想像どおりかは分かりませんが、青梅桜子のいた世界とエレイン・ディクスンがいる世界は、謂わば兄弟のようなものです。もし何かの事象が少しでも異なっていたら、『こうなったであろう』可能性の世界。私が本来いるべき世界は、そのような不確定な世界なのですよ」  星天は言葉を続ける。 「私は大元の世界である青梅桜子のいた世界へ干渉しました。何度となく干渉し、唯一あなただけがあの世界から連れてこられた命でした」 「どうして連れてきたの?」 「あの世界は終わります。あなたの死から五年後、戦争でもって」  星天の言葉は、あまりにも唐突で、残酷だった。  エレインは聞き返す。 「どういうこと?」 「そのままの意味です。第三次世界大戦、と言ったほうが分かりやすいでしょうか。とにかく、あの世界の命を一人でも多く別の世界へ移す試みが、神々の間で広まっていたのです。しかし、それができる神というのは、ほんの一握り。《輪廻転生|りんねてんしょう》を司る私のような神や、運命を司る神々でしか成し得ないことでした」  星天は片足を地につける。すると白い大地は水面に波紋が広がるように、波打った。 「今、あなたのいる世界は、青梅桜子がいた世界がもし『太古の昔、魔法を失わなかったら』という世界です。青梅桜子がいた世界でも、人間が魔法を使うことが当たり前だった時代もありました。しかし、何らかの要因で魔法は失われ、大陸は大きく歪み、人間だけが繁栄する世界へと変貌しました。私たちは干渉しなさすぎたと反省し、それぞれが可能性の世界を受け持ち、育てていくこととしました」  エレインは必死に会話についていこうとする。  ——つまりは何だ? 私はこの神様に助けられた、という認識でいいのか?  おそらくはそういうことになるだろう。死後、上手く導いてくれる神様に当たったことが唯一の幸運だった。 「しかし、その可能性の世界も、ごく一部を除いて成長しませんでした。それぞれの神が持つ権能が、必ずしも可能性の世界の成長に貢献するとは限らなかったのです」 「あなたの受け持った世界は、この世界はきちんと成長したの?」 「一概にはそうとも言えませんが、少なくともこの先巨大な危険に晒されることはないでしょう。私はもう干渉していません。十分に人間は成長し、魔族と共存共栄し、《楽園|パラディス》を形成しています。もちろん、不幸もあるでしょうが……すべての不幸をなくすことはできません。幸と不幸は表裏一体、その原則は曲げられません」  まあ、そうだろうなぁ。エレインは他人事のように受け取った。  人生楽あれば苦あり、とは誰が言ったのか。要するにそういうことだ。その中でも一等危険な苦難やらをこの神様は取り除いてくれたのだろう。 「最後に一つだけ。この世界はあなたの世界と違う歴史を歩んでいますが、大元は同じ世界です。あなたに馴染みのある言葉や事象が多くあることでしょう。しかし、それらは同じであり異なるもの。惑わされてはなりません、あなたはすでにこの世界の住人なのですから」  この世界の住人、ね。  青梅桜子ではなく、エレイン・ディクスンとして生まれた以上は、そのカテゴリから逃れられないだろう。 「ねぇ、私が死んだ五年後の第三次世界大戦で、死んだ人たちはどうなったの?」  星天の三つ目すべてが閉じられた。そして、沈痛な面持ちでこう答えた。 「その多くが消滅しました。おそらく、数十、数百程度の命しか転生できなかったことでしょう」 「それはあなたたちの力不足から?」 「ええ。あまりにも、無力でした」 「そっか……それならまあ、許せるかな」  力のない者に期待してもしょうがない。神様だって力不足なことはある。  エレインはちょっとため息を吐き、頭を振った。  そして、しょうがない、という笑みをこぼした。 「じゃあ、また。次がいつかはわからないけど、元気でね」  星天はすべての目を開き、微笑んだ。 「はい、あなたも」 ☆  目が覚めると、木の天井だった。  何があったのだろう。エレインは目だけを動かし、周囲を観察する。  いくつか可愛らしい行灯が部屋を照らしている。天井から薄い幕のようなものが四方に垂らされ、エレインは布団の中に寝かされていた。そこそこ広い部屋で、どうやら客間らしく、エレインのトランクも視界に収めた。  エレインは上体を起こす。布団は呪術でもかけられているのか、とても暖かい。しばらく包まっていたかったが、状況を把握することが先決だ。  エレインは服に乱れがないことを確認すると、幕を上げて外へ出る。襖を開け、廊下に出ると肌寒い空気が一気に部屋に入り込んできた。寒い。  そもそもどこなのだろうか。