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 《日向彩乃|ひなたあやの》と再会したのは、大学に入学してすぐの出来事だった。  俺の事をじっと見つめるそいつは最後に会ったあの時と変わらず、引き込まれるようにまっすぐであどけない表情をしていた――  本日の講義を終え、今日の部活見学はどこに行こうか、などと楽しそうに語り合っている周りの声には興味も示さず帰る仕度をする。  そんな会話は、人脈作りをするつもりも、サークルに入るつもりもない俺には一切関係のないことだからだ。俺は仕度を終えるとさっさと学部棟を出た。  ……いや、出ようとした。  学部棟の扉から足を外に踏み出したその瞬間。 「京介? 」  背後から名前を呼ばれ、足を止めた。振り向くとそこには一人の女性が立っていた。あまりにも雰囲気が変わっていたためはじめは誰だかわからなかったが、ほんの数秒後、その正体が浮かび上がるように思い出されてきた。 「彩乃…… 」  まっすぐにこちらを見つめる綺麗な瞳と、幼さの残るあどけない表情はあの頃のままだったのだ。 #  その後、数年ぶりの会話を交わしながら俺たちはともに帰路へとついた。 「じゃあ彩乃はまたこっちに帰って来たのか」 「そうだよ。でもまさか京介がこの大学に通ってるなんて、びっくりしたよ」 「俺だって、まさかまたお前と同じ学校に通うことになるとは思わなかったけどな」  彩乃は中学を卒業すると同時に東京へと引っ越し、都内の高校に入ったのだった。髪形や服装が変わったのも、数年間都会で過ごしていたことが影響しているのだろうか。  以前はよくワンピースやカーディガンなどの洒落た服装を好んで着ていたのが、今ではシンプルなロゴが入ったTシャツにデニムのショートパンツというラフな格好。そして胸元まで掛かるほど長かった鮮やかな黒い髪は肩より上で切りそろえられている。  そこでふと疑問が湧いた。都会から田舎に来てラフな格好になるのであればわかるような気もするが、彩乃は都会に行ってこのファッションに変わったのだろうか? 都会が田舎より派手というのは俺の偏見かもしれないが、なんだか少し不思議な気がした。 「あ、そうだ」  服装のことについて聞こうと思っていたのだが、彩乃が不意に大きな声を出すものだから聞きそびれてしまった。  それはそうと、俺はなんだか嫌な予感がしていた。こいつが不意に何かを思いついたように声をあげるときは大抵面倒なことに巻き込まれるのだ。 「私たちが通ってた中学に寄って行こうよ、久々に行ってみたいなぁ」  やっぱりか……。どうせそんなことだろうと思った。 「却下」 「ええっ、いいじゃん少しくらい付き合ってくれても。相変わらず京介はめんどくさがりだなぁ」 「それは否定しない。それどころか堂々と胸を張って言える。俺はめんどくさがりだ」 「えぇー……」  彩乃は意地悪で言ったつもりかもしれないが、あいにく俺にはそんな嫌味は通用しないのだ。  そんなどうでもいい会話をしているうちに、気が付くと大学の最寄り駅まで辿り着いていた。俺の家がある駅まではここから5つ移動しなければならない。時間にして約30分程度だ。確か彩乃の家がある駅は俺より1つ前だったはず。  ホームで電車を待っていると、彩乃はまた懐かしむように中学の頃の話をした。いや、話をしたと言うよりは独り言のようにつぶやいていた。 「綾香元気かなぁ」  綾香……綾香……ええと、誰だっけか……。  思考を巡らして記憶をたどる。しばらく考えていると、気が弱く、けど清楚な雰囲気と人の視線を引き付ける美貌を持った一人のクラスメートが思い出された。  下村綾香。そうだ、確かそんな名前だった。確か学校では彩乃が仲良くしていたグループにいて、いつも本を読んでいた記憶がある。  しかし、本は本でも漫画は嫌いとか言っていたっけか。 「下村綾香か?」 「そう、覚えてる? 綾香、漫画好きだったよね」 「え……? 」  ――ゴオオオオ。  そのタイミングで俺たちが立っているホームに列車が到着した。 #  彩乃と二人で電車に乗るのは何年ぶりだろう。いや、もしかしたらこれが初めてかもしれない。いくら小学校からの付き合いとは言え、中学までに電車通学はなかったし、一緒に遊びに出かけたことがあるわけでもない。  電車は空いていて、俺たちは2席ずつ対面になっている4人掛けのボックスシートを2人で独占できた。 「……だから、綾香は確かに漫画が好きだったんだって。色んな漫画の話もしたしさ、好きな漫画がアニメ化されたとき一緒にイベントに行ったことだってあるんだよ?」  彩乃はまくしたてるように俺を説得しようとしてくる。  うーむ……ではなぜ俺は下村が漫画が好きではないなどという記憶があるのだろう。もしかして俺が別の誰かと勘違いしているのか? 「下村って、中学が一緒だった下村だよな? お前がクラスでよく仲良くしてたグループにいた」 「そうだよ。私も京介も綾香も、中学では3年間同じクラスだったでしょ?」  となると人違いということはなさそうだ。だったら俺の記憶が間違っているというのだろうか。そもそもそれ以前に、俺はなぜ下村が漫画が好きではないなどということを知っているのだろう。彩乃以外の女子とはろくに会話したこともないはずなのに。  やはり俺の勘違いなのではないかと思うようになり、これ以上考えるのをやめようとしていたそのとき、ふと懐かしい光景が一瞬だけ頭をよぎった。  