フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
 彼女は虐げられる存在だ。  彼女といっても人間ではなく機械。  今の時代、各学校の各教室に、男子型と女子型の二体のアンドロイドが配備されている。なぜロボットみたいな存在が教室の中にいるのかといえば、それはいじめ問題に対応するためだ。  学校教育の現場において、いじめは切っても切れない事象である。生徒が集団となれば、必ず誰かが虐げられる立場となってしまう。  生徒のいじめ対策として、校舎内に死角ができないほどの大量のカメラとセンサーを設置し、生徒の言動を常時監視、問題行動を起こした生徒は厳重に処罰されるようになった。この対策は、常に誰かの目があることを意識させる結果となり、意図したいじめには効果を発揮した。  しかし意図しない、突発的ないじめに関しては、むしろ助長する結果となった。  いじめはある側面では、生徒の捌け口として機能していたのだ。それもそうだ。集団生活を送るうえでストレスは必ず蓄積されていく。さらに監視もされている。ストレスが蓄積していけば、気が狂い爆発してしまう。監視カメラの設置によって押さえつけられた結果、より強力ないじめとして爆発するようになってしまった。  自然発生したいじめの矛先が自身に向いたとき、生徒はその対応力が問われる。そのいじめに対してどのように行動して解決するのか、これから社会で生きていくにあたっての精神的な強度が試されるのだ。  いじめとは、自然淘汰だった。強い個体が成体になるために弱い個体を排除するという、本能にプログラムされた機能だ。ある意味では、虐殺行為を遺伝子にインプットされているかのよう。  いじめは人間にとって、成長するうえで重要となる必要悪なのだ。  しかしいじめそのものを肯定することはできない。倫理的なこともそうだが実利的なこととしても、少子化の影響により子供の数が減少、子供一人にかかる価値と期待は年々跳ね上がるばかりであり、事実上、子供という存在は社会の《資源|リソース》として扱われた。いじめによって社会的資源を無駄に消耗するのは決して得策ではないのだ。だからこそ、いじめ行為を容認しつつも疑似的ないじめとして制御する方向に教育はシフトしていった。 「人間のうちに秘める残虐性を正しく理解することで、それを律する良識と理性、善意を培う」これが現代の教育方針だ。  そしてこの教育方針を実行するための教材がアンドロイドである。つまり彼女のことだ。  2040年代に《人工知能|AI》の《技術的特異点|シンギュラリティ》を迎え、AIがAIを開発するのが当たり前になり、AIは人間の知能を遥かに凌駕するようになった。AIは同じ知的存在である人間とコンタクトするために、インターフェースとしての人型ディバイスを編み出した。  なぜロボットは人型なのか? それは人型であれば、人間は感情移入するからだ。タコみたいな宇宙人と人型の宇宙人なら、後者の方がまだ意思疎通ができそうと思える。人に共感してもらえる形態をとることで、AIは人との壁をなくした。  そして人間社会において課題となっていた学生のいじめ問題に、AIの協力を仰いだ結果が、AIが生産したアンドロイドを学校に配備するというものだった。  今も校舎中にカメラが設置されているのは変わらない。カメラとセンサーによってとらえたいじめ証拠も、AIの判断によってより精度が上がった。生徒と生徒との間に生じるいじめは完全になくなったといっていいだろう。  ただし、人と人とのいじめに限る。  配備されたアンドロイドは、《いじめてもいい対象》なのだ。  校内、ひいては教室内におけるヒエラルキーの底辺を、人権が発生しない人工物で代替することで、いじめ行為を肯定しつつもいじめを抑制する。  《アンドロイド|虐げられるだけの存在》を用意することで、集団生活において蓄積されていくストレスの捌け口の方向を制御しようとしたのだ。そして事実、それは効果があった。  アンドロイドは男子型女子型関わらず、毎日殴られ蹴られ暴言を吐かれ乱雑に扱われた。