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 大陸歴一七九七年、二月十四日、夜。 「ただいま帰りましたー!」  アラステアの陽気な声が食堂に響く。  エレイン、メルヴィル、クィンシーはすでに食卓へついている。  クィンシーがアラステアに問う。 「遅いですよ、アルさん。どこまで行っていたのですか?」 「えっと、ウェインフィールド村というところまで、帰りは馬車で送ってもらいました」 「それはまた随分遠くまで行きましたね」  クィンシーが呆れている。エレインの記憶では、ウェインフィールド村は《黒曜館|こくようかん》から徒歩で五時間ほどの距離にあったはずだ。そこまでアラステアは歩いて行ったのだろうか。 「一応、ちゃんと目的はありましたよ。この地図で一日にどこまで行けるか、試してみました」  そう言ってアラステアが鞄から取り出したのは、一枚の地図だった。ディヴァーン領全域が載っている、珍しい地図だ。  なるほど。アラステアは徒歩圏内を割り出すために、自分の足で歩いてみたのか。 「お腹空きましたー。今日の夕食は何ですか?」 「今日はシチューですよ」 「やった!」  アラステアは嬉しそうだ。運ばれてきたシチューをむしゃむしゃ食べる。むしゃむしゃ。 「ウェインフィールド村の人たちからは歓迎されましたよ。多分、勇者の肩書きが珍しいからでしょうけど、村長からいろんな話が聞けました。何でも、隣領からこっそり移り住んでくる人たちが増えていて、今問題になっていてエルさんに相談しようかどうしようか迷っている、って話だったので、僕が伝えておきます、って言っておきました」 「移住ですか。由々しき問題ですね」 「えっ、どうしてですか?」 「おそらく、隣領領主の許可を得ずに、領域を渡ってきているのだと思います。許可があればいいのですが……ほら、勝手に農民がいなくなると田畑を耕す人がいなくなるでしょう? そうなると、すぐに領全体の税収に響いてきます」  そうなのだ。基本的に、村長以下農民は領をまたいで移動することは少ない。例外として他領に親族がいる場合、村長から領主へ許可状を出してもらうくらいの大事で、それも永続的に移住することはごく少ないのだ。出稼ぎとは異なり、新たにその農民たちへ土地を与えなくてはならないなど、問題は山ほどある。 「どうしますか? 他領へ戻るよう勧告を?」 「そうしたいのは山々ですが、一度逃げてきた人々を連れ戻すのも人道的にどうかと。他領の領主と話し合う必要がありますね。とりあえず、ウェインフィールド村に関しては、早急に対策を取りましょう。私が明日赴きます」  エレインはウェインフィールド村へは一度行ったことがあるので、《転移魔法|モビリス》を使えば問題ない。あとは他領の情報を聞き取り、できれば元の土地へ戻るよう促す——くらいしか、やれることはない。  しかし、他領とそこまで差ができていると、確かに今後も無断移住者が増えてくる可能性がある。ここで何か対策を取らなくては、後々に影響が出てしまう。  エレインは顎に手を置き、シチューをじっと見ていた。 「何かいい考えは……」  他領へ行き、同じように擬似魔法の書物や魔法を使ってみせる? エレインの負担が大きく増えるだけだ。それに、他領は排他的であることが多く、同じ領主でもすぐにいがみ合いに発展するケースが少なくない。ましてや、エレインのような小娘が領主ともなれば、なおさら舐められやすい。  さて、どうすべきか。完全にエレインのスプーンは止まる。腕組みをして、片手を顎に置く姿勢は、いつもの考えごとのときの姿勢だ。土地を増やすのは簡単だ、開墾すればいい。村の共有地は狭くなるが、その分村全体の収益は上がるようにする。資金さえ増えれば、グラッドストン商会がそれぞれの村に赴いて希望の品をできるだけ公正な価格で売ってくれる。  うーん、とエレインが首を捻っていると、メルヴィルが声をかけてきた。 「エレイン様。悩むのは後にしましょう、シチューが冷めますよ」  そうだった。エレインは急いでスプーンを持ち、シチューに取り掛かる。  美味しかった。