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 結婚を前提に付き合ってほしい、という提言をもらった。丁重にお断りをした。二十七歳を迎える冬のことである。  この話をすると、同僚の若い女の子から、もったいない、なんていう評価をもらうことが多い。それがどこまで本気で、どこまで冗句、あるいはその場しのぎの言葉なのかはわからない。私は彼女たちではないし、そして当然、彼女たちの言葉を受ける私は、彼女たちではないのだから。だから、その真意はわからないけれど、彼女たちはこう言うのだ。結婚は幸福ですよ、と。  本当に? それは本当に、幸福なの? ──と、私は思考を泳がせる。誰もが言う、結婚がイコール、幸福である、という等式。彼女たちの盲目的に信奉する、幸福な結婚という未来。  男女交際の経験がないわけではない。子作りの予行演習だってしている──もっとも、子育てのそれは経験値がすくないままだけれど。そういった時期の末路に、いつも彼らは言うのだ。結婚できたら、などと。結婚というのを理想として掲げて歩いてくる。それを私は、殴りつけ、踏み倒し、そうして背を向けて歩き出す。  パートナーシップ制度、というものがある。結婚という制度は男女で、つまり繁殖を前提としているものであるが、現代社会の実情として、多様性の需要の一環として、その結婚によって得られる利を、同性同士でも受けられるようにするというもの。家族という在り方を、自由に選べるという実態。国家としては、潜在的納税者の見込みが減るのは避けたいのだろうけれど、とはいえ、そういうシステムを作り、そして実効している。  結婚──男女によって結ばれる、この人と家族になります、この人の子を産み、ともに育てます、という契約。ヒトという生き物の、生殖行動から鑑みた、合理的な生存戦略の結果。妊娠ができるのは女、メスであり、身重であるうちは庇護されねばならず、そのつがいとして男、オスが必要である、という認識。それそのものは否定しない──というより、そういうものとして世界に組み込まれている以上、その「否定」は単なる駄々のこねくりなのだ。そういう種として組み込まれた大前提を、結婚という制度で、わかりやすくしているだけ。  結婚が幸福である、ということを否定したいわけでは、ない。それを──見知った男女が、互いに好き合って、支え合うというのを二身に実行して、子を成して育て、そして最期を迎える、という一連の行為を、幸福だという感情を否定するつもりは、ない。ただ、それが万人に──私に、適用されるかという疑念が、常に脳裏にこびりつく。「男女のつがい」であることと、そこから連想されてしまう──そう、私には必ずそれが付いて回ってしまう──「妊娠・出産」という行為。  かといって。消去法的に、女と女、という選択をするのは、違う、と思う。消去法というのは、こと人間関係、ましてこういう話においては、最大の愚行にあたる。妥協という評価が目に見えるのは、相手に、そして自分にも、心証が悪い。あの時、妥協しなければ良かった──なんていって離婚する男女が居て、それが同性だから起こらないというのは、道理にならない。  いっそ独り身のまま果てるのも良いかな、なんて思う日も多い。キーボードをかたかたと叩いて、かかってきた電話に出て、書類をまとめて、ときどき責任のある業務を任されて。そういう風に年老いて、最期は病院で、看護師に事務的に見送られる──仕事の合間、コーヒーを飲みながら考えるには、ひどく退廃的で、乾ききった未来だった。  ふぅ、とコーヒーの熱を逃がすふりをして溜め息。お疲れですか、なんて、自席のうしろを抜ける年下の同僚に聞かれて、すこしだけドキリとする。わかりやすく疲労や思考を漏らしたつもりなんてないのに、お疲れ「ですか」と含みがある。観察されている、というのは、自意識過剰だろうか。  三宮優花、大卒で入ってきて、二年目……のはず。弊社では珍しく、タイトスカートにジャケットを羽織って、なんてスーツ一式できっちり締めている、そのわりに物腰の柔らかいというか、ふわふわと浮かんでいるような緩さももつ──いまいち、掴めない子。 「……三宮さん、さ、」  通り過ぎたはずのところから呼びかけられたのにやや驚いたふうに、彼女は「はい?」と反応してくれる。油断していたのだろう、表情もすこし硬い。 「お昼は外の人だっけ」 「はい。……え、え?」  普段は体面を取り繕ってカフェで、という彼女が、私というシニアな同僚と連れ立って食事をとるのに提案してきたのは、近くに居を構えている個人営業の定食屋だった。畳座敷に仕切り、衝立などという気の利いたものはなく、木製テーブルのうえに箱ティッシュ、爪楊枝、醤油に塩、氷水の入ったピッチャーとコップ、という……いってしまえば、いかにも、で懐かしささえ覚えるような店。 