《九曜星|くようぼし》家の屋敷ではあるようだが、広いためどこがどこだかまださっぱり分からない。誰か通りすがってくれれば——と考えていたところ、ガラス戸で外の見える場所へ辿り着いた。  外は雪だ。そして暗い。もう夕食どきだろう。  すっかりエレインは忘れていたが、聖皇との夕食会があったのだ。  夜も更けてしまったこの時間では間に合わないだろう。友好親善大使、何をやっているのやらだ。  あー、と叫びながらエレインが状況を嘆いていると、一人の若い女中がやってきた。 「どないしはったんどす?」  何という京都弁訛りだ。しかし、日本語の範疇内だ、エレインは助かったと思った。 『あの、《九曜星|くようぼし》さんはどちらに?』 「へえ、《鷹理|おうり》はんなら聖皇様のところに行かれはったかと。ディクスン様、お体のほうは大丈夫どすか?」 『ええ、ご心配なく。ところで、部屋に案内してもらってもいいですか? 場所が分からなくなったので』 「へえ、承知いたしました。こちらへ」  よかった、言葉は通じた。聖皇や《鷹理|おうり》は共用語を話していたのでさほど不便に感じなかったが、やはりヤジャイカ聖皇国は異国なのだな、とエレインは思った。日本語が通じる元日本人にとっての異国、というのもおかしな話だが。  若い女中のおかげで、エレインは無事元の部屋に戻ることができた。何かお礼を、と思ったが、女中は「かましまへん、かましまへん」と言って去ってしまった。外国人だから避けられたのだろうか、とエレインはちょっと凹む。  しばらくすると、違う女中が料理の膳を運んできた。お茶粥と漬物だ。エレインはちょっと涙目になる。女中が「どないしはりました!?」と聞いてきたが、エレインは食事に夢中でろくに答えることができなかった。  不思議と、お茶粥なんて食べたことないはずなのに、懐かしい味がした。大根の漬物はぽりぽりと美味しいし、熱いほうじ茶なんてもっと美味しいに決まっている。ああ、幸せだなぁ、とエレインはしみじみ思った。  膳を片付けにきた女中にエレインはこう尋ねた。 『ひょっとして猫まんまとかできますか?』 「へえ、できますけども……お客様にお出しするような料理やあれしまへんし」 『私、猫まんま大好きなのです! 明日の朝は猫まんまにしてください!』 「へ、へえ……《鷹理|おうり》はんに聞いときます」 『よろしくお願いします!』  エレインは半ば必死に頼み込んだ。猫まんま、前世では独りぼっちだったときによく食べていたなぁ。思い出すと涙が止まらない。  その後も、何かと女中が入れ替わり立ち替わりに部屋に入ってきては、エレインと言葉を交わす。どうやら、ヤジャイカ聖皇国——《明ケ星|あけぼし》の言葉が喋れる外国人であるエレインが珍しいらしい。  そのうち、女中たちから話をしたいと言ってきた。もちろんエレインは部屋に招き入れ、お茶とお茶菓子をともにしながら会話を楽しんだ。 「あの角の生えたお方、ほんまえらい男前やわぁ! ディクスン様もそう思わしまへん?」 『ええー、魔王陛下がですか? 美形なのは確かですけども』 「ややわ、魔王陛下やなんてよそよそしい。お名前なんておっしゃられますのん?」 『フルストです。あと私のことはエレインでいいですよ、苗字は呼ばれ慣れていないので』 「ほんならエレイン様! フルスト様が帰っておいでにならはったら、うちらのこと紹介しておくれやす!」 「是非ともお近づきになりたいわぁ」 「ほんまにねぇ。でも《鷹理|おうり》はんがピリピリされとるさかいに、静かに」 『そうですね。でもフル……魔王陛下なら、呼ばなくてもここに来るかと』 「ええ!? まさか、エレイン様、フルスト様と……?」 「恋仲!?」 『違います。断じて違います』 「またまたぁ、そないいけず言わはって」 『違いますってば!』  どこをどう解釈すればそうなるのか。殺し合いする仲だと言えばいいのか、それはそれで引かれるだろうからエレインはやめておいた。  かしましい部屋の女の笑い声は絶えず、そして夜が更けていく。  ちなみにフルストは来るには来たが、エレインだけでなく女中たちがいることを襖の向こうで察したらしく、大人しく帰っていった。普段からそのくらい空気が読めればいいのに。 ☆  大陸歴一七九七年、一月二十四日、朝。  エレインは、朝食は広間でフルストたちとともに摂ることとなった。注文どおりの白飯に鰹節と醤油をかけた猫まんまが出てきて大満足のエレインは、フルストとクィンシーに何を食べているのかと尋ねられてこう答えた。 「あげません。これは私の猫まんまです」 「猫……? 何でもいいですけれども、今日は体調のほうは大丈夫なんですか?」 「大丈夫です。昨日は眩暈がしただけです。