ほどよく冷めて、にんじんやじゃがいも、玉ねぎがふわっふわのとろとろになっている。  ともかく、明日、ウェインフィールド村へ行って、状況次第では他領領主と会談をしよう。エレインはそう決めた。 「あの……僕、何かまずいことを言いました?」  アラステアが様子を伺うように尋ねてくる。エレインはすぐさま笑顔を取り繕い、やんわりと否定した。 「そんなことはありませんよ。むしろ、知らせてくださってありがとうございます。もう少しで手遅れになるところでした」 「そ、そうですか。それならよかった」  アラステアの笑顔が若干ぎこちない。やはり、気にしているのだろう。  なら、明日、ウェインフィールド村へ一緒に行かないか、と誘ってみる。 「僕が、ですか? お役に立てるかどうか」 「いてくれるだけでいいのです。私一人では、舐められてしまいますから」 「そうですね。アラステア様、ぜひエレイン様とともにウェインフィールド村へ行ってくださいませ。顔見知りがいたほうが警戒心も和らぐでしょうし」  メルヴィルも後押しをする。ナイスアシスト。  アラステアは大きく頷いた。 「僕でよければ、ぜひ。エレインさんの護衛、頑張りますね!」 「いえ、護衛ではなくて……まあいいか。とにかくよろしくお願いしますね」 「はい! 頑張ります!」  アラステアは勢いよく返事をした。 ☆  突然だが、この世界にも宗教は存在する。  ただし、桜子のいた世界とは異なり、国家宗教は存在しない。もっとずっと緩やかで、村ごとに信仰神が異なるようなレベルだ。  なので、少なくともユーファリアやバラジェでは政治的宗教権力は存在しないに等しい。領主として統治する上で楽といえば楽なのだが、本来宗教勢力が担ってきた戸籍の管理や集団意思の統一などがすべて領主の仕事に振り分けられるため、忙しいことこの上ない。市長に対応を依頼したら、詳細かつ機微な情報すぎて市庁舎では取り扱えない、という返事が来た。まあ、そうなる。  意思の統一に関してはその村々で村長に担わせるとして、戸籍の管理はやはり領主が行わなくてはならない。となると、必然人手が足りなくなる。もう二、三人くらい口の固い職員を雇えればいいのだが、エレインのポケットマネーもそろそろ底をつきはじめている。せいぜいが、税収次第で九月以降に雇えるかな、という状況だ。  そんな状況で、他領から逃げてきた農民までも管理するとなると、ちょっと遠慮したいのが本音だ。村長クラスできちんと管理できればいいのだが、何分ただの世襲で村長をやっている家も少なくないため、エレインは実務能力に関しては大変懐疑的だった。読み書きと算術ができるだけでは務まらないのだ。  そして、村長よりももっと重要な存在であるのが徴税人だ。各家々の土地の価値、つまり財産を知っており、なおかつ家族構成も把握してある。何よりも、徴税人は村長からも税金を取り立てる立場だ。特権を許された郷士たち——その多くは先祖伝来の土地を持ち、先祖が何らかの功績を挙げて国から免税と何らかの役職(形骸化したものも少なくない)を勝ち取った人々の下に徴税人がいる。あくまで領主、市長、村長という縦割りは税関係を除いた行政の中での話だ。ゆえに、郷士たちの抱える徴税人がきちんと仕事をしなければ、領に税金が入ってこない、という非常事態に陥りかねないのだ。  これはさすがに何とかしたい。だからこそエレインは税の専門家を招く決断をしたのだが、対応できるのは三月以降になりそうだ。徴税人は嫌われ者だがある種の特権階級なので、なくすのは難しい。ただ、きちんと仕事をさせることなら十分に可能だ。むしろエレインが早急に何とかしたいのは郷士たちだ。郷士たちから税金を取れるようになれば、ディヴァーン領の税収は跳ね上がる。散々儲けているのだから、ここで断固改革を進めて郷士という特権階級をなくさなければ、とエレインは意気込み、連合王国国王への定期報告にも何度か話を盛り込んだほどだ。  そういうわけで、エレインは今日から村々を回り、徴税人から戸籍作成の元となる書類を回収する作業をしなければならなかった。何か嫌味を言われるだろうな、と覚悟はしてあるし、郷士たちには一応今日から村々を巡るということを伝えているので、できるだけ速やかに終わらせなくてはならない。