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 大陸歴一七九七年、二月十三日、昼。  今年の冬は暖冬だったらしい。おかげで冬小麦の生育が予想より上手く行き、夏を待たずとも収穫できるかもしれない、ということだった。耕地面積を単純に二倍ほどに増やしたため、収量自体が相当に増えるようなので、税収も期待できる。  もちろん、管理する農民側の負担とならないよう、擬似魔法の書物は十分に渡してある。水やり、肥料、土寄せは擬似魔法でできる、とはいえ麦踏みや収穫は人力で行わなくてはならないが——まあそのくらいは許容範囲だろう。  あとは、適正に擬似魔法が使われているかどうかをチェックする体制を作らなくてはならない。これは供給分以上は郷士や有力者の自腹で、と伝えているため、追加の書物料はその地域ごとに何とかしてもらえるだろう。しかし、過剰消費は防げても、過少消費を防ぐ手段とはならない。そのため、やはり視察をこまめに行うことが大事となってくるし、数字の出入りをきちんと把握できる人材を育てなくてはならない。  人材の育成が急務だ。エレインはそう痛感していた。例えば、先日赴いた村では、村長一家と徴税人以外算術ができなかった。四則計算ではなく、そもそも足し算からできないのだ。識字率はせいぜいが五、六十%止まりだろう。エレインが根気強く擬似魔法の書物の使い方を説いたおかげか一部だけは読めるものの、専門用語や長文読解となってくると多くの農民が投げ出す。そして基本的に、徴税人は農民からあの手この手で税金を多めに取って、一部を自分の給金にして税金を上納するため、腐敗が蔓延しているものだ。そこも正さなければならない。グラッドストン商会から派遣されてくる人材に土地の鑑定を任せ、徴税人には基本給を与える代わりに土地ごとの定額の税金を徴収するよう、システム自体を変えなくてはならなかった。  それから、農業とは関係ないが、市長の権限も若干縮小させなければならない。今まで領主のもとに市長がつき、そして村長が、という縦割りだったが、直接領主であるエレインが村長たちへ干渉しはじめた以上、市長も職責を全うするため黙ってはいられないだろう。もともと、領主がいるのに市長がなぜいるのかと言われれば、郷士たちのまとめ役であり、領主の担ってきた司法権の分担と行政システムの円滑な実行のための潤滑油のようなものだった。なので、司法権はそのままで、行政システムの一部を領主に戻す——主に税金や予算関係の職務は領主の膝下で行うようにしなければならない。そうでなければ、賄賂や水増し、横領が当然のように起きてしまう。このことをエレインが市長に丁寧に噛み砕いて伝えると、若干苦々しそうに了承した。それはそうだ、自分たちの特権を取られる上に、小娘に指摘されるのは癪だろう。しょうがないので、司法権に関しては領主のもとにある分は形骸化させ、実質市長にすべて取り仕切らせることで合意した。もし万一領主を告発するようなことがあれば、遠慮なく抵抗する旨を伝えると——どこかからか聞いてきたのか、エレインが超極大魔法をぶっ放すかもしれないと思ったのだろう、そんなことはしないと言ってきた。さてどうだか。  夜までかかって説明に次ぐ説明を重ね、やっと《黒曜館|こくようかん》に戻ったエレインは、ようやく夕食にありついた。今日の献立は鱈のフライとタルタルソース、そしてパンとポタージュスープだ。すでに食事を終えたメルヴィルが食堂についてきてくれたので、今日の進捗を報告する。 「なるほど。それで十分かと」 「はい。あとは実務を取り仕切る人材をどこかから連れてくる必要がありますね。今度、王都に行って国立アカデミアから見繕ってきます。メルヴィルさんも、魔族で計算の得意な方がいればぜひ紹介してください」 「そうですねぇ……心当たりがないわけでもありません。ご期待に添えるかどうかは分かりませんが、打診してみます」 「よろしくお願いします。あと、税関係の書類をもらってきたので、食後に執務室で調査しましょう」 「いえ、今日はもうお疲れでしょうから、明日にしましょう。数字を見るときは朝と相場が決まっていますよ」 「……見間違えがあったら大変ですものね。分かりました」  そう言って、明日税関係の資料を見ることを約束した。  時刻はちょうど午後九時。エレインは風呂に入ることにした。  バスタブに魔法でお湯を張り、全身を洗ってから中に入る。ディヴァーン領に来てまず驚いたのは、風呂に入るのが一週間に一度、それもバスタブに張った水を丁寧に使っている。お湯を使わないと風邪を引く、といえばお湯がもったいないから、と頑なにメルヴィル以外バスタブに入ろうともしない。しょうがないので、エレインが毎日率先して魔法でお湯を沸かし、入ってもらっていた。今日は特別にエレインが一番湯だった。  風呂を出ると、一気に眠気が襲ってきた。エレインは《警戒魔法|ウィギランティア》を自室に何重にもかけ、目を閉じる。 