起こしてくれればよかったのに」 「それはすみませんでした」  シャッと襖を開けて入ってきた《九曜星|くようぼし》《鷹理|おうり》は、開口一番エレインに謝った、若干の嫌味口調で。 「《鷹理|おうり》さんも起こしてくださいよ。眩暈で倒れた私も何ですけれども」 「起こしました。何度呼びかけても起きなかったのはディクスン様です」 「でも猫まんまは許してくれたのですよね」 「……本来お客様に出すような料理ではありませんが、要求されたならば出さないわけにはまいりません」  《鷹理|おうり》は不満を漏らす。それもそうだ、歓待するつもりが猫まんまを所望されては機嫌が悪くなるだろう。  でもしょうがない、猫まんまがあるならエレインは食べたいのだから。  しかし、なぜかフルストが憤っていた。 「ええい、エルよ! 今日こそは《神久|じんく》のもとへ連れていくぞ。昨日は体調不良を理由に欠席を許されたが、本来ならば友好親善大使であるお前がやるべきことをクィンシーが代行してくれたのだ。それを」  エレインはいつもどおりフルストを無視して《鷹理|おうり》に話しかける。 「ところで、聖皇陛下はおいくつなのですか?」 「ディクスン様と同じですよ。十六歳です」 「えっ!? 昨日は白粉塗っているから分からなかったですけれど、随分お若いですね!?」 「ディクスン様も十分お若いかと」 「ひょっとして誕生日は十二月の七日ですか?」 「そうです。ということは」 「私と同じです」  何たる偶然、いや流星雨の夜に生まれた子供だから前世を引き継いでいるのだろう。  その場合、桜子が元いた世界ではなく、この世界内での輪廻転生での前世だろうから、話は合わないだろうな、ともエレインは思う。すでに《鷹理|おうり》には星型の痣と誕生年月日について教えているから、エレインが話題にしなくても聖皇側からアプローチがあるかもしれない。そうなると若干面倒だ。  エレインが《鷹理|おうり》と話しながら、そんな考えを頭の中で弾いている一方で、フルストは真顔でクィンシーを脅していた。 「クィンシーよ」 「はっ、はい!?」 「今すぐエルの気を引け。でなければ」 「ひい!?」  クィンシーはエレインと《鷹理|おうり》の会話に割って入る。 「エ、エルさん。ちょっとお話いいですか?」 「はい? 何でしょう?」  フルストとクィンシーの会話を聞いていなかったエレインは、キョトンとして対応する。 「友好の証として贈り物を見繕ってきたのですが、やはりエルさんに確認してもらわないと齟齬が生まれますので……後で、いや朝食後すぐで! お願いします!」 「はい、分かりました。大変ですね、クィンさん」 「いやー……はい」  クィンシーは相変わらず苦労性だな、などとエレインが思っていると、フルストが会話に割り込んできた。 「エルよ、どうせならばバラジェからの贈り物も見てみるといい。お前の気に入るものがあるかもしれぬぞ」 「私が気に入ってどうするのですか」 「俺がお前に贈り物をするときの参考にする!」 「結構です。陛下から贈り物をもらう意味が分かりません」 「何を言うか! 将来の花嫁に贈り物をするのは当然のことだろう!」 「ですから、いつの間に陛下の花嫁になったのですか、私は」  いつものやりとりだが、いい加減うんざりしてきたエレインは、突き放す口調でそう言ってしまった。  それにはフルストも珍しく顔がしょんぼりしていた。 「クィンシー」 「はっ、はい?」 「やる気が削がれた。今日は《神久|じんく》のもとへ行かぬ」 「ええっ!? そういうわけにもいきませんよ! わがまま言っちゃだめですよ!」  エレインは思った。クィンシーとフルストは、何を漫才しているのだろう。フルストはプイッとクィンシーから顔を背けた。  そしてそれを真に受けた《鷹理|おうり》が面食らう。 「何をおっしゃっておられるのですか!? ディクスン様、花嫁とはどういう意味ですか!?」 「ああもう、だから違いますってば! そんなことで拗ねないでください、陛下!」  エレインは声を荒げる。クィンシーは困って唸る。フルストは黙って何も言わない。《鷹理|おうり》はわたわたしている。  何だか、朝からしっちゃかめっちゃかだった。 ☆  結局、フルストは本気で拗ねて聖皇のもとに行かなかった。  いたたまれないエレインとクィンシーが神殿の聖皇の御座の前に座らさせられ、事の顛末を話すと、聖皇《神久|じんく》は笑って許してくれた。 「バラジェの魔王とて、人の子ということか。思いびとに辛く当たられては、拗ねるのもやむなしよ」  誰が思いびとだ、誰が。フルストの一方通行の思いしかないのに、そんなことを言われても困る。  