そのために昨年はディヴァーン領全域の村という村を巡って、《転移魔法|モビリス》で移動できるようにしておいたのだから。  エレインはコートを着込み、手袋をはめ、歩きやすいブーツを履き、《黒曜館|こくようかん》の外に出る。アラステアも防寒対策はバッチリだ。  エレインはまず円を描き、そして魔法陣を作り上げていく。あっという間にできた簡易魔法陣に二人が乗り込み、いざ出発。 「《転移魔法|モビリス》、ウェインフィールド!」  ぐにゃり、と視界が歪む。  吐きそう、だが精神統一だ。落ち着け、とエレインは自分に言い聞かせる。  到着したのは、空っ風の吹く丘の上だった。風車が回り、牧歌的な風景が広がっている。  エレインとアラステアはさっそく、ウェインフィールド村村長の家へと向かった。 ☆  ウェインフィールド村の村長宅は、ハーフティンバーと呼ばれる材木と漆喰でできた小さめの屋敷だった。  それでも随所に細工が施され、単に古いだけでなく、歴史的価値もあることが分かる。おそらく、数百年は経っているのではないだろうか。  エレインは扉を三回ノックする。 「はぁい」  暢気な声が聞こえてきた。少しすると、扉が開けられる。  現れたのは、年端もいかぬ少女だった。お手伝いさん? 前回来たときは外で村長と会ったため、エレインが村長宅まで訪れるのは初めてだった。 「どちら様でしょうか?」 「私、ディクスンと申します。村長さんはご在宅でしょうか? ディクスンが来たとお伝えください」 「はい、承知しましたぁ」  そう言うと、少女は扉を一度閉める。パタパタ、と走っていく音が外まで聞こえる。  そして若干の怒号と暢気な声がしたと思ったら、ドタバタと騒がしい音が漏れ聞こえてきた。エレインとアラステアは顔を見合わせる。  少し扉から離れて待つと、静かになった。念の為、しばらくそのまま待つ。  ギギィ、と動物の悲鳴のような音を立てながら、玄関の扉が開く。何だか今日は変な音が多い。 「お待たせいたしました、ディクスン様! ささ、中へどうぞ!」 「では、失礼いたします」 「失礼します」 「おお! アラステア様まで! 先にお教えくださっていれば、もてなしの準備もできましたものを!」 「いえ、それには及びません。ご家族の方はいらっしゃらないのですか?」 「今日は皆、街のほうに出かけていましてな」  などと会話しながら、村長に導かれエレインとアラステアは家の中へと入っていく。  台所では、あの少女がお茶を淹れていた。ちらりとエレインが見ると、少女はにっこり笑って応える。屈託のない笑顔が印象的な少女だった。  ダイニングには木製の四角いテーブルと、椅子が六つ並んでいた。村長に勧められ、それぞれ椅子に腰掛ける。 「さて、本日はどのようなご用件で?」  村長は畏まって話す。エレインは、アラステアから聞いた、他領から来たという農民について話を切り出す。すると、村長は困ったように首を落とした。 「そうなのです。他領の農民がこちらに来るということは、他領の状況が悪いということ。こちらもあまり備蓄が多いわけではありません、この先も同じようなことが続けばすぐに困窮してしまいます」 「確か、隣領はイカルス領でしたか。それほど悪い噂は聞いていませんでしたが」 「何でも、噂では徴税人の取り立てがひどく、またその……ディクスン様のように、領地経営が上手くいっているという噂も聞きません。ディヴァーン領が上手くいっているという噂を聞きつけた農民たちが、先祖代々の土地を捨ててでもこちらに来る、ということは……相当に内情はひどいものだと思われます」  なるほど。この村長、嘘は吐いていない。  隣領イカルスとは、エレインはあまり交流はない。隣領だから時候の挨拶を交わす程度、イカルス領領主の顔も見たことがない。それでも、クィンシーによる事前情報によれば、確かに隣領イカルスは財政が悪化しており、腐敗が蔓延しているようだった。言うことを聞かない郷士、賄賂を要求する徴税人、市長との確執。これでは領地経営は成り立たない。  エレインは今農民たちはどうしているのか、と尋ねると、予想外の答えが返ってきた。 