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 第五章 開かれた新たな世界  1 いよいよ計画実行ですわ   深夜のグリューン――。  闇夜に紛れて、悠太様――今は夜モードです――とドミニク様は、エマ様の家を発ちました。  ドミニク様の話した逃走経路は、次のとおりです。 一.下層市民街の水路わきにある入り口から、地下水路へ侵入する 二.途中で東西に別れるが、西側の道に進む 三.だいたい城壁を超えたあたりで、道は上に登っていき、最終的にはグリューン西にある小さな森に出る 四.森にある湖の取水口から、外へと脱出する 五.森を抜けて大回りで街の東側まで迂回し、東の隣国ヤゲルのクラークへ向かう 「実はわたくし、クラークではなく、プリンツ辺境伯領へ向かいたいのですが」  ドミニク様の説明を一通り聞き終えたところで、悠太様はグリューンを抜けて以後の逃走先の希望を伝えました。 「構わないけれど、どうしてです?」  悠太様の言葉の意図がわからないためでしょうか、ドミニク様は首をかしげました。 「実は、ここだけの話なのですが、わたくし、子爵の実子ではありませんでしたの。実家がプリンツ辺境伯家という事実を、先ほど捕まっている間に聞いてしまいまして」  悠太様は上目づかいでドミニク様を見遣ります。 「なるほど……。あなたの家族がいる、というわけですね」 「ただ、生まれてすぐに養子に出されましたので、顔を見たこともありませんし、もしかしたら、わたくし、疎まれている可能性もあります」  悠太様の言葉に、ドミニク様は顎に手を当てながら少し考えこみました。 「……アリツェさん、つらい人生を過ごしてきたんですね」  ドミニク様は目を細めながら、優しい声をかけてきます。 「お心を砕いてくださり、感謝いたしますわ」  これまでのわたくしの境遇を想ってくれているのでしょうか、ドミニク様は悲しそうな表情を浮かべていました。わたくし――悠太様ではありません、本来のわたくし自身です――は嬉しさがこみあげます。胸の奥が、じんわりと温かくなります。  年上のエマ様や院長先生には、ずいぶんと優しくしてもらいました。ですが、歳の近い者に、このように気を砕いてもらう機会が、今までありませんでした。  孤児院で一緒だった子供たちは皆、わたくし並みにつらい境遇の子が多くおりました。ですので、わたくし自身はむしろ、姉がわりとして気遣う側でした。  せいぜい、領館時代のかつての付きの侍女くらいです。同年代で同情の念をくれたのは。 (おい、アリツェ。あんた、この優男が気になるのか?) (そ、そんなことはありませんわ! ただ、わたくしのことを理解してくださったのが、うれしくて……。それだけですわっ) (ふむ……)  わたくしの態度に、悠太様は何か思うところでもあるのでしょうか。ブツブツと思案気なつぶやきを漏らします。 「……ドミニク様、わたくしお願いがありますわ」  悠太様は再度上目遣いに、ドミニク様の目を見つめました。ドミニク様は少したじろぐかのように身を引きました。 「あなたのほうがわたくしよりも立場は上なのです。そのようなかしこまった話し方はしないでくださいませ。それに、わたくしのことは、単に『アリツェ』と、お呼びください」  気さくに話しかけてもらったほうが、わたくしの人格もドミニク様との壁を感じなくなっていいだろうなどと、どうやら悠太様は余計なおせっかいを考えたようです。 (ちょ、ちょっと悠太様! いったい何をおっしゃり始めるのですか! わたくし、そんな、困りますわ!) (まぁ、いいっていいって。オレに任せておきなさい)  わたくしがドミニク様に好意を寄せているのではないかと、悠太様はなぜだか勘違いしたようです。……わたくしとしては、境遇を理解してくれたことに対して、単に嬉しくなっただけのつもりなのですが。  おそらく悠太様は、『精神年齢が上のオレが、アリツェのために一肌脱ぐべきだ。距離をもっと接近させるには、まずは言葉遣いからだ』などと考えたに違いありません。余計なおせっかいとは、まさにこのことを言うのではないかと、わたくし愚考いたします。 「しかし……」  わたくしが元貴族という点を気にしてなのでしょうか、ドミニク様は渋りました。 「お願いいたしますわ。わたくしのほうが、気にしてしまいますの。わたくしを助けるとお思いになって」  悠太様はやや強引に頼み込みました。ここはかわいい愛娘――あくまでシステム上での娘ですが――のためとでも、思っていそうです。……なんだか、頭が痛くなってきます。 「……わかりました。いや、わかった」  少し困惑の色を浮かべていますが、ドミニク様は了承しました。 