エレインはそう思ったが、「あはは」と愛想笑いをするしかなかった。また何か下手なことを言って、フルストの耳に入れば面倒だ。  そんなことよりも、傍に箱詰めされた贈り物を渡さなくてはならない。  エレインは聖皇《神久|じんく》の侍従の一人に頼み、箱の中身を改めてもらうことにした。神殿に上がる前に一度チェックはされているが、徹底的に不審なものは入っていないとアピールする狙いだ。クィンシーの発案でそうすることとなった。  行李に入れられた無数の贈り物の中から、まず大きなものが運ばれていく。  時計だ。中央ユーファリア王国で作られた精密な置き時計は、どの国も欲しがる垂涎ものだ。クィンシーが手持ちの商品の中から時計を真っ先に選んで持ってきてくれていたおかげだ。  その他にもバラジェの宝飾品や南ユーファリアの珊瑚、西ユーファリアの筆記用具一式などが次々と取り出されていく。エレインとクィンシーの前に一つ一つ並べられ、飾り箱が行灯の光を反射して美しい色合いを醸し出していた。  聖皇《神久|じんく》は満足そうにそれらを見つめると、エレインとクィンシーに向かって答礼の言葉を述べた。 「友好の証としての贈り物、痛み入る。こちらも相応の返礼をさせてもらおうかの」  そう言うと、白木の三方を持った女官たちがエレインとクィンシーの前に列をなす。  それぞれの三方には、一つずつ返礼の贈り物が載っていた。例えば翡翠の勾玉飾りや漆器一式、絹の反物など、どれも一級品ばかりだ。  エレインは頭を下げる。 「有り難く頂戴いたします。必ずやユーファリア連合王国国王陛下のもとへ届けさせていただきます」  聖皇《神久|じんく》は納得したように、何度か鷹揚に頷いた。 「これらはユーファリア連合王国国王へ届けてもらうが……そちらにも手土産は用意してある。特にディクスンよ、お前には着物を仕立てるよう取り計ろう。旅の思い出として持ち帰るがよい」 「ありがとうございます、聖皇陛下。お心遣い、痛み入ります」  着物か。そう言えば、桜子のころ成人式で着たレンタルの晴れ着くらいしか思い出がないな。  エレインは前世での記憶を思い出そうとするが、やはり七五三など幼いころの事はよく憶えていない。そもそもやってもらったのかも怪しい。親の愛に乏しかった前世では、やむなしと言ったところか。  間もなく、謁見は終わった。誕生日のことや星型の痣については——ああも人の多いところでは話に取り上げられなかった。よかった、とエレインは思う。  しかし、神殿を出た矢先、《九曜星|くようぼし》《鷹理|おうり》とともに《九曜星|くようぼし》家屋敷に向かおうとしたところ、一人の女官に呼び止められた。  《鷹理|おうり》が《明ケ星|あけぼし》の言葉で対応する。すると、エレインのほうを向いて、こう一言。 「聖皇陛下よりお言伝がございます。『ディクスン大使には《茶話|さわ》に付き合ってもらいたい』とのことです」  エレインは、来たか、と思った。  すぐに了承の旨返事を伝えると、女官は案内すると言ってそのまま歩き出してしまった。  これにはエレインも苦笑いし、後のことはクィンシーに託して女官を追いかける。  女官の歩みは速かった。着物を着ているのになぜそこまで速いのか、と思うくらいに。エレインは必死になって追いすがる。  やがて、迷路のような庭を通り、門をくぐって寺院のような開けた場所に出た。こんなところが神殿の奥にあったのか、と思うくらい、広い。枯山水など、ゆうに二十五メートルプールくらいはあるのではないだろうか。  その縁側には、一人の少年が座っていた。  ぽつん、と座っているはずなのに、着ている浄衣のせいか、存在感がある。  エレインは、少年に声をかけた。 「お一人ですか? 陛下」  聖皇《神久|じんく》は上品に笑う。 「女官には下がらせた。余はそちと話がしたい」 「話、ですか。例えばどのような話をご所望ですか? ユーファリアのことであればいくらかはお話できますが」 「そうだな、ではこれを見よ」  聖皇《神久|じんく》は左腕の袖を捲り上げた。ちょうど左手と左肘の間に、星型の小さな痣があった。  エレインは、やはりか、と覚悟を決めた。しょうがない、自分のことも話そう、と。  ところが、聖皇《神久|じんく》はエレインに話を持ち出さず、自分語りを始めた。 「余は十六年余り前の師走の七日に生まれてな。その夜は星が降る、流星雨の夜だった。この国では流星雨は吉兆、凶兆の証とされていてな、その年は《明ケ星|あけぼし》全国において大寒波で大量の死者が出た。一方で、こうして前世の記憶を持つ余が生まれた。