「一人だと、なかなか入りづらいじゃないですか、こういうとこって」  従業員に聞こえないようにだろう、テーブルをまたいで話をするのに、三宮は食卓に乗り出して言う。まあ、男所帯のなかに女一人、というのは、たしかに居住まいの心地は好くないだろうけれど。とはいえ、それが異常だ、というほど不可思議ではないとも思う。私は「そういうもの?」とだけ返す。 「朱に交わるには、やっぱり勢いって大切だと思うんですよ」  ふぅん、と気のないふうな返事をしてしまう。わかるような、わからないような。 「朱というよりは、白に交わるには、のほうが正しいんですけどねー」  あはは、なんて、気の抜けた笑い声が、対面から聞こえてくる。日頃会話をしない人間同士が、ほぼ初めて行う話題としては、上々なのかもしれない。こちらも仕事用の澄ました表情を張り付ける必要がないのは助かるところだった。  にしても、と三宮のほうから話題が転換される。 「牧村さんのほうから声をかけてくださったのは、その……なにか、私に用でも?」  おずおずと、というには少々悧発さの出る声色だった。望んでいた大衆食堂に来られているという高揚感と、あまり人付き合いの得意でない私が声をかけたという不審さとが混ざったような、そんな音。 「それとも、わたし、クビ、ですか」 「いや、そんな権限は私にないから」  なるほど、そっちがあったか、とすこしだけ驚き。人付き合いのなく、そういったことを機械的に処理できる女、という枠には、たしかに私ははまりそうだった。けれども、退職前の思い出にとばかりに食事に連れ出すような可愛げがあるようにでも見えていたのかと考えると、すこし複雑。  クビはないよ、安心して──という言葉が、どこまで信憑性が高く聞こえるのかわからないけれど、言わないよりは、きっとマシなんだろう。自分よりいくらか年若い女の、安堵した表情に、こちらもほっとする。  ──ま、今回呼んだのは、不公平を正すためなんだけど。  不公平、あるいは不平等。私は彼女をよく知らないけれど、彼女は私の機微にどうやら詳しいらしい。それを不平等、不公平というのは、違うのかもしれない。ただ、……うん、「そう」だと示されてしまうと、フェアじゃない、という気持ちが出てきてしまう。すこし、幼稚な思考。 「普段は、お昼はどういう?」 「カフェで、パスタとか。あの、駅のほうにちょっと行くとあるんですけど、一人でも入りやすくて。たまーに、季節モノのパフェとコーヒーだけで済ませちゃうときもあるんですけど」  冬のいちごフェアとか、良いですよ、なんて、言葉尻を跳ねさせながら言う三宮に、学生じゃないんだから、ちゃんと食べないともたないわよ、などと小言を言ってしまう。はぁい、とむくれるように、返事をする彼女を、私はどういうふうにみていいのか、わからない。  お小言ついでに、と前置きをつけて、三宮に本題を切り出す。 「貴女は私のこと、どういうふうに見ているの」  水を飲もうと持ち上げられていたコップが、そのまま中空でとまる。表情はといえば、緩んでいた頬がこわばっていた。心なしか目が泳いでいるようにもみえる。 「ど、……どういうふうに、って、」 「私、あまり人付き合いがないでしょう。けど、そういう人間なりに、どういうふうに人に見られているのか、気にはなるのよ」 「あ、ああ……そういう」  半分は嘘で、残りは本当。三宮が放った「お疲れ『ですか』」の真意、その言葉が出てきた理由を知るための、取っ掛かりにすぎない。  一度コップをテーブルに置き直して、彼女はすこし考えるふうに目を瞑る。右手で口元をおさえて、どうやら言葉を選んでいるよう。……そうしなければいけないほど、どちらであれ著しいのか、とすこし不安になってくる。 「えっと……又聞きなので、尾ひれとかがついているとは思うんですけど、その、……『玉の輿を蹴って仕事と結婚する女』とか、『行かず後家確定』みたいな、そういう話は、同期の子たちが話してるのを聞いたことがあります」  言葉を選んだことに違いはなかったけれど、端的に伝えるのにどう言うか、のほうだとは思わなかった。おそらく彼女が思っている以上に、私の心にはぐさりと刺さっている。 「ただ、そういうことを言ってる人たちのほとんどが、専業主婦志望の、自分は外に仕事に出ずに、みたいな方ばっかりなので……」  結婚が目的でゴール、みたいな人たちには、牧村さんの気持ち、理解できないと思います──そういう彼女の目はどこか昏い。 「結婚だけが幸せのかたちじゃ、ないですもんね」  わたし、牧村さんのこと、ちょっと気になってたんですよ──日替わり定食を平らげ、たくあんをぽりぽりと齧りながらそう言った彼女は、満腹感からか、すこし目元が緩んでいた。 「……うん?」  天ぷらうどんのつゆを飲んでいるときにそういう突飛なことを言われると、こちらとしては、吹き出さなくてよかったな、という感想が先に出てしまう。危ない。でも美味しい。 「心無い噂って、聞こえてるか聞こえてないかわかりませんけど、本人もですけど、無関係な他人も、やっぱり心に刺さっちゃうんですよ、ぐさーって。