「おやすみなさい」  誰に言うでもなく、エレインはそう呟いて頭ごと布団に潜り込んだ。 ☆  大陸歴一七九七年、二月十四日、昼。  エレインの前世の世界ではバレンタインデーという邪悪な催し物の日だったが、今世ではそういうことはない。いたって普通の日だった。  桜子のころは一度も誰かにチョコをあげたりしなかったので、縁遠いといえば縁遠い日だった。それに、西ユーファリアにはチョコがない。カカオ自体はあるのだが、コーヒー豆と同じく薬扱いで、砂糖を入れて飲みやすくするという発想がなかったようだ。バラジェやバタヴィアに行けばまた違うのかもしれないが——桜子はそこまで甘党ではないので、追い求めることはしなかった。  ただ、今は無性に甘いものが欲しい。  市長から引き継いできた税関係の資料が、とてつもなく専門的で、エレインのキャパシティを超えてしまっていたのだ。メルヴィルは悩みながらも一応は経験者なので、さっと目を通していく。 「メルヴィルさん……これは、私には無理かもしれません」 「ああ、そうかもしれませんね。税関係はやはり、専門家でないと厳しいかもしれません」 「専門家を雇う方向で進めるのならできますけれども」 「一年で金貨三十枚ほど出せるなら、大丈夫ですね」  金貨三十枚。エレインのポケットマネーから出せなくはない額だ。  しかし、できれば人柄を考慮したい。口が堅いのも当然だし、市長や郷士たちに迎合しない人物がいい。となると、やはり外国——バラジェから魔族を連れてくることが一番いいはずだ。 「メルヴィルさん、お知り合いで誰かいませんか?」 「一応、手紙は送っておきました。そろそろ返事が来るころですが」  と言っていると、メルヴィルの目の前に一通の手紙がはらりと落ちてきた。ナイスタイミング。  メルヴィルは封を開け、中の手紙を読む。しばらくすると、メルヴィルはエレインに手紙を差し出してきた。 「条件は金貨四十枚と言っていますが、これは私が値切りましょう。しかし、こちらでの滞在費や諸々の経費を合わせると年間金貨四十枚程度にはなると思います。もちろん、バラジェの金貨とこちらの金貨は価値が違いますので、彼が納得するかは分かりませんが」 「待ってください。バラジェの金貨とユーファリアの金貨、レートはどのくらいですか?」 「具体的には分かりませんが、おおよそ一対一・二程度だったかと。バラジェのほうがアルファンやイシュトラでも使われている分、どうしても高くなりがちですね」  予想より額が増えてきている。これは困った。代わりに何か出せるものはないか、とエレインが考えていると、ふと先日の増築案が思い浮かんだ。  《温室|コンサバトリー》を作るついでに、別棟を建て、そこに彼を住まわせるというのはどうだろうか、とエレインはメルヴィルに提案してみた。 「ふむ。悪くはない提案ですね。彼専用の仕事場を作るという意味でも、地元に資金を投じるという意味でも」 「額は張りますが、後々まで使えますからね。費用は心配しないでください、私のポケットマネーがありますから」 「そういうことであれば、三十枚まで引き下げさせましょう。おそらく、彼も断りづらくなるでしょうし、退路を断つ意味でも肝要かと」  メルヴィルは笑顔でそう言った。恐るべし、メルヴィル。  メルヴィルはさっそく返事を認め、魔法で送る。 「《手紙よ|エピステュラエ》、《バラジェニカ|バラジェニカ》《へ届け|・リベラ・リトテラス》!」  現れた魔法陣の中に、手紙はすっと吸い込まれていった。そして魔法陣は消え去る。  エレインは税と専門家に関してはメルヴィルにすべてを任せ、まずは別棟の工事の相談をするためクィンシーのもとへと出向いた。 ☆  大陸歴一七九七年、二月十四日、昼。  エレインはクィンシーのいるクルナの街のグラッドストン商会にいた。応接間に通され、クィンシーに別棟建築案を話す。 「建築ですか。これまた大規模な話になってきましたね」 「別棟を建てるだけです。税の専門家の仕事場と住居、それと《黒曜館|こくようかん》から繋がる部分に《温室|コンサバトリー》を作りたいのです」 「ふむふむ。地元でどれだけ賄えるか、まずは調査してみないことには何とも」 「できるかぎり速やかにお願いします。これはその代金です」  エレインはここに来るまでに用意してきた小切手をクィンシーに手渡す。  ちょうど金貨百枚、エレインの署名とともにきっちりと書かれた小切手を見て、クィンシーは満足そうに頷く。 「金貨百枚ですか。ふむ、別棟を作るだけなら五十枚ほどでできますが……急ぎですよね?」 「ええ」 「分かりました。《温室|コンサバトリー》に関しては専門の業者に頼まなくてはなりませんので、別棟と合わせてちょうど百枚で請け負いましょう。半月もすればまともな建物ができるよう取り計らいます」 「ありがとうございます、クィンさん」  エレインは頭を下げる。どんなものが出来上がるのか、楽しみだ。  クィンシーは小切手を懐に収めると、別件の話を持ち出した。 