「ありがとうございますわ!」  悠太様は、満足したとばかりに大きくうなずきました。 (ああああ……)  わたくしは頭を抱え、意味の成さない嘆きを漏らしました。どうしてこうなったのでしょう。 「何かあったら、ボクが守る。アリツェ、君の希望になるべく沿うようにと、司祭からも言われているからね。プリンツ辺境伯領へ、行こう」  じっとわたくしの目を見つめながら、ドミニク様は宣言しました。 「ドミニク様、感謝いたしますわ!」  悠太様はにぱっと微笑みを返しました。 (ああああ……)  わたくしはいたたまれなくなり、うめき声を上げ続けました。  ★ ☆ ★ ☆ ★ 「ここが、地下水路の入口だよ」  ドミニク様の指し示す先に、ぽっかりと浮かんだ穴が見えます。  地下水路のメンテナンスのために作られた入口だそうです。大人が立って歩くには少し窮屈かと感じる縦幅と、横並びで二人立てるかどうかの横幅でした。それほど広い通路ではありません。万が一、戦闘になったら身動きが取れそうにありませんが、それは相手も同条件なので、問題はないでしょう。ですが――。 「暗い、ですわね……」  視界が闇で完全にさえぎられています。  通路に入って少し歩くと、わずかに入り込んでいた月明りは完全に途絶え、もう何も見えませんでした。  ドミニク様は懐から何かを取り出しています。しばらくすると、明かりがともりました。カンテラを持ち込んでいたようです。 「道は覚えているから、このカンテラでも迷うことはないと思う。もしかして、怖いかな?」  何やら楽しげな声でドミニク様は聞いてきました。  暗さにおびえないようにと、おどけた態度で気を紛らわせようとしてくれているのでしょう。心づかいがありがたいです。 「オーッホッホッホ! わたくし、この程度の暗闇で足が竦むほど、怖がりではありませんわ!」  悠太様は高笑いを上げました。  実は、悠太様はこっそりとペスに光の精霊具現化を施し、暗視の精霊術をかけていました。なので、視界にまったく問題がありません。  インチキをしたようで、わたくしは少し、ドミニク様に申し訳ない気持ちを抱きました。 「そ、そうか。それはよかった」  悠太様の反応が意外だったのでしょうか、ドミニク様は目を丸くしています。 「では、まいりましょう!」  ドミニク様の戸惑った様子など何のそのといった感じで、悠太様は元気よく声を上げました。  ★ ☆ ★ ☆ ★ 「ここで東西に分かれているけれど、東に行くと上級市民街、官僚街、そして、領館に達する。間違っても、こちらへ行ってはダメだよ」  メンテナンス用の通路を抜けて、本来の地下水路に入りました。  先ほどまでの通路とはうってかわり、水路は大人二人が武器を振り回せる程度には広そうです。ですが、床の中央部は深く掘られており、水――上水が流れています。踏み入れば足を取られるので、注意が必要でした。  西から東に向かって上水は流れています。西から取水された上水が、そのまま街の西側から街じゅうへと配水され、最終的には領館に達します。もし水路を東に行けば、敵陣のど真ん中というわけです。 「西に行けば、街の外の森の中、ですわね」  上水道は街の西にある森の中の湖から取水しています。グリューンから脱出したいのです。西以外に選択肢はありません。  悠太様はドミニク様の後につき、西の通路に歩を進めました。 「それにしても、上水道で助かりましたわ。下水道でしたら、臭いや害獣に悩まされるところでした」  糞尿や腐敗した食べ物などで汚染された通路……。想像だにしたくありません。悠太様はぶるっと身体を震わせました。 「ただ、少しネズミもいるから気を付けてね。噛まれないように。病気は持っていないと思うけれど、念のため」  幸いにも上水道で、汚染物質は見当たりません。病気の恐れはないでしょう。  ただのネズミ程度なら、悠太様が出るまでもありません。霊素を纏わない状態のペスでも、余裕で屠れるでしょう。 「オーッホッホッホ! 病気になったとしても、わたくしの精霊術にかかれば、すぐさま治して見せますわ!」  再び悠太様の高笑いが、上水道中に響き渡りました。  たとえ病気にかかっても、水の精霊術がすぐさま浄化をします。体液中から、速やかに病原菌を排除するのです。  精霊術に不可能はないと思っている悠太様は、口角を上げ、得意げに胸をそらしました。 「そ、そうか。それはよかった」  ドミニク様は頭を掻きながら、どこか微妙な表情を浮かべています。 (あああああ……)  悠太様が高笑いを上げるたびに、わたくしはやきもきしていました。  悠太様を見るドミニク様の目が、なんだかかわいそうなものを見ているかのように、わたくしには感じられるのです。