「この村の徴税人の家に住まわせています。この娘もそのうちの一人でしてな、給金を出す代わりにうちでメイドとして働いてもらっているのです」 「それはまた、大変ですね」 「帰れと追い出すわけにもいきませんからな。戻れば領主に何をされるか……土地を捨ててくるということは、そういうことです」  村長はしみじみと語る。やはり、元から対策を取らなくてはいけないのだが——そもそも隣領の財政を助ける義理はないし、絶対に断られる。となると、農民を受け入れる態勢を作ることが先決だ。 「村長、この村の余っている土地をお借りできますか?」 「え? ええ、しかし、ただの荒地ですぞ」 「魔法で何とかします。そこに、家を建てて、逃げてきた農民たちを住まわせてあげてください。補助金はすぐには出せませんが、魔法ならいくらでも撃ち込めますから」  エレインはにっこり笑う。ちょうどそこに、少女がお茶を運んできた。 「はい、どうぞぉ」 「ありがとう。ねぇ、あなた」 「はい?」 「イカルスから来たのよね? イカルスはどうだった?」  少女はのんびりと答える。 「うぅん、私は畑と家以外あまり知らないんですけど、お父さんとお母さんが毎日大変な思いをして、働いても働いても税金で取られてしまう、って泣いていたから……それで、ディヴァーン領に逃げよう、って話になって、やってきたんです」  思ったよりも状況は悪かった。いや、身売りしないだけマシと言われればマシなのだが、そこまで行くと国が動かなくてはどうしようもないレベルだ。単なる一領主がどうにかできることではない。  エレインは荒れ地に出向き、「《土よ、大いに実れ|ソリ・グランディス・フルクトゥス》」と「《水よ、大いに集え|アクア・グランディス・コリゴ》」を唱え、地中深くに眠る沃土を地表にかき混ぜ、雨を軽くかけるという一連の仕事を終えてから、徴税人の家に向かった。 ☆  徴税人の家は、村の中心にあるアパートメントの中の一つにあった。  他の村人とそう変わらない生活、というよりも煉瓦造りのアパートメントが古びているせいか、余計に貧しく見えるのは気のせいだろうか。  エレインはアラステアと村長を伴い、徴税人の家の扉を叩く。  するとすぐに中年の男性が現れた。 「はいはい……村長? それに」 「こちらはディクスン様だ。ディヴァーン領領主の」 「領主様!? そ、それはまた、失礼をしました! 本日は何用でしょうか!?」  この徴税人、気が弱くてよく職務が全うできるな、とエレインは思った。  とりあえず、騒ぎになってはまずいので、家の中へと入る。  中では数人の主婦たちが布へ刺繍を行なっていた。エレインにはできない芸当だ。  徴税人がお茶を出そうとしたのを制止して、エレインはさっそく本題を切り出す。 「まずは、イカルス領から逃げてきた農民の処遇ですが……一応、村長の許可を得て、土地を新しく開墾しました。今すぐにというわけにはいきませんが、家を建てて作物を育てるだけの土地は用意できています」 「それは、ありがたいことです! しかしどうやって?」 「魔法を使いました。現在、二家族十人がいるそうですね? なら、十分すぎるくらいの土地を用意してますので、とりあえず急場はそれでしのいでください。おそらくまだ逃げてくる方々は増えると思われますが、隣領に何かを言っても聞いてもらえないと思うのです」 「それは、そうでしょうねぇ……彼らが戻れば、どうなることやら」 「なので、受け入れられる分には受け入れるしかありません。なるべく、こっそりと」  村長と徴税人は頷く。一応、彼らにも慈悲の心はあるらしい。 「村長には村人たちへ、逃げてきた農民たちのことは外部に漏らすべきではないことを、しっかり教えてあげてください。いわゆる箝口令ですね、商人が来てもしらばっくれてください。そうですね、グラッドストン商会には話をつけておきますので、何か入り用の際はグラッドストン商会に頼んでください。そうすれば隣領に足はつきません」  村長はコクコクと頷く。次にエレインは徴税人へ向き直る。 「あなたの給与はどうなっていますか?」 「給与、ですか? いえ、徴税人としてはもらっていませんが」 「はい?」  村長が弁解する。 