「そう言えば、昨年ご依頼のあった魔道書ですが、いくつか見繕ってきました。それから、先日のガラ……失敬、魔法道具らしきものも」  クィンシーが別室に少しの間消え、そしてまた戻ってきたときには、古びた巨大な魔道書五冊と魔法道具らしきもの——商会の職員の手によって人一人が入りそうな袋に二袋ほど、持ってこられた。  エレインはその量の多さに面食らう。確かにかき集めてくれとは言ったが、ガラクタこと魔法道具がこんなに多く集まるとは思ってもみなかった。魔法道具は魔力切れを起こすと捨てられる消耗品の側面がある一方で、その装飾に意味が込められていることも多く、インテリアとして使われることもあるという。とは言え、魔力を充填すればまた使えるようになる場合もある。ガラクタでも、何かしら使い勝手はあるだろう。  エレインはクィンシーに値段を尋ねた。 「いくらになります?」 「金貨五枚ですね。魔道書が貴重なものでしたので、ああ、魔法道具はおまけのタダでけっこうです」 「分かりました、すぐに銀行に行ってきます」 「明日でいいですよ!? 小切手でもかまいません。とりあえず、今日のところはお持ち帰りください。持てそうですか?」 「《転移魔法|モビリス》を使いますので、大丈夫です」  エレインは足元に魔道書五冊とガラクタ袋二つを置いてもらう。  そして、少しだけ集中し——深呼吸をした。 「では、よろしくお願いします。《転移魔法|モビリス》!」  エレインの足元に、エレインと荷物を大きく包む魔法陣が展開される。  ぐにゃり、と視界が歪む。一瞬だけの眩暈と吐き気。それが治った途端、目の前には自分の執務室の扉があった。  エレインは扉を開ける。メルヴィルに魔道書とガラクタ袋を持ってもらおうと思ったのだ。  だが、メルヴィルは執務室の中で、頭を抱えていた。  エレインは戸惑いつつも声を掛ける。 「どうしたのですか、メルヴィルさん」  やっとエレインの入室に気づいたらしいメルヴィルは、ゆっくりと振り返って頭を垂れた。 「お帰りなさいませ、エレイン様。少し厄介なことが起きまして」 「厄介なこと?」  エレインは復唱する。  また何か起きたのか。  メルヴィルは黒い手紙を三通、エレインに見せた。 「こちらのやっていることが、魔王陛下に知られました。このとおり」  エレインの表情が強張る。 「それは……厄介ですね」 「税の専門家であれば魔王城から送るとまで言ってきたのです。もちろん、丁重に断りの手紙を出しました。それよりも問題なのは、どうやって察知されたか、です」  確かに、どうやって察知したのだろう。  エレインが考えられるのは、《盗聴魔法|フールソノル》でフルストがここでの会話を盗聴していることくらいだが——そんなことをする暇があれば仕事をしろ、と言いたい。 「どこかにまた新しい魔法を仕掛けている可能性が高いですね。もうこの部屋には、永続して効果のある防音魔法《ノンソノル》をかけておいたほうがいいでしょう。調査ついでにかけておきますね」 「お願いします。あと、ここの荷物を中に入れてもらえますか?」 「いいですよ。少々お待ちを」  エレインは一冊ずつ魔道書を自分の執務机に乗せていく。メルヴィルはガラクタ袋と三冊の魔道書を運んでくれた。やはり、こういうときは男手があると助かる。 「ところで、この魔法道具の山はどうするのですか?」 「直せるものは直して、使おうと思いまして」 「ははあ、なるほど。では、《防音魔法|ノンソノル》をかけてからお手伝いしましょう。税のことはとりあえず、置いておいて」  メルヴィルも数字を見続けることが嫌になったらしい。すぐさま資料を閉じて、鍵付きの引き出しにしまう。 「では始めましょう。《調査魔法|インクィシティオー》」  キュウウ、と何かが締め付けられる音がする。そして部屋のあちこちからカァン、カァン、と金属同士がぶつかる音が五回した。 「五つですね。すべて解除しておきましょう。《解除魔法|アブソルーティオ》」  メルヴィルはそう唱えると、指先を鳴らす。  パリン、とガラスがひび割れるような音が五回、鳴り響いた。魔法が解除された証拠だ。 「そして最後に、《大防音魔法|ノンソノル・グランディス》」  メルヴィルの声が心地よく響く。テンポよく調査、解除、上書きとなされた魔法の三重奏に、エレインはつい聞き惚れる。 「はい、終わりましたよ。エレイン様」  はっとして、エレインは笑みを浮かべた。 「すごいですね、メルヴィルさん。ここまでスムーズに魔法を使いこなすなんて」 「伊達に千年も生きていませんから。それに、私程度の魔法の使い手なら魔王城にいくらでもいますよ。もちろん、エレイン様は彼らに比しても相当に凄まじい潜在能力をお持ちと思いますが」 「私は全然修行が足りていませんよ。超極大魔法が撃てるだけで」 「……それができれば十分なのでは?」  メルヴィルはちょっと引いていた。なぜだ。
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