しかも、牧村さんの年齢だと、……失礼かなとは思うんですけど、寿退社したい、って叫んでる方も、結構みえるので。そういう人たちにとって、結婚前提のお付き合いを蹴って、なんて、やっぱり、……やっぱりですよ」  そういう人たちにとって……というより、仕事よりも噂の収集に精を出すお歴々にとって、私みたいなのは格好の笑い種だ、というのを濁そうとして、失敗してくれた。 「なので、その……聞こえているのか、聞こえていないのか、って、気になってたんです。お仕事には支障ないようですけど、もしかしたら……なんて」  結局、杞憂というか、そんな感じでしたかね──そうして二枚目のたくあんをぽりぽりと齧り始めた年下の女が、目の前に居た。  けれども得心いった。お疲れですか、というあの一言は、そういう文脈で、尾ひれ背ひれのついた噂でストレスをためていて、それで疲れていませんか、と。一挙手一投足を観察して、私の知らない癖まで把握しているような、そういう人ではないようで、安心する。 「ここで貴女にきいたことが十、全部の情報。だから安心して、なにかあったら三宮さんのせいだから」  冗句のつもりだったけれど、それを聞いた三宮が慌てふためいたのをみて、人と関わらないと冗句もそうだと取られないんだな、というのが目に見える反省点として浮かんでくる。  たちの悪い冗談を言ってごめんなさいなんだけど、と驚きふためいた三宮のすこし赤らんだ表情に向かう。 「一般論だけど、貴女くらいの年頃だと、結婚に憧れとか、そういうのがあるものだと思っていたけど」  貴女はそうでもないのね、と続けようとして、やめた。ない、とは言っていないのだ。ただ、結婚だけが幸せではない、と言っているだけだった。 「そりゃあ、結婚とか、ええと……信頼できる人と、ひとつの家庭を営む、っていうのは、良いなー、って思います。そういう愛している人と睦み合って、子を産んで、育てて……そういうのも、良いなとは思います。でも、……うん。それだけが幸せ、なんて、信じたくないんです。自分の幸せには、自分で責任を持ちたい、他人の評価を基準にするんじゃなくて、自分で」  たくあんを片手に、幸福論を語る二十代女性という絵面は、たいへんに面白おかしいというか、拍子抜けするもの。けれど、その言葉には、肯定の感情しか、私は抱けなかった。自分の幸福は、自分にしかわからない。他人の評も、もちろん必要になる場面というのは、人生にはあるけれども、それでも。他人の幸せを、自分に押し付けられたくは、ない。  なるほどねぇ、と感心する。これでコミュニケーションも器用にこなすのだから、引く手あまただろう。 「貴女、良い子ねえ」  噛み砕いていたたくあんが喉に詰まりでもしたのか咳き込むのを対面に見つつ、残り少なくなっていた彼女のコップに水を注ぐ。はい飲んで、と渡すと、勢いよく体内にそれを取り込んだ。  落ち着いたのか、ふぅ、と溜め息をついたのを確認して続ける。 「私みたいなコミュニケーション不足の同僚にも目を配って、他の同僚とも仲良くして……良い子、って言わずになんて言えば良いの」  目を見て話す、というのは良い慣習で、相手の心情が多少なり伝わるもの。言いながら三宮の顔を見つめていたら、照れなのかみるみると頬や耳やが赤くなっていくのが如実にわかった。 「ち、ちが……いや嬉しいんですけど、違うんです、あの人かわいいなとかオシャレだなって同性特権で近づくだけでそんな良い子とかじゃなくて、牧村さんのことだって、ああ落ち着いてて良い人って感じでついつい目で追っててそれで──」  ほう、と口をついていた。前言……というか、前評を撤回しなければならない。もちろん価値観その他に関しては申し分なく、分別のついて、押し付けも押し付けられもない、大人である、というのは変更せず。ただ、私を目で追っていたという点において、私の一挙手一投足を観察していたという自供に関して、改めておく必要がある。 「余裕がなくなると、思ったことが口に出るのは、クセ?」  はい、と消沈したのをはっきりと見せてくれる。まな板の上の鯉というのは、きっといまの三宮のためにある表現なのだろうと片隅で考える。みていて面白い。出ないようにしないとね、と言うと、沈んだまま、はい、と返ってきた。やはり面白い。  他のテーブルの客らがぱらぱらと店を出ていくのが見え始めた。もうそろそろ昼休みを終えて、経済を回さなければならない頃合いなのだろう。私達も戻りましょうか、と伝票を持って立ち上がる。先に立ち上がった私をみて焦って立ち上がろうとする三宮に、私は表情を見られないように言う。 「付き合ってくれる?」  ──また、お昼ご飯に。  幸福追求の途を、一緒に歩くのは、きっと快いのだろうなと、思い、願いながら。
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