まるで大量の民の命と引き換えにしたようにな」  くくっ、と聖皇《神久|じんく》は笑った。今度は自嘲的な笑みだ。  まあ隣に座れ、と言われて、エレインは聖皇《神久|じんく》の隣に座る。  聖皇《神久|じんく》の言う、前世の記憶、とはどういうものなのか。  エレインは思い切って尋ねることにした。 「陛下、前世の記憶とは一体?」 「うむ。人の魂とは不滅であり、人の世を巡り巡っているという、いわゆる《輪廻転生|りんねてんしょう》という考えから来るものだが……余の場合、前世はとある僧侶であったと思う。すべての記憶があるわけではなくてな、しかし僧侶には僧侶の秘儀というものがあり、余は生まれたときからそれを知っていた。ゆえに、言葉を話すと同時に僧侶の秘儀を唱えはじめ、ここに迎えられて聖皇《神久|じんく》という名前を先代より授かった」  聖皇はどうやら血縁によるものではなく、前世があるかどうかで判断されるものだった。  なるほど。記憶が完璧にあるわけではない、という点はエレインとは少し違う。エレインは桜子として生きた記憶、意思が赤ん坊のころからあった。だから子供らしく振舞う必要があったし、早くから何段階も飛ばした勉強や魔法を始めることができた。  しかし、聖皇《神久|じんく》は単に記憶があるだけだ。魔法や呪術の力はどうだろうか。  聖皇《神久|じんく》はまたくくっと笑い、エレインのほうに向き直る。 「久しき神という名のごとく、呪術は得意だぞ、余は。お前もそうであろう?」 ☆ 「私も、ですか」  エレインは少し戸惑う。どこまで《鷹理|おうり》が聖皇《神久|じんく》に話したのか、見当がつかないからだ。  エレインとしては、このままこの土地に縛り付けられるのはごめんだし、殺されるのはもっとごめんだ。余計なことは言わず、速やかに去りたい。ああもう、本当に余計な探りをいれるんじゃなかった。《転移魔法|モビリス》を発動させる心の準備はしておこう。 「さて、そちが古代語を知っておったという話を耳にしてな」 「古代語ですか」 「左様。古に栄えた、日本という国の言葉だ。そちはそのことを知っておったな?」 「……ええ」 「何も咎めるつもりはない。余もそこまで狭量ではない」 「はあ」  エレインはよく分からないせいか、生返事をする。しかし聖皇《神久|じんく》は特に気にはしていないようだった。 「呪術は魔法と違い、入れ墨も才能もなくとも使えるが、己の命を費やして使うものだ。生命力とも言える。これにはコツがあってな?」  つまり、魔法で言うところの魔力のようなものか。生命力を使うということは、魔力とはまた違うのだろうか。  エレインの中では、魔法と呪術は系統の違う術式、という認識になった。ただし、実感は伴っていない。  眉根を顰めて、聖皇《神久|じんく》は喋る。 「しかしだ、昨日そちは本を読んだだけで呪術を使えたそうだな?」 「一応、魔法の下地がありますので、多少は下駄を履いていますけれども」 「謙遜するでない。して、ディクスンよ、実際に使うてみて、呪術と魔法の違いは分かったか?」 「いえ、それが、私は自然と使えてしまったので……あまり呪術と魔法の違いは分かりませんでした。研究してみればまた違う視点が生まれるのでしょうけれども、私はまずは魔法を極めたいと思います」 「そうか、そうか」  聖皇《神久|じんく》は何かに納得したように頷く。  何に納得したのだろう。  エレインの横で、聖皇《神久|じんく》はごろりと横になった。 「やはりそちのことは、公にすべきではないな。つまらぬのう」  聖皇《神久|じんく》は左肘を支点に左手で頭を持ち、烏帽子を後ろに放る。  いきなりの態度急変に、エレインは面食らう。聖皇《神久|じんく》のつやつやの黒髪は後ろで一つに束ねられ、しっかり固められていた。  エレインは戸惑いつつも声をかけようとしたが、先手を取られてしまった。 「余としては、せっかく前世を持つ者同士、仲良くしたいと思うておったのだが、お互いにこうして立場がある。安心せよ、そちは無事ユーファリアへ帰す。そもそも、そちに何かしようものなら、フルストが許さぬであろうよ」  何だか聖皇《神久|じんく》は若干砕けた口調になった。腹の探り合いに疲れたのだろうか。  しかし、聖皇《神久|じんく》から好意的な見方をされていたとは、エレインは思ってもみなかった。そしてエレインは、自身には最強の護衛がついていることをすっかり失念していた。 「そう、かもしれませんね。ええ、はい」  その護衛は現在拗ねて《九曜星|くようぼし》家の屋敷でゴロゴロしているのだが——そこはこの際、目を瞑ろう。 「あれはそちに相当惚れ込んでおるな。