「この村は小さいですからな、規定の税を納めるだけで精一杯でして、彼も農民として働いてもらっています」  ということは、この徴税人、普通の農民と変わらないのではないだろうか。 「……そうだったのですか。それは、私の落ち度ですね」 「とんでもない! ディヴァーン領はディクスン様がいらっしゃるまで貧しい土地でしたので、前の領主様も税金をあまり取らずに、余裕のあるときだけ物納を推奨してくださいました。なので、私のような徴税人は他にもいるかと」 「なるほど」  エレインは感心した。前領主、ヘドウィグの仕えた主人は、相当変わり者だったようだ。  世間話もそこそこに、本題もあまり効果がなかったため切り上げ、支援をすると約束してエレインは帰ることにした。帰り際、主婦たちがレースのハンカチをプレゼントしてくれた。エレインは初め遠慮していたが、あまりの押しの強さに根負けして、結局もらって帰ることにした。  そしてアラステアは話の間中、子供たちと遊んでいた。飴玉をあげたり、鬼ごっこをしたりと、充実した時間を過ごしたようだ。徴税人や主婦たちは、ほのぼのとした顔でアラステアと子供たち見つめていた。  帰り際に、エレインは村長と徴税人に一言。 「今日話したことは、絶対に他の人に喋らないでくださいね。私が来たことだけならかまいません、視察に来たとでも言ってください。よろしいですか?」  村長と徴税人は大きく頷く。どこまで守るかは分からないが、約束しないよりはマシだ。  エレインはようやっと、一つ目の村の訪問を終えた。 ☆  ディヴァーン領は全体的になだらかな丘陵地で構成されている。  そのため、どこへ行っても基本的に丘陵地と放牧地、麦畑、小川がある。田舎の風景と言ってしまえばそれまでだが、牧歌的な風景はいつ見ても心を穏やかにする。  エレインはそんなことを考えながら、アラステアとともにてくてく小道を歩いていく。  何でも、ここオーティール村の村長は見回りが趣味で、朝早くから出かけて村内を見回っているらしい。前に来たときはちゃんと日程を教えていたから待っていてくれただけだった。仕方なく、それらしい人物を探して、エレインとアラステアはオーティール村内を歩き回っていた。 「あ、あの人じゃないですか?」  アラステアが声を上げる。エレインはアラステアの指差す方向を見るが、人影すら見えない。遠すぎる。 「しょうがないですね……アルさん、手を」 「はい」 「《転移魔法|モビリス》!」  ぐにゃり、と視界が歪む。  お腹を無理やり押されたような感覚が襲う。何とか耐えられる範囲だ、問題ない。  エレインとアラステアは丘陵の上にいた。  そして下のほうには、禿頭の男性が歩いている。 「多分、あの人じゃないですかね」 「追いかけましょう」  エレインとアラステアは丘を走って下る。途中転びそうになったのは内緒だ。  二人はようやく禿頭の男性に追いつき、声をかける。 「村長さん!」  禿頭の男性は振り向く。そして歓声をあげる。 「おお! ディクスン様ではありませんか! アラステア様も!」 「お久しぶりです。今日はご相談したいことがあって来ました」  エレインはウェインフィールド村でのことを掻い摘んで説明する。イカルス領から逃げてきた農民の処遇、そして徴税人の給与と待遇などなど——オーティール村村長は目を丸くして聞いていた。 「そんなこともあるのですか……いやはやこれはまいった。幸い、我が村には他領から農民が逃げてくるようなことは起きていませんが、他人事ではないですな」 「ええ、それで、もしそのようなことが起きた場合は、すぐに私へ報告をお願いします。把握しておかないと、他領から告訴されたときに困りますから」 「分かりました、そのときはすぐにお伝えいたします。それで、徴税人の件ですが……非常に言いづらいのですが」  村長は一拍置いて、決意したのか話す。 「この地域の郷士、ファビウスという男なのですが、他人の財布の金を数えるのが趣味のような男で、徴税人にもそれを命じるのです。おかげで、今まで税金と称してどれほどの金を毟り取られたか——徴税人もまた悪趣味な男で、払えなければ家財道具を持っていく、と言って脅すのです」 「分かりました、脅してきますね」 「エルさん、ちょっと待ってください! どうするつもりですか!?」 