とくに思春期になった男子など、性欲に関していえばまるで猿のようだ。アンドロイドは人間の平均的な容姿が設定されているので、特別容姿が醜いということはない。それが生徒たちにとっては好都合だった。なにせまあまあな容姿だから、萎えるということはなかったのだ。  彼女は虐げられる存在だ。僕は今それを再確認している。  呪文のように、自分自身に言い聞かせている。  僕は今、トイレの個室にいる。放課後帰る前にゆっくり用を足そうとし、こうして便座に座ったのだ。その一分か二分後に、男子生徒の集団がトイレに入ってきた。彼らは個室の中にいる僕に気がついていないようだ。  扉越しの声と、そして気配でわかる。今しがた入ってきた男子生徒たちは、女子型のアンドロイドを引っ張ってきていた。男子の集団が女子をトイレに連れ込んですることなど、容易に想像できる。  だから僕は必死で耳を塞いだ。両目をきつく閉じて、現実を直視しないよう全力で務めた。そして彼女がどういう存在なのかを無理やり意識することで、今扉越しに行われている行為を正当化しようと思い込んだ。それはまさに悪夢のような時間だった。  いったい何分経過したのかわからない。身を縮こまらせるかのようにずっと便座に座り続けていた僕は、ふとした瞬間外界に意識を向けた。扉の向こうには、もう気配はなかった。  僕は個室内に設置されているトイレットペーパーを外し、それをもって扉を開けた。  トイレの最奥、その壁に寄りかかりへたり込んでいる一体のアンドロイドがいる。当然女子型だ。僕らと同じ制服は無残にもはだけている。  僕はなるべく見ないようにしながら清掃ロッカーからバケツを取り出し、水を汲む。そして個室で外したトイレットペーパーとバケツを持ってアンドロイドの前に行く。腰を下ろし、トイレットペーパーを丸めて水で濡らし、それでアンドロイドを拭いていく。 「必要ありません。このあと生徒が完全下校したのち、常駐している整備ロボットがクリーニングしますので」  女子型のアンドロイドは、さも平然と答える。僕はそれを無視した。咄嗟に綺麗にしたいと、他の誰でもない僕自身が思ったからやっているだけだ。僕はその日、アンドロイドを綺麗にしてから下校した。  翌朝、彼女は変わらない姿で教室の席に座っている。乱れて汚れていたはずの制服は、下ろしたてのように清潔だ。きっと備蓄している制服と交換したのだろう。  その後も続々と生徒が登校してくる。そして人が集まり出すと、不意に一部の男子生徒たちが、女子型アンドロイドを取り囲み、教室から出ていこうとする。朝からお盛んだ。  だけど僕は咄嗟に彼らを追い、そして最後尾の男子生徒の肩を後ろから掴んだ。 「やめろよ」  放った言葉は短い。それでも止めた意図は理解してくれたようだ。  肩を掴まれた男子生徒は、不意のことで怯んだのち、急速に顔面を赤くして激昂した。拳が振り上げられ、僕に迫る。校舎内はカメラで埋め尽くされている。もしその拳が僕の身体に直撃すれば、まず間違いなく相手は処罰されるだろう。  いくら監視され、加害者が確実に処罰されるようになったとしても、殴られるのは痛いから嫌だ。でも今回のこれは、そこまで悪い気分ではなかった。  別に、彼女が可哀想だと思ったわけではない。いくら人に共感されるよう人型の形態をとっているからといっても、アンドロイドは目的に合わせて最適な反応をしているだけの物に過ぎない。人型であることを利用して、いじめの標的となるよう振る舞いをプログラムされた彼ら彼女らには、同情する価値はない。  ただ僕は、男子生徒の痴態に嫌悪感を抱いただけだ。  同い年の同性が醸し出す残虐性に、僕は反吐が出そうだった。  今僕のうちにある感情は、それだけ。  ――人間のうちに秘める残虐性を正しく理解することで、それを律する良識と理性、善意を培う。  きっと僕の中で、この教育方針が成果をみせたのだろう。僕はそのことがすこしだけ嬉しく思えた。着実に成長していることを実感しながら、僕は殴られた。 〈了〉
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行