魔族というものは魔法に長けた者を好むと言うが……それにしても凄まじい」  エレインは思わずため息を吐いた。 「本当にそうなのですよ。いつもいつも、花嫁だとか将来結婚するだとか叫んで、今日もそれで拗ねて陛下のもとへ行かないと意地を張りはじめて」 「くっくっく! フルストもまだまだ子供ということか!」 「二百四十歳ですけども、全然そんな風には見えません」 「面白いのう。なぜ《明ケ星|あけぼし》には魔族がおらなんだか」 「そう言えば、どうしてですか?」 「余にも分からぬが、魔族は大陸にしか暮らしておらぬと聞くな。このような狭い国は性に合わぬのやもしれぬ」  フルストをはじめとした魔族は、《転移魔法|モビリス》を使えるからではないだろうか、とエレインは思った。そして勇者を除く人間は天敵ではないため、魔法を使えるというアドバンテージから大陸の覇者になってもおかしくはなかったのだが、何分人間に比べて人口が少ない。そのためパラディス大陸全土には広がらず、魔族主体の国もバラジェ一国しか成立しなかったのだろう。  その見解を聖皇《神久|じんく》に説くと、笑って応えた。 「そちは真面目よのう! いつもいつもそう真面目では、気が休まらぬであろうに!」  エレインは頬が赤くなる。言われてみれば、真面目だけが取り柄の桜子のころから、ずっとこの調子だ。確かに気が休まった試しがない。 「……意地悪ですね、陛下」  精一杯の反撃だった。だが、聖皇《神久|じんく》はやはり笑う。 「ぷくくっ! 意地悪とな! 余は聖皇《神久|じんく》であるぞ? 前世も含めれば、そちより長生きしておる自信はあるぞ!」 「そうですか。私、前世は二十二歳で死んでしまったので、まず陛下のほうが長生きですよ」 「ほう、やっと話してくれたな? よいよい、そうやって話せばよいのだ」 「はあ……私の周りの男性はどうしてこう、個性的な人ばかりなのでしょうね」 「それはそちが個性的だからではないか?」 「類は友を呼ぶですか」 「そうとも言うな!」  聖皇《神久|じんく》は、嬉しそうだった。  エレインはしばらくの間、聖皇《神久|じんく》と語り合った。 ☆  エレインが《九曜星|くようぼし》家の屋敷に戻ると、フルストが正座させられていた。フルストの前には《鷹理|おうり》が竹刀のようなものを持って立っており、本気でキレていることがよく分かる。 「戻りましたー……何をしているのですか、というか何をしたのですか?」  振り返った《鷹理|おうり》は見事な笑顔だった。 「お帰りなさいませ、ディクスン様。ええ、少しお説教をば」 「ああ……拗ねたから」 「仮にも王と名乗る以上、わがままで他人を振り回してはいけないことはお分かりいただけたかと」  フルストはコクコク頷いた。よほど《鷹理|おうり》に手酷く折檻されたらしい。そりゃそうだ。  しかし魔王を説教するとは、《鷹理|おうり》もなかなかやる。このままエレインのディヴァーン領についてきてほしい人材だ。  そのことを《鷹理|おうり》に伝えると、《鷹理|おうり》は苦い顔をしていた。フルストは首を横に振っていた。 「ああそうだ。ディクスン様、ユーファリアへ贈る品々はすでにまとめてあります。ご出立の際に揃えて出せるようにしてありますので、ご安心ください」 「ありがとうございます。何から何まですみません」 「とんでもない、これが私の仕事ですから。さて、魔王陛下? もう少しお説教を続けさせていただきましょうか」 「なあ!? エルが帰ってくるまでという話ではなかったのか!?」  そんな話を真に受けるほうがおかしい。まったく反省していないようなので、エレインも一言添える。 「《鷹理|おうり》さん、この際なので徹底的にやっちゃってください。反省の色が見えるまで」 「分かりました。さあ魔王陛下、背筋を伸ばして私の話をしっかり聞いてくださいね」 「ふざけるな! エルが戻ってきたのなら」  フルストは立ち上がろうとして——足が痺れていたのだろう、畳の上に転がった。 「うおおお……足、足がぁ……!」 「はい、座り直してください。大丈夫です、あと一刻ほどは続けさせていただきますよ」  《鷹理|おうり》はフルストを叩き起こし、また正座させる。見事な鬼教師っぷりである。  エレインは二人の邪魔をしてはいけない、という建前を告げて、部屋を後にした。フルストの助けを求める叫び声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。  エレインが自分の部屋に戻ろうと、渡り廊下を渡っていると、遠くの縁側にクィンシーが座っているのが見えた。手元には手帳のようなものもある。考え事をしているのだろうか。  