「決まっています。そのような輩はディヴァーン領にはいりません。少しお話をつけにいきますので、村長さんもご一緒に」 「え、ええ、それはかまいませんが」  その後のことは詳しく語るまでもない。  エレイン、アラステア、村長は徴税人のところへ行き、エレインが不当な徴税を行なっている咎で焼き殺すと明言、大魔法の詠唱を始めた途端、徴税人は泣きながら許しを乞い、郷士の命令で仕方なくやっていたのだと証言した。この証言を聞いた三人は、ファビウスの屋敷に出向き、ファビウスと面会、徴税人の証言を元に不当に集めた税を返還するよう迫った。しかしファビウスはしらばっくれて、逆に裁判を起こすとまで宣言し始めて、腹が立ったエレインはやはり魔法を二、三発撃って黙らせた。 「裁判を起こしたければ起こしてみなさい。その前にあなたを消し炭にすることくらい、私にとっては息をするよりも簡単なのですから。死人に口なし、です」  エレインは低い声でそう言い、ファビウスの鼻先に魔法陣を展開する。  初めて見る超常現象に、ファビウスはあっという間にかくん、と首を落として気絶した。  エレインは気絶したことを確認すると、アラステアと村長へ指示を出す。 「今のうちです。帳簿を探しましょう」 「はい!」 「は、はい」  部屋に鍵をかけ、棚や机を三人で漁る。すると、徴税人からの情報で作ったと思しき徴税帳やファビウスの館の出納帳があっさりと見つかった。中を確認すると、やはり税の規定額をはるかに超えた金額を徴税し、徴税人やファビウスの懐に入れていることが分かった。  ここまで証拠が見つかれば、もう用はない。エレインはファビウスの喉に「《防音魔法|ノンソノル》」をかけ、しばらくの間喋れないようにしておいた。そして四人まとめて、クルナの街の市庁舎まで飛ぶ。  後は、市長に徴税帳と出納帳を渡し、それらの書類を確かに受け取ったことを示す市長直筆のサイン入り受領書と告訴状の作成を依頼して、ファビウスの身柄を市長に預けた。さすがに徴税帳の額が多すぎて、市長も庇いきれなかったのだろう。村長の証言もあって、事はあっさり進んだ。エレインは市長に、他の郷士も同じことをしていないかどうか調べる、と言うと、市長は自分たちが行うから領主自らやるのはやめてくれ、と懇願してきた。  ようやく市庁舎から三人が出てきたのは、昼を回ったころだった。 ☆  大陸歴一七九七年、二月十八日、朝。  噂というのは風よりも早く伝わる。  オーティール村の一件は、瞬く間に領内全域に広まり、そして隣領、王都まであっさりと届いてしまった。なぜそれが分かったかと言うと、クィンシーの取り寄せている経済新聞に記事が載っていたことと、エレインの祖父から賞賛の手紙が届いたからだ。  どうやら、件のファビウスという郷士は、王都のとある貴族のサロンに出入りしており、その資金を稼ぐため、オーティール村から相当強引に徴税という名の略奪を繰り返していたらしい。まるで山賊だ。エレインの祖父からの手紙では、その貴族は王都から北に領地を持つ《グウィン侯爵夫人|マダム・ド・グウィン》であり、いらぬ勘ぐりを避けるためファビウスとの交際はなかったことにしようと躍起になっているそうだ。祖父は面白がってそのことを連合王国国王に話し、相当笑わせたという。恐るべし、《大魔道師|マグナス・マギ》。  そして当然のごとく、クィンシーは商機を見出していた。《グウィン侯爵夫人|マダム・ド・グウィン》のサロンに出入りしていた郷士を洗い出し、どこで何を買って《グウィン侯爵夫人|マダム・ド・グウィン》に献上したのかを突き止め、得意先だったとある商会のことを経済新聞社に手紙でそっと教えたという。あっという間に噂は広まり——他にもクィンシーやグラッドストン商会は相当流布に協力したのだろうが——その商会は夜逃げした、というオチだ。貴族は体面を守りたがるから、今頃殺されていなければいいですね、とはクィンシーの談だ。そしてクィンシーは顧客リストを手に入れ、脅しがてら顧客を増やした。  