ドミニク様の中のわたくしのイメージが、どんどんと崩れていっているのではないかと、不安でなりません……。 (悠太様、その笑いは、ドミニク様の前ではおやめくださいまし……)  ご機嫌な悠太様の耳に、どうやらわたくしのつぶやきは聞こえていないようでした。頭が痛いです……。  ★ ☆ ★ ☆ ★ 「暗視の精霊術をかけているとはいえ、やはり少し歩きにくいですわね。槍も、まだ慣れないせいか、ちょっと邪魔に感じますわ」  背負った新品の槍に、違和感を抱かざるを得ませんでした。  早く背になじませ、槍を身につけている状態が自然だと思えるようにならなければと思います。今後、自身の身を護る生命線にもなり得る相棒です。 「もう少しで城壁を抜け、街の外に出るころかな。そろそろ出口に向けて道に傾斜が出てくるから、滑らないように気を付けて」  ドミニク様のおっしゃるとおり、徐々にではありますが上に向かって傾斜がついてきています。水路部分以外の床も、湿っているので気を抜いては足を取られかねません。履いているブーツに、滑り止めの機能などはついていません。用心に越したことはありませんでした。 「わかりましたわ! 転んで水路に落ちて濡れネズミだなんて、このわたくしには似合いません!」 「そ、そうだね。気を付けてね」  ドミニク様は、なぜだか少し顔を赤らめています。  照れている様子のドミニク様に、「さては、アリツェのびっしょり濡れて服の透けた姿でも、想像したのかな?」などと、悠太様は下卑た想像をしています。  私はちょっとムッとしました。ドミニク様に対して失礼ではないかと思うのです。ドミニク様は、そのような殿方ではないと思うのですが……。  ★ ☆ ★ ☆ ★ 「あ、先がぼんやりと明るくなっている。出口だ」  ドミニク様は目を凝らし、前方を見つめました。  確かに、月光らしき薄明かりが見えます。 『ご主人、おかしいワンッ! 背後から足音らしきものが複数、響いてきているワンッ!』  ほっと安堵したのもつかの間、ペスが警告を発してきました。  こんな深夜に、地下上水道をさかのぼってあとをつけてくる集団……。  どう考えても、歓迎できるお客さまではないでしょう。 「ドミニク様、お待ちになって。何やら、つけられているようですわ」  悠太様は慌てて前方を歩くドミニク様に声をかけました。 「なんだって!? 領兵に気取られた?」  招かれざる客……。  ドミニク様の言うとおり、おそらくは領軍でしょう。もしくは、世界再生教の関係者あたりでしょうか。 「この狭い水路で戦闘にでもなったら、ちょっと不利ですわ。急いで出口へ向かいましょう」  武器を振り回すことに限定すれば、それほど問題のない広さはあります。  ですが、大規模な精霊術の行使となれば、話は別です。人数の多い相手には、それなりの規模の精霊術を行使する必要がありました。  どうやら、つけてきている相手はそこそこ人数がいるようです。精霊術なしでは厳しいと言わざるを得ません。ドミニク様はともかく、悠太様は、現時点で接近戦にはなんらの役にも立たないのですから。  悠太様とドミニク様は走り出しました。  滑って足を取られそうになりますが、「大丈夫か!?」と、ドミニク様がうまく悠太様を抱きかかえ、転倒は避けられました。  体勢を整えた悠太様は、そのままドミニク様に手を引かれながら、出口に向かって全力で駆けました。  ★ ☆ ★ ☆ ★ 「ふぅ、どうにか追いつかれずに外まで行けそうだ」  出口である湖の取水口が見えてきました。安堵の声がドミニク様から漏れます。  背後から迫る足音も、だいぶ遠ざかりました。多少の余裕ができます。  悠太様は握られていたドミニク様の手を離すと、「助かりましたわ」と口にし、頭を下げました。  悠太様は少し、ばつが悪く感じているようでした。子供っぽく手を引かれたのが、どうやらお気に召さなかったようです。わたくしとしては、あの状況では、致し方ないと思うのですが。  ゆっくりと取水口から外へ出ると、月明りに照らされて薄ぼんやりと輝く湖水面が目に飛び込んできました。グリューンの西にあるという湖で、間違いはないでしょう。周囲は森に囲まれています。  ですがその時、悠太様とわたくしは、背筋がぞくりとする感覚に襲われました。名状しがたい妙な殺気を……。  そして、気づきました。湖岸に、一人の少女の姿があるのを――。 「やあ、こんばんは、お嬢さん。お待ちしていましたよ」  月光の元、肩で切りそろえられた黒髪を不気味に輝かせながら、少女は不敵に笑っていました。 「あなたは、マリエさん……」  待ち伏せされていました――。
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