今回は大分迷惑をかけたので、一応謝りに行こう、とエレインは思った。渡り廊下を進み、縁側へと歩み寄る。クィンシーはまだ気づいていない。よほど考え事に熱中しているのだろう。時折手帳のページをめくるほかは、動きさえない。 「クィンさん、何をしているのですか?」 「うわあ!?」  クィンシーは驚いて手帳を地面に落とした。  急いでエレインは手帳を拾い上げ、謝る。 「ごめんなさい、驚かすつもりはなくて」 「ああ、エルさんでしたか。失礼しました、陛下かと思って」 「意外と失礼ですね、クィンさん」 「ははは、これは失礼を、マイ・レディ。何かご用件がおありですか?」 「ああ、えっと、今回は迷惑をかけてしまったな、と思って、謝りに」  すると、クィンシーは目を丸くした。 「迷惑? まったく迷惑ではありませんよ」 「でも、いきなりのことだったでしょう?」 「得るものも多かったですし、空き時間に物件探しにも行けましたし、何より聖皇陛下と《九曜星|くようぼし》家の跡取りとのコネクションまでできましたから、まったく問題ありませんよ。エルさん様々です、むしろこちらが感謝しなくてはならないくらいですよ」  さすが商人だ、切り替えが早い上にろくに損をせず得を取っている。見習わなければ、とエレインは思った。 「ところで、物件探しって何ですか?」 「グラッドストン商会のヤジャイカ支部に適した屋敷と店舗です。もう見つけて、《鷹理|おうり》さんが保証人にまでなってくれましたので、安心してください。これで安定してヤジャイカの擬似魔法の書物を輸入できるようになりますよ」 「あ……憶えていてくれたのですね」  クィンシーは照れ笑いをする。 「大事なお得意様との取引ですからね。最優先で案内させていただきますよ」 「ありがとうございます。支払いは必ずしますので」 「……いや、エルさんから無理に取り立てようとすると超極大魔法が飛んできそうなので大丈夫です」 「何か言いました?」  エレインはおもむろに右手袋を外す仕草をする。それだけでクィンシーは首をぶんぶん横に振って己の言動を否定した。 「いえっ、何も! ああそうだ! 商会の者と打ち合わせがあったのでこれで失礼します!」  早口でそう言って、クィンシーはそそくさと去っていった。  脅しすぎたかな、とエレインは反省した。 ☆  大陸歴一七九七年、一月二十八日、朝。  エレインたちがユーファリアへ戻る日がやってきた。  この三日間、本当に色々なことがあった。  まずエレインは毎日のように聖皇《神久|じんく》のもとへ茶話にと通わさせられた。おかげでフルストがまた拗ねた、そして《鷹理|おうり》に説教を食らっていた。《九曜星|くようぼし》家を訪ねてきたバラジェの大使たちがため息を吐いていたところを、エレインは目撃した。  一方で、クィンシーはグラッドストン商会ヤジャイカ支部の設立に大分進捗が見られたらしく、「明日にでも商売を始められる」と意気込んでいた。頼もしいかぎりだ。ついでに擬似魔法の書物を《鷹理|おうり》の伝手で大量に仕入れてくれたらしく、今日の《転移魔法|モビリス》、西ユーファリア直行便で送ってくれるらしい。これで春の種蒔きに間に合う。  そして三日間、エレインは暇さえあれば呪術の本を読んで学んでいた。しまいには、《鷹理|おうり》から呪術の本をいくつか贈られた。何でも、「読むためなら《転移魔法|モビリス》を《軽々|けいけい》使いそうだから」という理由で、である。幾ら何でもその理由はあんまりだ、と抗議したら、じゃあ本当に読みに来ないのか? と尋ねられ、エレインはぐうの音も出なかった。知識欲を満たすためなら、エレインは何でもやりそうだ、としっかり的確に捉えられていた。  そして三日も待った最大の理由、それは——。  エレインのあてがわれた部屋に、縦に長い桐箱が届いた。中を開けてみると、薄紅色の晴れ着が入っていたのだ。  聖皇《神久|じんく》が約束した、エレイン用の着物だ。帯もちゃんとついてある。何でも、職人を総動員させて突貫で作らせたらしい。そこまでしなくてもまた送ってくれればいいのに、とエレインは思った。  女中の一人が着物を広げて見せてくれた。そしてこう問うてきた。 「試しに着はります?」 『いえ、時間がもうないので、皆さんに教えてもらったとおり、自分でやってみます。ありがとうございます』  そう、着付けも自分でできるよう、この三日間エレインはずっと着物を着ていたのだ。女中たちはエレインへ着付けを丁寧に教えてくれたので、三日で何とかものになった。 「それにしても、寂しゅうなりますねぇ。最初は騒がし思いよったけど、慣れてみるとおってくれたほうが楽しいですし」 『ご迷惑をおかけしました。