肝心のエレインについては、次代の《大魔道師|マグナス・マギ》の面目躍如、少女領主の大手柄、という気恥ずかしいタイトルの記事がいくつか経済新聞に載ってしまった。魔法で脅したことは書かれていないので問題ないが、少し誇大に書かれている気がする。何でも、勇者アラステアを引き連れ領内視察を行い、不正を見逃さず司法の手に引き渡したとか、あるいは魔法で荒地を耕し領民から感謝されているだとか、そういったことが意外と細かに書かれていた。  これで他の郷士の手綱を引き締めやすくなるかな、とエレインは希望的観測を持っていた。市長の慌てふためく姿も面白かったし、ウェインフィールド村やオーティール村の村長からは感謝の手紙が届いている。いいことをしたな、とエレインは朝から上機嫌だった。  執務机の上の黒手紙を見るまでは。  もう朝からテンションだだ下がりである。エレインはしょうがなく封を開け、魔法を詠唱する。 「《文字よ、姿を表せ|リテラトゥス・サルス・パテファシオ》!」  光る文字が中空に浮かび上がる。エレインはそれを目で追う。 『エレインへ お前の活躍はバラジェニカまで届いているぞ。次代の《大魔道師|マグナス・マギ》が不正を暴いたとな。お前のことだから、魔法を使って何とかしたのだろうが、よくやった。領地経営は意外と面倒だろう、辛くなればメルヴィルに任せるがいい。メルヴィルは元々地方官だった男だ、その手の扱いには慣れている』  知っている。本人から聞いている。そしてメルヴィルは試用期間がそろそろ来る。 『ところでそのメルヴィルのことだが、後でハーブティーがどこにあるか聞いておいてくれ。昨年から探しているのだが一切見つからなくて困っている、と伝えておいてほしい。以上だ』  何が以上だ。そんなもの、メルヴィルがしっかりこちらに持ってきて毎日飲んでいる。ざまあみろだ。  エレインは手紙を引き出しにしまう。下手に捨てると魔法が発動して燃えない仕組みになっているので、きちんと手順を踏んで処理をしなければならないのだ。なぜこうも面倒なものを送ってくるのか、理解に苦しむ。  そう思っていると、ちょうどメルヴィルが執務室にやってきた。 「おはようございます、エレイン様。おや、どうかなさいましたか?」  エレインは新聞のこと、手紙のことをメルヴィルに伝える。特に手紙は最近溜まってきたので、何とかしなくてはならないことも。 「ああ、それと、メルヴィルさんはまだこちらにおられますよね?」 「ええ、特に陛下から戻ってこいとも言われていませんので、もうしばらくお世話になろうかと」 「すみません。仕事がまだまだ溜まっていて……お手伝いしてもらってもよろしいですか?」 「もちろんです。私でよければ、いくらでも」  さすがだメルヴィル。腹黒いが仕事はできる男だ。エレインはそんな心情を隠そうともしない。 「さて、まずは手紙を片付けましょうか。重要なもの以外すべてここに出してください」  エレインは言われたとおり、手紙のほとんどを執務机の上に取り出す。一通、二通、三通……数えるのが億劫になるような手紙の山ができた。メルヴィルは苦笑いをしていた。 「ではまず、《解除魔法|アブソルーティオ》」  パリンパリン、という小気味いい音が連続して、手紙にかかっていた魔法が消え去っていく。そして手紙の表面には炙り出されたような文字が浮かび上がってきていた。 「《大消去魔法|デレオーレ・グランディス》」  すると、文字は砂になるように消え去っていく。残されたのは黒い紙の山だ。  かかっている魔法はすべて解かれ、文字も消えているため、残りは普通に捨てても問題ない。エレインはメルヴィルに感謝した。何分、手紙の処理はエレインの得意分野とは程遠い細かな制御が必要だからだ。 「この程度ならいくらでもやりますよ。大したことではありません」  メルヴィルは謙遜する。その『この程度』ができない、というかやる気の起きない人間もいるのだ、ということを忘れてはならないとエレインは思う。 「さて、仕事をしますか」 「ええ、そうですね」  エレインは黒い手紙の束をゴミ箱に入れ、仕事に戻った。
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