もしかしてあの日……  俺は忘れていたある重要な記憶を思い出していたが、ちょうどそのとき彩乃が降りるはずの駅に到着してしまった。  しかし、電車が止まってもなぜか彩乃は降りる気配がない。 「彩乃? お前この駅で降りなくてもいいのか?」  聞いても返事がないので彩乃の顔を見ると、いつもの彼女からは考えられない寂しそうな顔をして俯いていた。 「おい、どうしたんだ?」 「あっごめん、何でもないよ、京介と同じ駅で降りるから大丈夫」  彩乃曰く、私の家は京介と同じ駅で降りても少し遠くなるだけで帰れない距離じゃないから大丈夫、とのことらしいが、わざわざ話の続きをするために下りなかったのだろうか。だとしたらなんだか悪いことをした気がする。 「それより、綾香のこと何か思い出したの? 」 「あぁ、そうだな……」  俺の中では既にこの記憶の食い違いに対する一つの仮説が立っていた。そして恐らくこの仮説は合っている。  俺はできることならこの仮説を彩乃に話したくなかった。しかし彩乃の事だ、気になり始めたらとことん気になって追及し続けるだろう。  下手したら下村に連絡して確認すら取りかねない。あまりそういうことになって欲しくはなかったので、俺は今ここで話すことを決めた。 「俺とお前の記憶が食い違っていた理由が分かった。」 「え、ほんと? やっぱり京介の勘違いだったんでしょ?」  俺は少し間をおいてからこう答えた。 「いや、俺の記憶は間違っていなかった。 だが、お前の記憶も間違ってはいなかったんだ」 #  電車を降り、暗い夜道を二人で歩く。時折吹きつける風が少し肌寒い。 「で、私も京介も記憶が間違ってなかったってどういうことなの? それじゃ綾香は漫画が好きだけどやっぱり好きじゃないってことで、うーん……」  彩乃は完全に混乱いるようだ。  正直、俺は彩乃にこの話をすることを躊躇ためらっていた。しかし、話し始めたら最後まで話すしかないと覚悟を決めて口を開いた。 「言葉通りの意味だ。お前が下村のことを漫画が好きなやつだと思っていたことも間違えじゃないし、俺が下村の事を漫画が好きじゃないやつだという記憶を持ってたのも間違えじゃない」 「だから、それじゃ意味がわからないんだって」 「すまん、ひとまず話を聞いてくれ」  喚き散らす彩乃をなだめて俺は話を続ける。 「中学の時、大きな台風が来ていて保護者が迎えに来るまで教室で待機することになった時のこと覚えているか」 「え? あぁ、覚えてるよ。たしか1年の夏だよね。あのときの台風はすごかったなぁ……いや、その話今関係なくない?」 「それが関係あるんだ。あの時、俺と下村だけはなかなか迎えが来なくて最後まで二人で残っていた。その時だ、俺が下村から彼女が漫画が好きじゃないということを聞いたのは」 「え……?」 「下村があえてそのことを話したというよりは、たまたま俺との会話で無意識に口に出してしまったのだろう。その日も下村は漫画を読んでいて、俺は彼女に『下村はいつも難しそうな本を読んでる印象だが、漫画とかも読むんだな』と聞いた。そうしたら彼女は、『ええ、でも|本当は漫画はあんまり好きではないんだけどね』って答えたんだ。」  俺はさらに続けた。 「|本当は好きではない。けど下村は彩乃達の前では漫画が好きと言っていた。それはなぜか……」  そこまで言うと彩乃は痺れを切らすように問いかけて来た。 「それって、私たちのグループはみんな漫画が好きだったから、本当は好きじゃないのに話を合わせるために漫画を読んでたってこと? 」  下村はどちらかというと内気な性格で、自分の意見をはっきりと言うようなやつではなかった。つまり、自分の本当の気持ちは抑えて周りの友人達にあわせていたのだろう。 「じゃあ、私達は今までずっと価値観を押し付けて、綾香に我慢させてたの? そんなの……」  彩乃の声は震えている。興奮で赤くなった顔には一筋の涙が流れていた。 #  青年期、それは集団心理に対して最も敏感な時期だ。ましてや学校という人間社会の檻の中ではそれを意識しないで生活する方が難しいと言えるだろう。  友人に嫌われたくない、仲間外れにされたくない、いじめられたくない。誰もがそんな感情に振り回されながら必死にあがき、周囲の人間関係に溶け込むために仮面を被った偽りの自分を形成していく。  周りの色に合わせようとすればするほど自分の色を失っていく。  虚構の色に染められた自分へと変わっていくのだ――  駅から少し離れた交差点に差し掛かると、私の家こっちだから、と言って彩乃は俺とは反対方向に向かって歩いて行った。  彩乃と別れる前、俺は彼女にこんなことを言った。 「下村は別に仲間外れにされるのが嫌で、我慢して漫画が好きな振りをしていたとは限らないんじゃないか? もしかしたら彩乃達ともっと仲良くなりたくて、皆が好きな漫画を読んで話を合わせてたって可能性もあるしな」  こんなことをわざわざ話したのは、こうあってほしいという願望からか、それとも知らなくてもよかった真実を彩乃に話してしまったことに対する負い目からなのか、自分でもよくわからなかった。  それを聞いた彩乃は、そうかもね、とだけ言って笑った。  俺はなぜかその時の彩乃の表情を一生忘れない気がした。
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