主に魔王陛下が』 「そうそう、フルスト様があない残念なお人やったなんて、信じとうないわぁ」 「ほんまほんま。顔はええのにねぇ」  フルストはけっこうなことを言われているような気がする。だが、自業自得だ。あんなに何度も《鷹理|おうり》の説教を食らうようなことばかりしていたら、女中にも呆れられるに決まっている。それに、エレイン以外の女性に何と思われようと、フルストは気にしないだろう。そのあたり、便利な頭をしているものだ、とエレインは感心する。  エレインは女中たちに別れを告げ、桐箱を抱えてクィンシーのところまで持っていく。クィンシーは荷物持ち兼ユーファリア連合王国国王への贈り物受付担当として、おそらく三人の中で一番働いている。一番働いていないのはフルストだが、そもそも条約締結はすでに成立したので、フルストの仕事はもうなかったりする。それでも三日残っていたのは、ひとえにエレインの晴れ着姿が見たかったから、らしい。馬鹿の極致である。  クィンシーはと言うと、屋敷の玄関で《九曜星|くようぼし》家の人員を使って、贈り物や荷物を運ばせていた。グラッドストン商会で鍛えたリーダーシップなのか、テキパキと指示を出して効率よく人を動かしている。さすがクィンシーだ。 「おはようございます、クィンさん。これもお願いしますね」 「ああ、おはようございます、エルさん。着物ですか? 了解です」  クィンシーは手近な男性を一人選んで、着物の箱を受け取らせる。 「朝からすごい人手ですね……全員《九曜星|くようぼし》家の方なんですか?」 「らしいですね。うちの商会やバラジェの方々では手が回らないことをやってくれています。ここの国の人は真面目で丁寧に働いてくれますから、うちの商会でも是非雇いたいくらいですよ」  そうこうしていると、荷物をすべて運び終えたらしい。荷車に乗った荷物が運ばれていくのを、エレインは玄関から眺めていた。  昼前には、《九曜星|くようぼし》家を経つことになった。  最初に来た《転移魔法|モビリス》用魔法陣の間は、ユーファリアとも繋がっているらしく、エレインが確認作業をして最後の点検を終えた。  そして《鷹理|おうり》を伴ってやって来たフルストは、出がけまで《鷹理|おうり》に説教をされていたらしい。また何かしたのか、と尋ねると、こう返ってきた。 「王としての思慮に欠けるとメルヴィルにも言われたことを逐一……いや、言うまい。また説教されるからな」 「説教されるようなことをするからだと思いますが」  《鷹理|おうり》の言い分は正しい。そしてフルストはそれを無視した。 「エル、帰ったら晴れ着姿を見せてくれ!」 「疲れているのでお断りします」  エレインはにべもなく断る。当然だ、せっかくの晴れ着をフルストに見せるためだけに着るなど馬鹿らしい。 「ディクスン様、《主上|しゅじょう》よりのお言伝です。『何かあれば余を頼ってくるといい』、とのことです」 「有り難いお言葉です。そこまで言っていただけるなんて、嬉しいかぎりです」  実際に頼ることはないだろうが——それでも、言葉だけでも嬉しいものだ。  エレインは《鷹理|おうり》から書類を受け取る。 「これは条約締結のための交渉書類です。念のため、あなたからも口頭で連合王国国王陛下へお伝えください」 「分かりました。《鷹理|おうり》さんが交渉担当となるのですか?」 「それはまだ分かりません。ですが、大陸共用語を話せる人間は限られてきますので、そうなる可能性は高いですね」 「もし西ユーファリアへ来る機会があれば、ぜひディヴァーン領へ来てくださいね。お待ちしています」 「……機会があれば、ぜひ」  《鷹理|おうり》はそう呟いた。照れ隠しだろうか、《鷹理|おうり》は烏帽子についた顔隠しを下ろした。 「では、そろそろお時間です。皆様、陣の中心へ」  エレインたちは魔法陣の荷物が置かれた中心へと移動する。 「ではな、《鷹理|おうり》よ。バラジェに来たなら俺が歓待してやろう」 「《鷹理|おうり》さん、また来ますね!」 「末長いお付き合いをよろしくお願いいたします」  それぞれが別れの挨拶を告げる。《鷹理|おうり》は何も答えない。ただ頷いただけだった。  フルストが《転移魔法|モビリス》を唱える。 「《転移魔法|モビリス》、オッキデンターリス・ユーファリア・サンクトゥスウィーケーティア!」  ぐにゃり、と視界が歪む。  次の瞬間には、エレインたちは西ユーファリア王国王都の魔法陣管理所に着いていた。
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